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第18話 葛藤と再会 3

バチカン市国はイタリア・ローマ市内に存在する小国で、国自体が世界遺産の宝庫と言われている。そのため世界各国から訪れる観光客も多い。しかし治安に関しては警備態勢も強固であることから、軽微な犯罪を含めて犯罪件数は建国時以来少数桁を維持している。世界一治安が良い国という触れ込みも手伝い、観光客は毎年増加している。 それでも夜は外出禁止令が敷かれ、違反した者は地元住民、観光客問わず、厳刑が課される。各国の大使館は夜間外出を厳禁と通達している。 深夜を回ったサン・ピエトロ大聖堂は日中の観光客や地元住民の往来が無く、驚くほど静かに佇んでいる。 出歩く者はおらず、ひんやりとした冷たい風が大聖堂の間を通して冷たさを運んでいる。もうすぐ冬を迎えるのだろう。 そこへ、黒いフードを頭から被った長身な人物が人目を憚るよう、正面のファザードを通って聖堂の入り口へ到着する。音を立てないようゆっくりと聖堂の重厚な扉を開けると自分を誰も見ていない事を確認し聖堂内へ入って行った。 玄関廊に入ると、聖堂内の奥に五つの扉があった。しかしその人物は真っ直ぐ中央のピエタ像へ進む。ガラス張りのその像の近くに、小柄な老人が姿が見えないようこっそりとピエタ像の隣に鎮座していた。老人は黒いフードを被ったその人物の姿を確認すると、立ち上がって出迎えた。 「わざわざ夜分遅くに申し訳ありません。アンウォール殿」 アンウォールと呼ばれた人物は黒いフードを頭から脱ぐと、その厳つい容貌から放つ鋭い眼差しを老人へ向けた。 「夜間は外出禁止が敷かれている筈だが。ガブリエル殿、私に何か御用か?」 小柄な老人・ガブリエル。 現ローマ法皇・フランシスコの最側近にして、世界各国のキリスト教カトリック宗派を束ねる男。 普段はフランシスコの側近として、世界各国の外交調整役も担っている。カトリック内に於いても世界各国のカトリック宗派理事を勤めている。一見すると小柄な老人だが、長くローマ法皇をサポートしており、歴代の法皇を裏で操っていたといえば過言ではない。 アンウォールがガブリエルに呼び出されたのは、職務が終了する夕方だった。 夜間外出禁止が敷かれている関係上、大多数の往来はできないが、エクソシスト総隊長の自分だけにはどうしても見せておきたいものがある。 深夜、サン・ピエトロ大聖堂のピエタ像の前へ来られたし。 その連絡を受けてすぐ、アンウォールは夜間外出してまで来る必要があるのかとガブリエルに連絡を取った。答えは是。 なぜなら、もう長く安置しており、日中の太陽光でさらに劣化する恐れがあるため、夜間サン・ピエトロ大聖堂に来て欲しいとの返答だった。 「何分長くこの聖堂に置いております故、最近は腐食と劣化が進んでおりました。『あれ』は日中では開封することはできませんので」 ガブリエルの意味深な物言いに、アンウォールは眉を顰めた。 「『あれ』とは?」 「詳細は歩きながら説明致します。私について来てください」 そう言うと、ガブリエルは小型ライトを照らし、ピエタ像を通り過ぎ、奥の三番目の扉を開けてアンウォールを案内した。扉の奥は暗闇に覆われていて、ガブリエルのライトが前方を照らすのみだった。 「アンウォール殿もご存知の事でしょうが、貴方がたエクソシストは、いわば我等カトリック教徒の防衛隊。我等カトリックは『悪魔』の存在を長年に渡って肯定し、貴方がたの『悪魔払い』を黙認して来ました」 「何が言いたい」 ガブリエルの意味深な物言いに、アンウォールは彼の真意を探ろうとする。 それは入団時、各新入隊員全員に説明される事だ。アンウォールは、今更何を言うのかと老人を見た。 この老人、腹の底が知れない。 あの時だってそうだ。 淫魔王の番が魔界へ連れて行かれた情報を自分達エクソシストに横流ししたのはこの老人だ。ローマ法皇の前であんな三文芝居を打ち法皇の不安を煽らせておいて、自分達の出動を先延ばしにした。 現場主義の自分だが、若い頃にエクソシストに入団してから、この老人だけは得体が知れず毛嫌いしていた。 ガブリエルはアンウォールに見えないよう、一瞬だけニヤっと口角を吊り上げた。 「その『悪魔払い』の起源となった者が、この聖堂に安置されていると知ったら、アンウォール殿はどうされます?」 「ーーっ!?どういう事だ。『悪魔払い』の起源だと?」 意味深な言い方をするガブリエルに苛立ったアンウォールは、語気を強めガブリエルを問い詰める。 アンウォールの声量にガブリエルは振り向き、人差し指を口の間に立てて警告した。 「しー。お静かに。もうすぐ着きますよ。起源となった、女性がね」 「女性?」 二人はそのまま、地下へ向かう。大聖堂の地下は古代ローマ皇帝・ネロが当時異端だったキリスト教徒虐殺から教徒達が逃れるために作られた避難所だ。石垣に覆われて人目を凌ぐよう造られたそこはかなり広い空洞になっていた。 さらに空洞を進むと扉の無い狭い部屋に到着する。 「此方が、その女性です」 ガブリエルに見るように促されたアンウォールは、それに一瞬驚きのあまり息を止めた。 「ーーっ!」 そこにはガラス張りの棺が安置されており、中には綿が大量に敷き詰められている。中央に一体のミイラが手を合わせた状態で横たわっていて、皮膚が全体的に乾燥している様子からかなり古いミイラである事が予想できた。 「何だ・・・!?これは」 こんな物がこの聖堂内に安置されていたとは、アンウォールも入団して始めて知る真実だった。 「彼女はソフィア。中世期にある国の貴族だった方でございます。そして彼女こそ・・・先代の淫魔王の番であり、現淫魔王の王母であった方でございます」 ※※※ アンウォールは、目の前の老人がなぜこのミイラを自分に見せたのか分からなかった。 まだ信じられない。 この大聖堂は、イエス・キリストの遺体を保管している。それはキリスト教最大の権威を誇るこの聖堂の矜持に他ならない。 それが、淫魔王の番とはいえ一人の女性をミイラにしてまでここに安置していたのか。 「・・・なぜ、彼女を此処に?」 アンウォールは聞いた。 小柄な老人は、アンウォールに背を向けたまま口を開いた。 「エクソシストが『悪魔払い』を遂行する理由。それはこの女性のように次代の悪魔を産み落とさない為なのです」 「何だと・・・?」 「当時は、どちらかと言うと我等カトリックが異端の存在だったそうです。初期のエクソシスト団体は、彼女の国の防衛を担う兵士でした。彼女のように妖魔に狙われる女性は沢山いたようです」 時代は中世期。 1,400年代、当時のイングランド王国とフランス王国との間で長い戦争があり、一時期の休戦期に原因不明の病・ペストがヨーロッパ全土に猛威を奮った。ソフィアは、丁度ペストが流行していた時代、モスクワ大公国の隣国で生を受けたという。紺色の長い髪と美しいサファイアブルーの瞳は、本来素朴だが快活な田舎娘の彼女を狙って妖魔達は彼女を得ようと襲い続けていた。 彼女の身を案じた父は当時エクソシスト団体に入団したばかりの彼女の従兄弟にあたる青年と婚約し、彼女を生涯エクソシスト達が守り続けるよう結婚式を挙げるつもりだった。 結婚式当日、新郎と新婦となった彼女達を待ち受けていたのは。 ー淫魔王・アレクサンダー王だった。 「どうやら、アレクサンダー王はソフィア姫が結婚式を執り行う事を知っていたようでした。そして当日、新郎の見ている前でソフィア姫を魔界へ連れ去ったのです」 ガブリエルの言葉に、アンウォールは驚いた。 「ソフィア姫はその後、魔界にて淫魔王・アレクサンダーの番となりました。その後すぐ妊娠され、双子の男の子を出産されたようです」 しかし、とガブリエルは続けた。 「はじめは穏やかに暮らしていたのでしょう。しかし、徐々にアレクサンダーの術は解け、ある日彼女は淫魔の番となり尚且つ子を産んでしまった事で彼女は精神を病み、自死に至ったそうです。彼女を救出するためエクソシスト団体が魔界へ赴いた時には既に彼女はお亡くなりになっていたそうです。ご遺体はその時に人間界にお連れしたと。しかし彼女を返せと淫魔王が彼女の国を襲来。国は一夜にして焼き払われ住民は絶滅したそうです」 アンウォールは、ただ黙って聞いているしかなかった。 「此方に彼女が眠るのは、彼女を助け出せなかった事と理不尽に殺された住民達を忘れないための、我々の枷なのです。現淫魔王の番として魔界へ連れ去られた方も、同じ運命を辿る可能性があります。そうなる前に救出するのです」 「ならば、いつ魔界に行けばいいのだ。貴方が止めている以上、私には何も行使できないのはご存知でしょう」 ガブリエルは、ニヤリと一瞬笑う。すぐに戻ると、アンウォールを見上げて言った。 「もうすぐ、です。現在私の部下が情報を集めております。もう少し、お待ちください」 意味深かつ不気味なローマ法皇の側近は、それ以上言う事はなかった。

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