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「この際ですから、加賀谷の流派についてご説明いたします」  則之が一度立ってメモとペンを持って戻ってきた。 「加賀谷の一族に産まれた男子は必ず加賀谷の道場に所属します。例外は樺沢家ですが、男子は名前だけはまず弟子入りし、御用務めが忙しくなると抜けていきます。それ以外の家の者は一生弟子のままです」 「段とかあるのか?」 「段位ではなく三段のピラミッドのようになっております」  則之がさらさらと三角形を描いて二本の線を引いた。三分割した部分の横に文字を記す。 「一番下が“(かた)”、二番目が“()”、一番上が“(てき)”と呼ばれておりまして、その中で実力が競われます。そして“適”の頂点に立った、すべてを会得したと認められれば、いわゆる免許皆伝となり、このピラミッドからは抜けた者同士で稽古をいたしますが、技量を落とした者は“適”に戻されることもございます」 「桜木と滝川は違うんだろう?」 「はい。桜木と滝川、そして加賀谷ご本家にはその先の修行がございます。ですが、その内容を知るのはそれぞれの当主と後継者のみ。桜木であるわたくしも桜木の奥義のことは存じません」  則之がペンを置いた。遥はピラミッドをなぞり、頂点を指で示した。 「一族の中で俊介は頂点なんだろう? しかも天才?」 「天賦の才はもちろんですが、今の実力は努力の賜物です。“適”を突破したのが十歳六ヶ月で、桜木の奥義を習得完了したのが十二歳直前です」  遥は目を(みは)った。 「そんなに幼い頃に免許皆伝に達した? しかも奥義って更に難しい境地だろう。それを一年半で習得? 信じられない」 「事実でございます。奥義の修得が短期間だったのは、おそらく俊介の父俊明(としあき)が、それまでの稽古の中に少しずつ奥義習得のため教えを施していたものと思われます。直系の一子相伝でございますので、主、隆人様との御目見得が済んだ後から座学を含めて当主に必要なすべてを叩きこまれたことでしょう」 「俊介の場合は、文字通り叩き込まれたみたいだけどな」  遥が皮肉ると則之の顔が曇った。 「あれは子ども心にもおかしいと思いました。桜木は桜木本家で桜木一統のみの稽古がひと月に二回行われておりました。師たる俊明は、俊介に対してだけは異常に厳しく、わずかな判断ミスも許さず殴り、転ばしては足蹴(あしげ)にし、打擲(ちょうちゃく)しておりました。見ていてとても恐ろしかったです」  遥は顔を(しか)めた。 「誰も止めなかったのか?」 「両親に訴えたことはございます。しかし俊介は桜木の当主になるから特別なのだのひと言でした」 「湊は? 湊は違ったのか?」 「はい、湊はわたくしどもと同じ稽古を俊明からつけてもらっておりました」  遥は想像する。息子を容赦なく殴り、床に這えば蹴り、竹刀や木刀で打ちすえる父親を。自分の父親とあまりに違う鬼畜のような存在を。  そんなことをして子の性格が歪むとは思わなかったのか。  則之が言葉を続ける。 「隆人様も俊介に対する俊明の稽古には疑念を抱いておいでのようでした。しかし俊明に問いただしたところ、一刻も早く桜木の奥義を修めさせ、隆人様のお役に立てるよう鍛えているだけためと返されたそうで、それ以上強く出ることはできなかったとおっしゃっていました。ただ自らの従者である俊介の将来に危惧を(いだ)かれたのでしょう。隆人様は俊介を特に目をかけて気遣い、慰撫してくださいました。だからこそ俊介は隆人様をお慕いし、篤い忠義を尽くすようになったのだと存じます」 「隆人が幼い俊介を可愛がることが、俊介の救いになっていたわけだ」  隆人に対する俊介の忠誠は、父親への反発や逃避からいやが上にも増していったに違いない。その信義は隆人の命令とあれば犯罪行為に手を染めることをためらわないレベルだ。隆人のために遥を拉致監禁し、調教の手助けをしたのは俊介なのだから。  そう考えたところで気がついた。法律の枠から外れているのは俊介だけではない。加賀谷一族全体が遥の常識からすれば普通ではないのだった。歪んだ笑みが浮かびそうになる。

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