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第2話

 第一章 友と托卵  ノエルは花や緑が大好きな少年に育った。  他の精霊たちと遊ぶのも楽しいけれど、一番好きな時間は、ひとりで花咲く野原へ行き、ごろりと寝ころんで、青空を見上げることだった。  今日もアリステリア王国は晴天だ。  数ある竜の中でも、一番穏やかな性格をした赤竜の加護を受けているアリステリア王国は、ほどよく雨が降り、ほどよく曇りの日もあり、晴れた日も多かった。  ノエルは目が覚めると、世話係の精霊が作ってくれた朝食を食べ、ワンピースのような精霊の服に着替えて家を出た。お気に入りの野原へ行くためだ。  逸る気持ちで駆け出すと、ノエルはあっという間に野原に着いた。  実はノエルは足が速い。  というか、走る時だけ半分宙に浮いて、飛んでいるのだ。  他の精霊の中にも空を飛べる者がいるけれど、羽もないのに空が飛べる精霊は珍しい存在だった。  本人は自覚していないが、ノエルは精霊の中でも特別な存在だ。  精霊はエーテルの泉、または精霊夫婦から誕生する時、一つだけ『言霊』という超能力のようなものを授かる。  しかし、二つも言霊を持って生まれてくる精霊は、数百年に一度しか生まれないのだ。  よって長の命令で世話係がつき、人間界でいう『王子』のような扱いを受けていた。平和な国なので、護衛がつくような窮屈な環境ではなかったが。 「わぁ、今日もやっぱり綺麗だなぁ」  緑が美しい野原に着くと、両手を広げて深呼吸をした。  すると、若草や花の香りがたくさんして、自然とワクワクしてくる。  そうして大地の上に転がると、土の香りもして心がホッと安らいだ。 「今日もいい天気。とっても素敵な青空だ……」  天を向いて大の字になると、目を閉じた。  自然の香りと爽やかな太陽光をしばらく満喫すると、ノエルは趣味である珍しい花探しを始めた。  この地はエーテルに満ちている。  エーテルとは目には見えない空気のようなものだけれど、生命に活力を与え、また大地の奥深くに眠る鉱物を作り上げていた。  特にエーテルを食料とする竜の中でも、優しい性格をした赤竜が守るこの国は、数えきれないほどの植物が芽吹き、咲き、息づいていた。  そんな麗しい大地に咲く珍しい花を見つけては、押し花にして、帳面に張りつけて眺めるのが、ノエルの最大の楽しみだった。 「このお花は、この間摘んだしなぁ……」  四つん這いになり前進しながら、丁寧に珍しい花を探していく。  ノエルは鼻もよく利く。  だからいい香りがする花は、特に好きだった。 「ん?」  ふわっと吹いてきた風に乗って、ノエルは蜂蜜のような甘い香りを嗅ぎ取った。  これは今まで嗅いだことのない香りだ。  その香りを追って、ノエルは甘い香りがする方へ飛ぶように駆けていく。  すると丘の天辺の……崖の縁のさらに下から甘い香りを放つ、白く美しい大輪の花を見つけた。 「これは、ばば様が言っていた煌珠草(こうじゅそう)かもしれない!」  この時期に数日だけ咲くという大輪の白い花があると、以前長から聞いたことがある。  蜂蜜のような甘い香りを放つだけでなく、煎じて飲むと病に罹った者でもすぐに元気になるという、エーテルの塊の花だと。 「これを摘んで、ばば様に見てもらおう!」  そして煌珠草だったら煎じてもらい、血痰を吐くようになったという世話係のシーナの母に飲ませてあげようと思った。 「んーっ!」  しかし、小柄で少年のような身体をしたノエルでは、煌珠草らしき花に手が届かない。 「あと、もうちょっと……」  必死に身体を伸ばすけれど、花を掴むことができず、もう少し、もう少し……とじりじり崖の下へ身を乗り出す。  すると岩場に咲いた花に、中指の先が微かに触れた。 「届いた!」  そう口にした時には、ノエルの上半身のほとんどは崖から落ちそうになっていて、もう片方の腕で身体を支えるのが限界だった。  しかし、もう少しで花の茎に手が届く……。  甘い香りがする花に夢中だったノエルは、自分の限界である体勢以上に身を乗り出してしまっていた。 「うわぁっ!」  その時、限界を迎えた片手から力が抜け、ノエルは白い花を掴んだまま、崖から落ちていった。深い深い谷底へと。  全身を打つ痛みを想像し、ぎゅっと花を握り締めて、覚悟した時だった。  きらりと赤い光が矢の如く飛んできて、ノエルをパクッと咥えたのだ。 (えっ? なになに? 何が起きたの?)  全身を谷底に打ちつける覚悟でいたノエルは、気がつくと安全な野原の上にいた。  優しく下ろされて、ぺたんと座り込む。 『あなたは飛ぶことができるのに、なぜ飛ぼうとしなかったの?』 「僕って、飛ぶことができるの!?」  心の中に直接声が入ってきて、ノエルは赤い矢の正体を見上げた。  それは赤竜だった。  美しく潤んだ金色の瞳が、優しくノエルを見つめる。 『そうよ。あなたは特別な力を秘めた特別な精霊なの。それなのに気づかないなんて、面白い子だわ。だから、いつも天上界から眺めていたのよ。数百年にひとりしか生まれない、ブルーローズの精霊を』 「そうだったんだ……でも、ありがとう。助けてくれて。おかげでお花も摘むことができたよ」 『まぁ、あなたったら自分の命や能力の開花より、花を摘んだことを喜ぶの?』 「そうだよ。だってこの花が煌珠草だったら、病気に罹った精霊に飲ませてあげることができるもの。そうしたらあっという間に元気になるよ!」 『自分のことより他者の命を思うなんて、本当に面白い子ね』 「そうかな? 僕にとっては普通だよ?」  愛らしい顔に笑みを浮かべながら、ノエルは花を落とさないようにこめかみに差すと、両手で赤竜を「いい子、いい子」と撫でた。 「本当にありがとう! 助けてくれて。僕の名前はノエル。君の名前は?」 『私の名前はファルタ。赤竜界の女王よ』 「へぇ、女王様なんだ。そんなに偉い竜なのに、僕みたいな小さな存在を助けてくれて、本当にありがとう」 『ノエルは、私が女王だと知っても、怯んだり驚いたりしないのね』 「しないよ。だってもう友達だと思っているから」 『友達?』 「うん! 僕を助けてくれた大事な友達のファルタ! もう大好きになっちゃった」 『人懐こい子ね。前々からそう思っていたけれど、本当に不安になるわ。変な精霊や人に騙されてはダメよ』 「はーい」  そう言いながらも、大輪の花をこめかみに差したまま、ノエルは自分の身体の十倍はある大きな赤竜の頭を、鱗に沿って撫で続けた。 『あぁ、嬉しいわ。誰かにこうして撫でられるなんて、女王になってからはなかったから……』 「そうだったんだ。それは寂しかったね」 『私、寂しかったのかしら?』 「女王様は孤独? それともたくさん友達はいるの?」 『わからないわ。もう記憶が曖昧になるほど昔から女王だったから。でも孤独だったのかしら? あなたの手がこんなにも愛しくて、嬉しく感じるのだから』 「じゃあ、僕たちはやっぱり友達だね。また会える?」 『えぇ、あなたが天に向かって呼んでくれれば、すぐに会いに来るわ』 「嬉しい!」  満面の笑みで、ノエルはファルタの太い首に抱きついた。  赤竜の鱗は扇形で、ガーネットという鉱物でできている。それを長から聞いていたノエルは、今まさに実感していた。  温かいぬくもりは感じるけれど、ファルタの身体は石板のように硬くて、キラキラと宝石のように輝いているからだ。  いや、実際人間たちは、生え変わるために天から落ちてくる赤竜の鱗を宝石として、大事にしているらしい。 (身体は鱗で硬いけど、優しいぬくもりがするなぁ……)  そう感じながら、ノエルはそっと赤竜の友達から腕を離した。 『ごめんなさいね。私はこれから大事な用があるの。だから雲の上にある国へ帰らないと』 「ううん。また会えるんだもの。寂しくないよ。今度は空の飛び方を教えてね、ファルタ」 『そうね、一から教えてあげるわ』  微笑むと、ファルタはふわりと浮き上がり、高い高い雲の上へ赤い光となって、消えていった。  その様子を見届けたあと、急にノエルは身震いがした。 「……うわぁ、僕、赤竜の友達ができちゃった! しかも女王様だって!」  一緒にいた時は感じなかった緊張が急に襲ってきて、ノエルはその場で何度も足踏みをした。 「すごい、すごい! シーナやばば様に報告しなきゃ!」  この地の精霊と、赤竜は友好な関係を築いていた。  しかし、赤竜は精霊たちにとって神のような存在なので、敬意を持って一定の距離を保っていたのだ。  けれども人懐こいノエルは、赤竜の女王と友達になってしまった。 「うーん……でも黙っておいた方がいいのかな? みんなをびっくりさせちゃうのは悪いことだよね」  これは精霊界をざわつかせる、珍事になるかもしれない。  そう考えて腕を組んでいると、亜麻色の髪を三つ編みにした若い女性の精霊が、遠くの方から大きく手を振っていた。 「ノエル様ー、もうすぐお昼の時間ですよーっ!」 「はーい!」  わざわざノエルを迎えに来てくれたのは、世話係のシーナだ。 「そうだよ! シーナ! この花って煌珠草かな?」  大きな声で叫びながら、ノエルは空を飛ぶようにして駆け出した。  命がけで取った白い花を、こめかみから抜き取りながら。

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