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第2話

 掃除ロボットは、普段は隠れて見えない胸のポケットにキーホルダーをしまうと、後で遺失物取扱所へ届けようと脳内メモリに記憶した。そのとき、掃除ロボットの瞳があるものを捉えた。青い蝶だ。どこから迷いこんできたのだろう。この時代、生きている虫を目にすることは珍しかった。薄青い翅は透き通るように淡く発光していて、微かに震えている。まるで掃除ロボットの存在に気がついて、喜んでいるかのようだ。掃除ロボットの胸のライトが点滅した。このままでは誰かに踏み潰されてしまうかもしれない。  掃除ロボットは滑らかにフロアを移動した。地面にじっと止まっている蝶を脅かしてしまわないよう、アームを動かしたときだった。急ぐように正面からくる人間の足が、避けることもなくそのまま蝶を踏み潰そうとした。  危ない。  掃除ロボットのアームが伸びる。人間の足から蝶を庇うように手を差し込むと、行き場を失った人間の足がその場でふらついた。 「ばかやろう! 危ねえじゃねえか!」 「申し訳ありません。お怪我はありませんでしょうか」  男の声に驚いたように、蝶はどこかへ飛んでいってしまった。  よかった、無事だった。  機械のボディに何も変化は表れなかったが、掃除ロボットは内心でほっとしていた。 「ふざけんな! お前のせいでコーヒーが服にかかちまったじゃねえか!」  男の怒鳴り声に、人々が何事かと足を止める。しかし、その場にいるのが若い人間の男と、使役ロボットであることに気がつくと、急に興味を失ったようにそれぞれの用事へと戻っていった。 「ああ、本当ですね」  男の言うとおり、床には自分とぶつかって零れたコーヒーと、男の足元には跳ねてかかったらしい茶色い染みがついている。白いパンツを穿いているので、コーヒーの染みはひどく目立った。 「すぐに片付けます」  床に広がったコーヒーをモップで拭こうと、掃除ロボットが視線を下げたときだった。突然胴体のあたりに、強い衝撃を感じた。 「すぐに片付けますじゃねえんだよ! このポンコツめ! お前みたいな役立たず、通報してスクラップにしてやろうか!」  白いパンツの男は掃除ロボットを何度も蹴り上げた。そのたびに、掃除ロボットは胴体に衝撃を感じた。  男の言うことはもっともだった。自分はロボットが世の中に出始めたころのいわばプロトタイプで、見た目も機能も最新型とは比べものにならない。最近では雨の日になると動作に不具合が見られるようになり、メンテナンスをしてもらってかろうじて正常に動作する始末だった。いつスクラップにされてもおかしくはない。 「申し訳ありません。使役ロボットに関する苦情でしたら、問い合わせ番号はA0011587までお願いいたします」  掃除ロボットにしてみたら、至極当然のことを伝えたつもりだった。しかし、男はその態度にバカにされたと感じたのか、ますます激昂した。

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