10 / 41
第10話 突然の来訪
それからの一週間は奏太と顔を合わせることもなく、静かに過ぎていった。まるで先週末からの大騒ぎが夢の中の出来事のようにさえ思えてきた。
日曜日になり、朝からいつものように戦闘服であるスーツを身に付け、家を出ようとしたその時に携帯がなった。
「はい?」
「はい?じゃないでしょ、今日は何時に帰ってくるの」
母親からの電話で自分が何を忘れていたのかを思い出す。……帰れないと電話していない。
「ごめん。母さん、急な仕事入って今日はいけない」
「え?何言ってるの。仕事って、なんとかお夕食までに帰ってきなさい。」
「帰宅時間も読めないから無理。来週、多分来週なら行けると思う」
「そういう話じゃないのよ。お相手の都合もあるし。」
お相手……騙し討ちという事か。二年前の失敗以来、なりを潜めていた結婚しなさいという助言のような呪いがまた発動したということだ。
「母さん、俺さ結婚には向いてないって言わなかったっけ。仕事が恋人のようなものだから、今は無理だよ」
「無理、無理って。先方のお嬢さんに会ってもみないで何言ってるの。あちらはかなり乗り気なのに」
ああ、嫌だ、嫌だ。やっと新しい一週間が始まろうというのに、なぜこうなる。俺、今好きな人いるから。そう言えばこの場は切り抜けられるのか。
……好きな人……か。
ふとおかしくなる、なぜか奏太のことを考える自分に焦る。今頃、大野たちと出かけているはずなのだ。
なんだろう、このマイナスの感情は。イラつきと焦燥のような感情に駆られて呼吸のリズムさえ失う。そうだ、もう踏み出さなきゃいけないんだ。
「もし……その女性がいいと母さんが思うなら、俺結婚するよ。それでいい?」
「瑞樹、結婚するのはあなたなのよ。ちゃんとお会いして……」
「会うよ、来週必ず時間作って。だから、こういう騙し打ちのようなのは無しにしてくれる?結婚すれば、納得してくれるんだろうな」
「もしもし、瑞樹?誰を納得させるために結婚するの?母さんが結婚するわけじゃないのよ」
そう、誰を納得させたいのか。今、俺自身が一番聞きたい質問だ。
「とにかく来週末の昼。場所は、どこでもいい。直接そこへ行くから連絡して」
電話を切ると、力が抜けた。別に意地になっているわけじゃないけど、もう何もかもが面倒くさいのだ。
アパートを出ると、電車に乗り込む。休日の中途半端な混雑の中、つり革につかまって揺られながら、考え事をする。
結局その日は、タクシーでクライアントをホテルまで送り届け夕食のアテンドをした。帰り着いた時は、時計の針は既に十時を回っていた。
疲れた、今日は早く眠ろうと、階段をのろのろと上がった。そして上がりきった時に、手前の蛍光灯が切れた玄関の薄明かりの中に人影を認めて心臓が止まりそうになった。
「おかえり、遅かったね」
「奏太、お前ここで何してんの……」
「何って、待ってたんだけど?」
「待ってたって……」
奏太は薄緑の麻のシャツに白のチノパンという姿で、壁に寄りかかり立っている。
「今日、瑞樹の顔を潰さないようにちゃんと出かけて来たよ。疲れた、上げてくれないの」
奏太は相変わらず、迷わない目でまっすぐ俺を見つめている。この目が怖い。何を考えているのか、まるで解らない。
「俺の顔を潰さないって、どういう意味だよ」
「言葉の通りだから、くたびれたから少し付き合ってよ」
そう言うと、笑って手に持っていたアルコールの入ったコンビニの袋を持ち上げて見せた。
ともだちにシェアしよう!