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第37話 甘露

 「瑞樹……今日、会社は……?」  「休んだ」  「そうか……休んだんだ……俺ね……自分が怖いんだ」  「え、何が?」  「今、誰を傷つけるとしても瑞樹の手を離したくない……たとえ誰を苦しめても、そう思っている。こんなに自分が強欲だとは思わなかった」  「もう丸ごと引き受けたから、いいよ。俺たち遠回りは十分しただろ」  「でも……ん」  うるさい口は塞ぐに限る。こんな話を二人並んでする余裕が今はない。奏太は驚いたような目をして俺を見た。  「瑞樹、本当にいいの?」  答える代わりにもう一度深く口付けて、ゆっくりと口内を舐め上げる。  「ふ……」  奏太の目尻が赤く染まる。瞳には薄い膜が張っている。それは今にも破けて、はらりとこぼれ落ちそうだ。  「俺は何が正しくて何が間違っているのかわからない。今までのお前の選択も俺の選択も。でも、今は一番進みたい道を選ぼうと思うんだ、お前は?」  「何を犠牲にしても離したくない。嫌だと言われても……」  「それ、俺には勿体無いくらいの答えかな」  正直になる。過去は変えられない。けれど未来は選択できる。今、間違えてしまったらまた辛い過去を上塗りするだけ。  考えると気が重くなる現実はある。けれど、そこから逃げていても活路は見いだせない。だから、今を大切にして、目の前の奏太に真剣に向き合う。俺にはそれしかできない。  幾万の言葉を紡いでも触れた肌から伝わる想いにはかなわない。  だから言葉より先に肌を重ねる。重なる時の中で、重ね合う肌の温もりはこんなにも甘くて切なかったのか。  俺達の交わりは常に互いの温度が違っていて、傾いたバランスのままの繋がりだった。でも今は、二人の心音が同じ速度で加速していく。同じ温度で同じく速度でお互いを求めている。  「瑞樹、ありがとう」  囁くような言葉が降ってきた。その瞬間に一気に体温が上がり身体が総毛立った。  「どうしよう、今ものすごく奏太が欲しい」  奏太はこくんと小さく頷いた。

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