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第9話
「……ふん。別に告げ口するとは思ってないが」
父さんは、鼻を鳴らした。
「しかし残念ながら、答はゼロだ。俺には、オメガを口説いた経験が無い」
「はあ? 嘘だろ」
俺は、即座に言った。結婚当時、父さんは三十二歳。子供の俺が言うのも何だけど、アルファでイケメンで、政治家兼弁護士というハイスペックさ。母さん以外に付き合った相手がいないなんて、とうてい信じられなかった。
疑わしそうな顔をしていると、父さんは俺をじろりと見た。そして、けろりと言い放った。
「俺は、息子に嘘なんてつかないぞ。これだけは確かだ。『自分から口説いたことはない』。これまで一度もな」
「……ああ、そういうこと」
俺は脱力した。確かに父さんなら、男でも女でも、いくらでも向こうから寄って来るだろうけど……。
(何だか、馬鹿馬鹿しくなってきたな……)
俺は、ため息をつきながら席を立った。
「じゃ俺、明日の予習があるから。話、聞いてくれてありがと」
ああ、と父さんはあっさりうなずいた。
「気になるなら、その子とは腹を割って話してみることだな。大切な相手との対話は、おろそかにしてはダメだぞ?」
「――! だから……。まあいいや。ちゃんと話すから、安心して」
にこにこしている父さんを軽くにらんで背を向けた俺だが、そこでふと気づいた。
(ん? 父さん、これまで一度もって言ったよな?)
つまりそこには、うちの母さんも含まれるのではないか。一瞬の思考停止の後、俺は絶叫しそうになった。
(嘘だろ――!)
いやまさか。ツンデレ選手権に出れば優勝候補になりそうな、あの母さんが? 自分から、父さんを誘ったってか? ヒートだろうか。それで我慢できなくて、とかだろうか……?
(いや、止そう)
俺は、それ以上の想像を強制的にストップした。両親のそんな場面は、決して思い描きたいものではなかったからだ。
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