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第43話 桜の宮にて

 俺には物心つく前から父親がいなかった。母さんは、私立のこども園を経営していた婆ちゃんのあとを引き継いで園長兼経営者として忙しくしていた。  だから俺は婆ちゃんと一緒に過ごすことが多くて、優しい婆ちゃんが大好きだった。  雄吾や蒼士も仲良くしてくれて、二人の家族とも仲が良くて、婆ちゃんが亡くなってからも、特に寂しいって感じたことはなかった。  俺も将来は母さんを助けようと、保育士の道に進んだ。俺が専門学校に通い始めた頃、母さんを頻繁に訪ねてくる人が現れた。乗り気でない母さんを何度も根気よく説得していた坂又さん。その内、幸せそうに笑うようになった母さんを見て、再婚に反対する理由もないし、むしろ歓迎した。  母さん達が正式に再婚したのはこの夏で、母さんは坂又さんの家から経営するこども園に通うようになり、俺はもともと住んでいた一軒家をそのまま貰い受けて一人で暮らしはじめたばかりだった。  そう、まだ再婚して1か月もしてないのに…。  母さんが突然離婚すると電話で言ってきた。  まだ新婚旅行だってつい最近帰ってきたばかりでなに言ってるんだか。と、思いつつ、生返事に「好きにすれば良いよ。俺は母さんについていくよ(味方だよ)」と、言った記憶は異世界に来るあの日の早朝だったような気がする。 「まぁまぁ、立ち話もなんだから、宮に行きましょうか。あぁ、3人とも大きいままだと鬱陶し…、こほん。不便でしょうから、人化の許可をあげるわ。ついでに、服もサービスね。」  母さんがそう言うと、黒いロープ?で縛られていた銀様たちが、狩衣(かりぎぬ)と袴を身につけた人の姿になった。  う、めっちゃ興味のある銀様の人の姿なのに、俺の頭のなかはぐちゃぐちゃだよ。  それにしても、三人ともに体格が良いから、良くお似合いで…。 「カイリよ、うっさいわ。念話を閉じろ。」  俺の鼻先を弾くのは、ひときわ大柄な体格の、群青色の短髪に赤い目の男の人。アッシュ?。 「おう。」  ちょっと後ろにいるのは、金髪の、金髪の背の高いお兄さんは…。あ、あ、不意に記憶が溢れだす。 「ぎ、銀様があの時のお兄さん?。レオ…レオンハルトさ、ま?。」 「ああ、思い出してしまったか?。こんなに早くこの姿で会えるとは思っていなかったよ。」  俺、頭がうまく回らない。  そんな俺に、銀様でレオンハルト様なお兄さんが俺の頬を撫でてくれた。  お兄さんの姿の時は、本当の名前を呼びたい。でも、トラブルになるから呼ばない方がいいのかな? 「ふふ、銀でも、銀狼でも、レオでも呼びやすい名前で良いぞ。」 「良いんですか?。人の姿の名前を呼んでも。」  お兄さんが優しく微笑みながら頷く。  俺は嬉しくて、銀様なお兄さんに飛び付くと、お兄さんも俺を受け止めて、頭を撫でてくれた。  撫でられるとちょっと嬉しい、と言うか、たくさん嬉しい。 「念話がうっせーわ、カイリ。と、銀狼。とっとと行くぞ。」  俺の頭を軽く小突いた、緑がかった金髪ロン毛のツヴァイルが俺達を追い越して、母さんの方へ歩く。 「あ、待って、ツヴァイル、俺をかばってくれてありがとう、怪我は?、血、出てない?。流水で洗って手当てを…。」  俺がツヴァイルの方に向かおうとすると、銀様に手を取られて、腰を引き寄せられた。 「これくらいなんともないわ、ほら行くぞ。」  ツヴァイルは、後ろ手に右手を振り、行ってしまう。  俺と銀様は、みんなの後に続いて桜の巨木まで歩いて行った。俺の隣を歩く銀様。 「な、なんか不思議ですね。こうしてレ、レオンハルト様と話せるなんて。」 「様は要らない。レオと呼び捨てで良い。しゃべり方も普通で良いぞ。  女神の許可だからな。この姿もたぶん今だけだな。」 「そ、そうなんだ、ですか。え?、わっ、ひゃいっ。」  へ、変な声が出てしまったっ。 「ふはっ、変な声。くくくっ。」  お兄さんが目尻を下げて笑う。 「なっ、突然ほっぺた舐めるからだろっ。」 「おまえが、緊張しているからだ。ほら、緊張をもっとほぐしてやる。」  レオ様なお兄さんはそう言って俺の顎を手に取ると、俺の鼻を舐め、唇を舐めた。 「や、や、や、やめっ。やめっ。」  くーっ、俺の顔が熱い。きっと赤くなってしまってるっ。  もうっ、レオ様なんか…。 「レオだ。様はいらない。」  「ひゃいっ。」  くっそー、レオにまた鼻を舐められてしまった。 「ふふっ、ほら、練習だ。名前呼んでみて。」 「れれれれれ、ぉ。」 「くくくっ。」  照れて立ち止まりがちな俺の腰を引き寄せて、桜の巨木へと歩く笑い上戸のレオに、なにも言い返せられない俺だった。  * * * 「さて、何から話そうかしら?。」  母さんが座卓に出した紅茶を飲みながら、切り出す。  ここはまさに俺の家だった。もちろん、紅茶をいれて茶菓子を出したのも、俺。  日本家屋な我が家。はじめてのお客様だからと、客間でもある座敷に通しはしたものの、正座している三人と、呆けた顔の坂又さん。なんか、部屋が狭く感じる。リビングにすればよかったかなぁ…。 「母さんは、坂又さんと結婚したときに、坂又さんちに引っ越したよね?。なんで俺の家が桜の木の中に?。」 「あらっ、私がしーちゃんと別れて実家に戻るって言ったら、ついてくるって言ったのは海里でしょ?」 「いやいや、母さんの実家はここだろう?。ついてくるもなにも、俺は母さんが再婚してからもここに住んでたし。」 「!。さ、櫻子さん、誤解です。別れるなんて言わないでください。」  坂又さんが身を乗り出して、母さんに訴えている。 「嫌よ。私より翠子の方が良いんでしょ。もう別れるって決めてるから。」 「そ、そんなぁ。」  い、いたたまれないなぁ。アッシュなんか寝てるんじゃないのか?坂又さんには悪いけれど、夫婦の話は後にして貰おう。 「母さんはここの世界の女神なの?。」 「そうよ。私は五大神の一人。桜の宮なの。改めて言うと、ちょっと照れちゃうわね。」  と、言いながら微笑む母さん…。 「俺を召喚したのは、母さん自身?。俺、あっちの世界に戻りたいんだけど…。」 「再離婚を決めた日に、しーちゃんが勝手に私や海里に介入して来れないように、桜の宮にこの家ごと引っ越したの。海里も良いって言ってくれたわよね。」 「いや、だから、こんな異世界に来るとは思わないだろう?。母さん、俺仕事してるんだよ。子ども達への責任もある。こんなことで園に迷惑かけられないよ。」 「なっ!、カイリは子持ちなのか?、まだケツに殻を付けたヒヨコの癖に、何人ガキ作ってんだ?」 「いや、カイリは処女だぜ。子どもなんて作れんて。」 「ツヴァイルもアッシュも失礼すぎ!。俺はこれでも社会人なの!。」 「ほうっ。カイリの世界は処女の17歳でも子持ちでとやらになれるのか。すげえな。」  だ、だれか、このセクラハラ大王とパワハラ偏見のカオスから俺を助けて…。 「は、話を戻すよ。  俺は実は23歳で、俺の世界では成人していて、子ども達を預かる仕事をしているんだよ。年を、ごまかしていて済みませんでしたっ。」 「で、再婚した母さんが再婚相手の坂又さんと別れる、実家に戻るって言うから、母さんの好きにして良いよって言ったら、この始末でしたっ。」 「オルさんが心配していたような、誰かが何かの目的のために召喚された神子ではないってことだよね?母さん?。」 「まぁそうね。」  母さんは紅茶を飲みながら、話をつなぐ。 「で、私が実家に戻るついでに、海里の嫁ぎ先候補にレオン君を推したら、断ってくるから、呪いをかけてやったのよ。」  母さん、爆弾の威力がすごすぎて、みんなの目が点です…。

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