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第30話

 両親ともに日系のギリシア人で海運王の後継者だとか、自身も貿易商を営み、欧州と日本を商用で始終行ったり来たりしているとか。並外れたバク才はカードで稼いだ金を元手に巨万の富を築いた父親譲りだとか。  アテネ空港におれを迎えにきていたアルファ・ロメオに押し込まれて設楽が所有するクルーザーを預けてあるマリーナに向かう道すがら、ハンドルを握る当の本人から「設楽・イアニス・鷹彦の基礎知識」みたいなものを聞かされたけれど、華やかな経歴に興味はない。  地球を半周した甲斐もなく、属性・わんこのにはやっぱり会えなかった。淡い期待は期待倒れに終わった以上、長居は無用だ。  クルーザーは二十ノット程度の低速で夕凪の海を進み、オリーブの畑と鮮やかな対比をなす白壁の家が斜面に建ち並ぶ島影が見え隠れしては、遠ざかっていく。  設楽はウゾで喉を潤すと、何かを言いかけて口ごもる。  およそ遠慮する柄には見えない男が。 「昨年の暮れ……商談と観光を兼ねて日本に滞在していた間の後半部分はおぼろげだが、だが、わたしはきみと暮らしていたね?」 「暮らしてたかもね。英雄きどりで放火魔をとっちめて、返り討ちに遭うダサい人と」  ポーカーでぼろ負けした腹いせにカジノに火を放とうとしている男に出くわした設楽は、男を取り押さえたものの油断につけ込まれて、鉄パイプで頭をガツンとやられた。  記憶が抜け落ちるに至ったいきさつは大体こんなところで、脳のメカニズムは複雑だ。  と、設楽が革の手袋をかなぐり捨てた。 「きみは、わたしに魔法をかけたのか。わたしの中にいる別のわたしが邪魔をするように、こんな安っぽい銀メッキの指環がどうしても外せないのは、きみの仕業か」 「嵌めて……くれていたん、だ……」  運命の悪戯で生き別れになっても、必ずおれに会いにくるという〝指環の誓い〟を守るためにが意識下でがんばりぬいた……? 「忌々しい話だ。絶世の美女といい雰囲気になったときですら、おでん……だろうか大根をぱくつくきみの面影が脳裡をよぎれば口説き文句を失念するありさまだ」  ウゾを設楽に浴びせかけた。利き腕を犠牲にしてでも会いたいと(こいねが)う『おれのわんこ』の魂が、きらきらしい思い出を(けが)すタラシの(うち)に宿っているなんて、悪い冗談だ。 「船を港に! でなきゃ泳いで日本に帰る」  啖呵を切りざま甲板を突っ切り、手すりを跨いだ。波しぶきに洗われてぬらぬらする船べりを船尾のほうにずれて、前にのめる。 「命知らずにも程がある。スクリューに巻き込まれでもしたら冬哉、海の藻屑だ」 「上から目線が、ウザいんだよ!」

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