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ep.9

 オフィスの敷地内に来ていたキッチンカーでそれぞれに飲み物を買った二人はオープンテラスに席を移し、互いに目線を合わすことなく少しだけ黙りあった。 「──ごめん。奥秋の大切な友達だったのに、俺なんかが傷付けて……」  先に沈黙を破ったのは真柴でその目元はなんとなく赤い。 「いいよ。こればっかりは仕方ない。俺がちょっと焦って余計なことしたせいだ。二人には悪いことしたな……ホントごめんな」 「ううん。俺はいいんだ。俺は皆の優しさに甘え過ぎて……花瀬くんの気持ちを俺は弄んだ」 「真面目かっ。花瀬はお前のそんな隙を狙ったの。恋愛はなんてのはお互い様。お前だけが悪いなんてことはないの。もう反省するのはやめなさい、もう充分だから」  奥秋はペシペシと冗談ぽく真柴の頭を叩く。  真柴がようやく顔を上げて見ることが出来た親友の表情には怒りなんて微塵もなくて余計に真柴は胸が苦しくなる。 「なあ、栗花落。俺はあのガキのことやっぱ気にいらないけど結局決めるのはお前だから、お前がアイツを選ぶって言うなら俺はもう止めないよ」 「……俺がキイチを選んでも、キイチは俺を選ばないよ」そう儚げに真柴は笑う。 「でもお前の中に溜まりに溜まった想いを相手にぶつけるくらいはしてもいいんじゃないのか? お前は結局他の奴を選べないんだから、一回思い切って当たってこいよ。当たって砕けたらその時はまたお前が飽きるまで付き合ってやるから」 「奥秋……」 「泣くな泣くなっ、そんな真っ赤な目してたら部署に帰れなくなるぞっ」  奥秋は真柴の頬をぷにぷにと指で摘んで明るく笑った。 「泣くよぉ〜、なんで奥秋ってそんな優しいんだよ〜」 「それはお前がいい奴だからだよ、栗花落。お前はもっと自分を褒めていい。いつも真っ直ぐで真面目で頑張り屋で、そんなお前だから俺も周りも助けたくなるんだ。それってお前の持ってる才能なんだからな」  何かが目の前で弾けたかのように真柴が奥秋を突然見るものだから奥秋は黙って首を傾げる。 「──同じようなこと、この間夏目さんにも言われた」 「ならこれでますます信用度上がったな」  満面の笑みの奥秋は大きな両の手で真柴の顔をわざと強めに挟んだ。 「あっ、こらもう泣くなって」  真柴は奥秋が慌ててわあわあと騒ぐのでそれがかえっておかしくて涙が出るのに声を出して笑ってしまった。  梅雨の開けた7月初旬、真柴にメディア部異動の辞令が降りた。  夏目が気を利かせて事前に意思を確認してくれていたので真柴はもうマーケティングデータ部に未練はなかった。あのままいればいつか身体も心も壊して会社を辞めていただろう。  Ωだから負けたくないと自分の実力以上の仕事を引き受けるのは結果として周りにも迷惑をかけることになるのだとようやく大人としての決断がついたのだ。  奥秋も異動の話を聞いて安心しているようだったので彼もずっと真柴の身体のことを気にかけてくれていたのだ──。 「栗花落さん、ランチ行きましょう〜、今日夏目さんが奢ってくれるって言ってますよー!」 「マジですか、行きますっ」 ──真柴はノートパソコンの画面をゆっくり閉じると顔を上げ、自分を呼ぶ仲間たちの元へと駆け寄り、肩を並べて歩いてくれる彼らとその一歩を前に踏み出した。 「おい、あんま高いの頼むなよ」 「高いものってここのメニュー全部お財布に優しいじゃないですかー」  夏目の行きつけの美味い安いでこの界隈の会社員たちに圧倒的人気の定食屋で同僚女性の(ます)は明るく笑う。  店内は昼休みの会社員たちでひしめき合い、愛想の良いおばちゃんが笑顔で手際よく料理を運んでいる。  眺めているとその笑顔が真柴にもうっかり移りそうになる。 「栗花落さん決まった?」 「そうだなー、あ、唐揚げ定食美味しそう……」  そう口にした途端急な吐き気が真柴を襲う。 「ごめんっ……」真柴はメニューをうまく片付けられないまま慌てて店の外に飛び出し、歩道にある標識の鉄柱に手をかけて胸を押さえる。  外の空気を何度か深く吸ってそれはいくらか落ち着いた。青白い顔で振り返ると夏目が心配そうに立っていることに気付いた。 「──真柴……お前……」 「……お騒がせしてすみません。もう大丈夫です。急に気持ち悪くなっちゃって……なんだろ」 「お前ちょっとここで待ってろ」 「──え?」  夏目は幾らか部下たちに金を渡すと真柴だけを連れて会社に戻った。  背中を押して真柴を歩かせ続ける夏目の意図がわからなくて何度も問うが夏目は険しい顔をするだけで何も答えてはくれなかった。  二人はそのままオフィスのビルまで辿り着き、一階の共用フロアのトイレの前で夏目がここへ戻る途中に寄った薬局で買っていた小さな紙袋を押し付けるように真柴に渡す。 「なんですか……?」  真柴は吐き気止めか何かと思い、中を開けるとそれは真柴の全く想像をはるかに超えるものだった。 「夏目さん、これっ」 「妊娠検査薬だよ。今すぐそこで確認してこい」 「なっ……こんなの要らないです。俺妊娠なんてしてませんよ」 「なんで言い切れる、お前キイチと寝てたんだろ? 俺が知らないとでも思ってたのか?」 「それは、でも……っ」 「いいから」と夏目に促され真柴は重い足を動かしてしぶしぶトイレに入った。  個室に入った途端急に恐ろしくなった──。  そんなはずないと思う反面、もしそうだったらどうしようという恐怖が真柴の全身を襲う。緊張と共にどんどん早く動き出す心臓の鼓動が頭にまで響いている。  結果を見るのが怖くて待つ間ずっと真柴はきつく目を瞑っていた。検査薬を持つ手がずっと震えたままだった。  それでもすぐにその時は訪れて真柴は恐る恐る瞼を開く──  夏目が神妙な面持ちでトイレ傍のソファに座って真柴の帰りを待っているとユラユラと歩いてくる真柴が見えた。夏目はすぐに立ち上がり自分から真柴へと急いで歩み寄った。 「な……夏目さん……俺、どうしよう……」  潤んだ瞳とその発された言葉で夏目は全てを察した。膝の震える真柴をソファへゆっくり座らせ落ち着かせるように肩を何度も撫でてやる。 「キイチにちゃんと話せ」 「無理ですそんなの、俺たちそんなんじゃないんです。キイチは……Ωなら誰でも良かったんです……たまたまそれが俺だったんです。それにあの子はまだ高校生で……」 「それでも話せ。お前一人の問題じゃないだろ」 「無理です──無理……俺、堕します。だってこんなの無理だから……」 「そうしたいならすればいい。それでも必ずアイツにもこのことは話すんだ。おかしいだろ、お前だけ一人で背負うのは」 「夏目さん──」  何度も何度も携帯画面を眺めては行動することが出来なくて真柴はローテーブルに携帯を投げて肩で大きなため息をつく。 ──電話? それともメール?   真柴はラグの上に座って上半身をソファで支えた。 「どのツラ下げて連絡しろっての……俺は散々キイチのことを無視しといて、その挙げ句連れ込んで襲うような最低な奴なんだぞ……」  そう口にするだけで恐ろしくなった──。  あの日の自分はどうしかしてた……あんな怪しい薬を好奇心から手に入れて……今度こそ自分が警察の御用になって当然だ。  あの時にもし妊娠したのならキイチに責任を取らせるなんてやはりお門違いな気がすると真柴はまた迷い出してしまった。  夏目は怒るだろうが、キイチに話すのをやめようかと迷い、再び携帯画面にかじりついてあらゆる情報と照らし合わせてみる。  だが、一般的な情報からどうやら悪阻(つわり)は妊娠4週目くらいから大体は起こるらしいと書いてあった……。 「うそ……俺、初めてで妊娠しちゃったの……?」  真柴はあまりのショックに少し貧血を起こしかけた。 「ねぇ、本当にそこにいるの?」  真柴はお腹に手を当て返ってくるはずのない質問をする。 「こんなとこに来る予定じゃなかっただろ? 神様もひどいよな。もっとまともなΩのところに寄越せよって話だよなぁ」  独り言はますます真柴を追い詰めた──。  身体の中の生命(いのち)を認めてしまったらもう無視なんて出来ないのに──。 「本当……ごめんね……」  真柴は静かに涙を一粒こぼした。

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