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ep.10

「自分は散々俺からの電話無視しておいて今度はそっちから鬼電(オニデン)とか意味わかんねぇ、アンタマジでどういう神経してんの?」  真柴の勝手で会社近くの公園にいきなり呼び出されたキイチは明らかに怒っていた。イライラしている足底がさっきから地面を何度も叩いている。  本当は自分から掛けた今日の電話にキイチが出なければもう二度と連絡しないと心に決めていた──。  キイチは薬を使って無茶をした真柴を一度も責めることなく何も言わず優しさだけをそこに置いて姿を消し、自分には徹底して冷たい態度だった真柴の身を案じてそれ以降も何度となく連絡をくれていたのだ──。  なのに真柴は自身が犯した過ちの恐ろしさから、合わせる顔も返す言葉も何一つ見つからなくて、情けないと思いながら逃げるように延々と無視を通すことしか出来ないでいた。 ──そのどうしようもない後悔も懺悔も何もかも、全てを記憶から消し去りたくて花瀬と会って……余計思い知る羽目になって──。 「この間のうちでの撮影のギャラ、もう出たよね?」  真柴はキイチの質問には一切答えず重い口を開くと、少し単調に早口で話し始めた。ないがしろにされたキイチは冷たい目で真柴をずっと見つめている。 「──だったら、なに」 「半分でいいから……5万円……ください」と真柴は右手の平を前に差し出す。 「はぁ? なにそれ恐喝? それともただのたかり?」 「出せるの? 出せないの?」  要点を抜いて真柴は右手を揺らして只々捲し立てる。キイチは怒りと共に完全に呆れ変えった顔をしていたが、少しして急に何かに気付いたのか眉を動かした。 「──真柴……まさか……妊娠、したの?」 ──このαは本当に勘が良くて腹が立つ、と無感情を貫けない真柴の瞳が少し揺れる。 「……だから……の半分の5万円……。それで全部済むから」 「済むって……アンタ堕ろす気?!」 「当たり前だろ、俺に一人でどうしろって言うんだよ」 「何でアンタが全部一人で決めてんだよ、そんなのおかしいだろ」  キイチの言っていることは正論だ。こどもなんて一人で勝手に作れるものじゃない。だけど自分たちは違いすぎる──年齢も、今いる立場も、番に対する考え方も何もかも──。 「なんで……? 俺とはたまたまで寝たキイチと何を決めろって言うの? 高校生でまだまだ将来の相手も決めるつもりは微塵もないキイチと一体何を決めろっていうんだよ!」 「──じゃあ 今決める、決めた。俺たち番になろう」  キイチは怖いくらい冷静に、苛立つ真柴の怒りの熱量など一切お構いなしで、いとも容易いことのように言ってのけた。 「はぁ?! 何言ってんの」 「俺の番になってよ、それでいいでしょ」  バシン! とキイチの頬から強く乾いた音が響いた。 「……それでいいでしょ? ふざけんなっ何なんだよ……お前が気まぐれで手出して妊娠までして……挙げ句の果てがそれかよ……」  キイチを殴った右手がピリピリと震えて痺れている真柴の顔は悲しみと怒りで桜色に染まり、その瞳は また別の深い感情でひどく濡れていた。  殴られた頬をさすることなくキイチは再び真柴を真っ直ぐに見据えてその震えた手を掴むと身体ごと引き寄せ、自分の腕の中に真柴を包み込み強く優しく抱きしめた。  整理できそうにない感情に震えながら苦しそうに暴れる真柴のことなど気にも留めずにキイチは抱き締める手を決して緩めなかった。 「ごめん、真柴。けど俺……本気だよ。本気でアンタを好きになった。いっぱい意地悪したけどアンタが俺のことずっと無視するから腹立って……それで他の子と試したりしたけどやっぱなんか違った。全然楽しくねぇの、心がわくわくしねーの」 「わくわくって……なんだよ」 「アンタが俺を振るなら俺はアンタを諦めなきゃいけないんだって思ったんだ──。なのにアンタ意味不明に俺のこと突然襲ってくるし、そんで俺も相変わらずすげぇ興奮するしアンタはやっぱエロいしでもう俺、頭の中ぐちゃぐちゃで」 ──それはものすごくものすごく反省していますと真柴は心の中で必死に唱える。 「でももう辞めた。アンタの中に俺のこどもがいるならもう絶対諦めないし逃がさない。だからお願い──俺の番になってよ」 「……出来るわけ……ないだろ……お前はまだ学生で……。これからまだまだたくさんのΩと出会うんだ……」 「もうΩなら会った! 今俺の前にいるよ! 俺アンタが初めてだったんだよ、無理矢理ヒートにさせて何回も何回もセックスしたの、猿みたいにアンタに興奮してさ。全部アンタが初めてだったんだ」 「そんなの信じない……」 「じゃあいいよ信じなくて。アンタのことこのまま監禁して臨月まで離さないから」 「こっ怖いよっ」  本当に恐ろしかったらしく真柴の顔色から血の気が一気に引いていた。 「そしたらいくらアンタでも信じるだろ?」  キイチは真柴から少しだけ身体を離すと、まっすぐその瞳の奥までを見つめた。信じられないくらい優しい瞳で見てくるものだから真柴は余計泣きそうになってしまう。  キイチは膝を曲げてゆっくり地面につけると真柴の腰に抱きつき、お腹にそっと頬を寄せた。 「──俺がお前のお父さんだぞ、聞こえてるか?」 「……聞こえるわけないだろ……まだまだずっとずっと小さいんだから……」 「いいよ。産まれるまでずっとこうやる。俺の声を覚えてくれるまでずっと呼ぶから──」  あんなに力強く背中を押してくれていたはずなのに奥秋は今、口から泡を吹いて死にそうな顔をしている──ように真柴には見えた。  カフェコーナーのカウンターで打っ伏して項垂れる親友の背中を労るように真柴は何度もさすった。  あれだけ親身になって心配してくれていた親友に話さないわけにはいかないだろうと真柴は恐る恐る妊娠のこととキイチとのことを全て伝えたが案の定奥秋は真っ青な顔をして気絶するみたいにカウンターに倒れ込んだ。 「ご、ごめんな奥秋。に……妊娠のことは昨日わかったばっかりで俺もまだテンパってて親にも連絡出来てないくらいでさ」 「……先に俺んとこに連絡来てたら間違いなく俺が真っ先にアイツを殺してたろうな……」  地響きにも似た奥秋の唸り声がテーブル越しに真柴まで届く。 「奥秋、気を確かに!」  必死に宥めようと背中をさする真柴を無視して突如上半身を起こした奥秋は真正面から真柴をじっと見つめた。 「……おく、あき?」 「──栗花落、やっぱり俺は一回でいいからあのガキを何か、こう、ものすごく鋭利な刃物で刺したい。一回でいいんだ。な?」 「な? じゃないっ。だめだめっ、一回でもアウトだから!」  真柴は両手の平を胸の前で必死に何度も振っておかしな線が切れてしまった親友をどうにか留まらせる。 「うん、でもやっぱ刺してもいいなあと思った時はすぐに教えてくれ、すぐにだぞ」 「──ああ、はい……」  とりあえず受け入れないと親友が更におかしくなってしまう気がしたので真柴はとりあえずその場凌ぎの返答をしておいた。 ──定年まで平和に暮らしたいと思ってた。  それなりにキャリアを積んで、それなりに少しでもいいから出世して……なのにまさか入社二年目にして高校生のαとの間にこどもを産むことになろうとは……こんな計画どこにも予定していなった……。 「会社……辞めたくないなぁ……」  それでも真柴はΩという性に関係なく社会と長く関わって生きていたかったというのが本音だ──。 「往生際が悪いって……思われるんだろうか……」  Ωだって色々だ──。  こどもを産んで家に入って育てることを幸せだと思うものもいれば、ずっと社会に従事していたいと思うものだっている。何かを諦めなければいけないとわかっていても……それでも人間は諦めたくない何かしらの我儘をどこかに抱えた生き物のはずだ──。  こどもを諦めなかったαのキイチがいるように── 仕事を諦めたくない自分がここにはいる──。  社会とずっと関わっていたいイコールこどもが一番じゃないということでは決してない。  それでも周りから見たらそれは親の勝手(エゴ)なのだと思われるのだろうか──。  産まれてくるこどもからしたら親は自分を愛していないのだと悲しむのだろうか──。 「こんな気持ち……誰もわかってはくれないのかな……。俺ってわがままかな──?」  真柴は膝を曲げてお腹をそっと抱きしめるとまだ見ぬ我が子にそっと囁いた──。 「おんどりゃアアアッ!!!!」  それがキイチの両親に(はつ)対面した時、母親から発された言葉だった。  無意識にお腹を庇うよう身構えた真柴とは全く別の場所で鈍い大きな音がして、キイチがアニメのワンシーンみたいにゴロゴロと後ろ周りで和室を飛び出し廊下まで飛んでいった。 「イッテェ!! マジで蹴んなよっ、脳味噌溢れるわッ!!!」 「とっくに溢れてんだよっ、ちゃんと拾って歩け! このクソバカ息子がァ!!」  真柴は一切の言葉を失ったまま、目の前で展開されている大迫力の親子喧嘩に釘付けになった。  いつも涼しい顔をして颯爽と何事もこなしてしまう余裕なαと思っていたキイチは激しく転んだせいで砂嵐に吹かれた雄ライオンみたいなボサボサの頭になっており、本気で痛かったらしく頭を押さえながら見たこともないくらいの情けない顔をして半べそだ。  細い腰に両手を当てて息子を見下ろす母親は男のΩで殆どキイチと同じ顔のつくりをしていた。明らかにキイチより身体は小さいが明らかにキイチより数億倍強いようだ。 「ねぇねぇアーチー。真柴さん驚いちゃってるからほどほどにね、お腹に大事な赤ちゃんもいるんだから」  真柴の正面でおどおどと母親を止めているのはキイチの父親で、キイチより大きな図体でちょこんと正座したまま親子喧嘩の仲裁にささやかながら入っている。  赤ちゃんというワードに目が覚めたらしく母親は慌てて真柴の前に戻ってくると父親の隣で再び正座した。  廊下の隅で痛みに耐えてる息子のことはこの際どうでも良いらしい。 「この度はうちの愚息が申し訳ありませんでした! ここ最近は益々親の言うこときかなくて、俺も腹立っちゃって、それでつい放牧にしてたらこんなことに……本当に申し訳ありません!」    完全に西洋系の外国人の姿をした彼は見た目と反した流暢な日本語を話し終えると深々と真柴に頭を下げ謝罪した。 「や、やめてください。頭上げてください。あの、僕もその、社会人なのにこんな無責任なことになって本当に申し訳ありませんでした。息子さんはまだ未成年で、高校にも通われてるのに……僕なんかが」 「真柴さんは悪くないです! どうせあのクソガキが全部悪いんですよ! αって野蛮でしょ? 本当にアイツらにはほとほと頭に来てたんですよ。馬鹿みたいに下半身だけやたら元気良くて、そのくせやけにインテリぶって、鼻につく生き物ですよね、本当!」  堰を切ったように夫や息子への不満をここぞとばかりに彼は吐き出して最後には長年の恨みを大きなため息で締めくくった。 「え、ええと。近いうちに御両親に挨拶させて頂いてもよろしいですか? 息子が大変ご迷惑をおかけしたこともさることながら二人の赤ちゃんの今後についても二人の考えもしっかり聞いて家族皆で話し合いたいですし……」  温和そうな父親が伴侶の予想だにしなかった自分への攻撃に若干のダメージを受けながらも真柴に向かってどうにか優しく微笑んでいた。 「何か困ったことや心配事があったらすぐ言ってくださいね。俺も一番初めの子は番になる前の想定外で妊娠した子だったんで……ってやっぱDNAですかね。ゾッとしますね……」  母親の冷たい横からの視線に父親はなぜか一人咳込んでいた。 「キイチくんにご兄姉がいたんですね。初めて知りました」 「上に一人いますよ。俺の遺伝子はほぼ受け継いでなさそうなαの長男が。学生時代から起業して最近は益々何喋ってんのかわかんないから完全放置してます」  楽観的な彼の姿に真柴は母親だからこその心強さを感じながら肩を揺らして笑った。  キイチはたんこぶが出来た頭を氷枕で冷やしながら自室のベッドに凭れかかりぐったりしていた。 「お母さん、キイチとおんなじ顔してるね。びっくりした」 「顔だけな! 俺はあんな足癖の悪い奴じゃねぇから!」 「他のとこは悪いけど」  ひそりと真柴はキイチを刺す。 「──真柴さん?」 「いえ、なんでもありません──。お母さんの蹴りの構えすごく決まってけど何かやってる?」 「空手の師範。マジありえなくない? あんなの破門くらうレベルじゃん、息子のことマジ蹴りするってありえねぇっ、ただのヤバいやつだよ」 「えーっお母さんすごい! 空手やってるのも驚きだけど師範なの? めちゃカッコイイ!!」  こっちはこんなにも怒っているというのに真柴は目をキラキラさせて本当に感動しているものだからキイチは思わず泣きたくなった。  臍を曲げたキイチがその後教えてくれたことは、母親は高校時代日本に交換留学に来た際空手に興味を持ち、大学進学に日本を選んでその道を極めたそうだ。  父親との出会いは大学時代で最初は父親の片想いだったらしいがあまりのしつこさに母親は途中で白旗をあげたという。 「お父さんかわいいね」と真柴が言うとわかりやすくキイチは拗ねてしまった。  ベッドの上に座って壁に凭れる真柴の隣に急接近し、キイチは拗ねた顔のまま真柴に迫る。 「俺まだ言ってもらってないんだけど!」 「──なにを?」 「真柴にちゃんと好きって言ってもらってないっ」  何をくだらない、と顎が下がる前に慌てて真柴はこれ以上子供の機嫌を損ねてはならないとどうにか口角を上げた。 「ス、好キダヨ」 「感情なさすぎだろ!」 「いつか言うから! 次回お楽しみにっ」  真柴は逃げるように今度は自分が床に座りベッドの上にいるキイチに背中を向けてしまった。  だけど後ろから見えるその耳朶が赤いのをキイチは見逃してなかった。 「本当に楽しみにしてるから!」  キイチの期待に満ちた声に真柴は黙って小さく頷いた。  結婚していない自分が妊娠したことを会社の人に言って回るのもなんだか気後れして、だからと言ってチームで仕事するにあたって一切言わないわけにもいかなくて出社の間も真柴はずっと考えあぐねていた。  悶々と悩む真柴のことを無視してエレベーターは早々にメディア部のフロアへ到着する。  床に目線を落としていたままだった真柴が目線を上げて開いたドアから一歩踏み出し進もうとするや否や夏目班の社員たちがバタバタと真柴の周りを取り囲み、真柴は異常事態に驚き過ぎて身体が少し宙に浮いた気がした。  真柴がこれは一体何の騒ぎなんだと声を発しようとしたした瞬間枡に手を握られた。 「おめでとうございますっ栗花落さんっ」 「男ですか女ですかっ」 「今何ヶ月目?」 「早く産まれないかな〜、早く見たいっ栗花落さんの赤ちゃんっ」 「予定日いつですかー??」  真柴は一気に寄せられるストレートな質問の数々に頭が全くついていかなかった──。  だが、何よりも一番驚いたことは彼らが真柴の妊娠をすでに知っていたことだった。   ──いつ? 誰に? それともあの時既にバレてた? と頭の中で真柴の分身たちがぐるぐる走り回っては慌てふためいている。  そんな真柴の動揺にも気付けないほど彼らはお祝いムード一色でまともに返す言葉を見つけられない真柴は無意識に身体が少し後退ったが、夏目の胸に当たってそれは止まった。 「オイコラ、お前ら妊婦を困らせんなよ。大切に扱え〜宝だ、宝」 「──夏目さん……」  ぶつかった夏目の胸からはいつの間にか煙草の膨らみが消えていた──。 「病院ちゃんと行ったのか?」  夏目のデスクの前で一瞬固まって少し照れながらも真柴は頷く。 「6週目……でした」 「そうか」と眩しそうに夏目は目を細めた。 「夏目さん、俺仕事辞めたくないです……」 「ふーん、いいんじゃないか? お前のこどもの面倒ならここにいる奴が誰かしら見てくれんだろ」 「へっ?」 「なんだよ、ここの奴じゃ不安か?」 「いえ、そうじゃなくて、その──」 「普通ならこうとか、こうして当たり前だとか、そういうのは俺はどうでもいい。お前がやれる範囲で無理しない程度に頑張れればそれでいい。それで十分上等だ」  夏目は真柴の罪悪感や後悔や煩悶のすべてを知っているかのようにさらりとそのすべてを認めてくれる。一人抱えて悩んで泣いた辛かったことのすべてを夏目はまるで見てきたかのように優しくその傷を撫でてくれる。  真柴は勝手に流れる涙を止めることも出来なくて、泣いているのに心は嬉しくて暖かくて満たされて、必死に着込んで重くなっていた鎧が一気に身体から外れて落ちて、身体の中にもう一人いるのに今までで一番身体が軽いと真柴は感じた──。 「栗花落さん、見て見てこれうちの子」  たまたま今日は隣に座った天川から待受画面を見せられ、真柴は素直に口元が緩んだ。 「かわいい。まだ赤ちゃんなんですね」 「まだ10ヶ月です。めちゃめちゃよく泣くけど寝顔見たらもう全部吹っ飛ぶんですよね〜栗花落さんもすぐにわかりますよ」 「今から楽しみです」  満面の笑みで答えた真柴のそれは本音だった。    今だってこれから先の未来が、自分が、どうなるか期待よりも不安のが大きい──けど今は…… ──この子に会いたいと思う気持ちのが何よりもずっと大きくて……。 「のんびり、焦らず待ってるよ」

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