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ep.11
未来の貯蓄のために一度一人暮らしを解消して真柴は実家へと住処を戻した。
はっきり言ってここは天国だ──。
しょっちゅう襲う体調不良を母がサポートしてくれる。甘えてしまうのはいけないと思いながらも子供に甘えられて嫌な親はいないのよと母は久しぶりに家に戻った真柴をとことん甘やかす。それは父も同じだった──。
大きくなりつつあるお腹をさすりながら真柴は三人掛けのソファに足を伸ばして大きく凭れ掛かりテレビを見ながらリビングを完全占拠していた。大黒柱である父は床に座わり真柴に背中を向けて新聞を読んでいる。
「お父さん……」
「んー?」
「お父さん、キイチのこと嫌いでしょ」
真柴の父は新聞を捲る手を一瞬固まらせたが、すぐに何でもないふりでまた一枚捲った。
「本当のこと言っていいんだよ」
「──本当のことかぁ……んー」
新聞から顔を上げ、少しだけ逡巡し父は身体ごと真柴の方を向いた。
「大ッッッ嫌い。うちに来た時マジで殺してやろうかと思ったし、夢の中で20回くらいは殺した、いや実際 殺 ッたかもと朝起来た時凶器が落ちてないかあちこち部屋中確認した!」
マシンガンのように全てをぶちまけた父の剣幕に一瞬真柴はポカンとした顔になってすぐに大きな声で笑い出す。
「ぶっ、ふっ、ははは! やっぱり? 俺のお父さんだけある、俺もね2回は殺した。あははっお腹痛い──。でもね、ごめんお父さん──。やっぱ俺キイチでないとダメみたい……」
笑いすぎて涙を流す目を擦りなからも最後は真剣にそう告げる。
「うん……わかってる。でないと仕事人間のお前が彼とのこどもを産もうとはしないよ」
「お父さんはなんでもお見通しだね」
「お父さんですから」
微笑む父の大きな手に頭を撫でられ幸せそうに真柴は目を瞑る。
「──でも真柴。一回くらいは刺しても……」
「だめ」
「だめか、そうか」
「お邪魔しまーす」
キイチは玄関に迎え出てくれた義母に挨拶すると栗花落家の実家のリビングに入り中を見回す。
ソファから細い白い手が垂れているのが見えて真柴の存在を確認できた。
正面に回ると真柴は胸にノートパソコンを乗っけたまま眠りに落ちていた。
最近はずっと眠いとこぼしていた。
ノートパソコンをそっと退かしてキイチはソファの正面の床に座って眠る真柴の顔をまじまじと眺めた。
垂れた手を拾い上げ、優しく両手で包み込む。
上向きに寝ているお腹が日に日に丸くなってきていてそれを見るだけでキイチはくすぐったかった。
「お父さんだよ……聞こえるか?」
お腹の傍に寄り毎回恒例となった言葉を真柴が目を覚さないようにひっそりと囁く。するといきなり真柴のお腹がどんっと中から響いてキイチは全身で驚いた。
「……びっくりした? すごいでしょ、よく動くんだぁ……」
「……真柴……」
振動のせいで目が覚めたらしく寝ぼけた声の真柴が笑っていた。
キイチは初めての経験にひどく感動したらしく、たった今目の前で動いたばかりのお腹に少しだけ緊張しながらも手を伸ばし、優しく愛しげにそっとそっと撫でた。
「うん、すごい。めちゃくちゃヤバい」
「なにそれ……」
「早く会いたい」
「……うん」
真柴が微笑みながらキイチの手に自身の手を添えるものだからキイチはたまらなくなって真柴にゆっくり口付ける。二人の視線がふいに重なってちょっとだけ気恥ずかしいような、くすぐったい笑いがどちらからともなく出た。
そんな二人の空気を切り裂くように視界の隅に鋭利な刃物がおどろおどろしく光ったような気がしてキイチは寒気と共に我に返った。
そこにあったのは斧でも鎌でも包丁でもない。真柴の父親による鋭い眼だった。何を言われたわけでもないのにキイチは背中に定規でも挿されたみたいに見事に真っ直ぐ立ち上がった。
「ワアーーーッ!! おっ、お義父さんっコンニチハッお邪魔してますっ」
「────いらっしゃい……キイチくん……。大変非常〜に申し訳ないんだけど、そういうのは僕のいないところでやって貰っていいかなぁ」
「ああっ、すみませんっ、次からはコッソリお義父さんのいないところでやりますっ!」
確実なる言葉のチョイスミスのせいか、キイチは義父の頭の血管が思いっきり千切れる音が聞こえた気がした。
「ぷっ……」
真柴はキイチが体型に似合わず蛇に睨まれた蛙みたいに硬直しているものだからあまりにもおかしくてクッションに顔を埋めて肩を揺らしながら極力バレないように爆笑していた。
「ちょ、真柴っ、何笑ってんだよ!」
「ごめん、だって……ふっ、あはははっ……っあいたたっ、また蹴られた」
「えっ、嘘っ、次こそ触りたいっ!」
目の前にふわふわと飛んでくるハートたちが目障りでこっそり握り拳を作る父の肩を背後から母が叩き、黙って静かに顔を横に振る。
「野暮なことしないの、お父さん。そんなんじゃ孫抱かせて貰えないわよ」
その絶望的な言葉に父は完全降伏するしかなかった──。
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