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第2話 思うつぼ。

『とりあえず一週間くらい検討してみてくれない?』  あの後。一晩経って目を覚ましたら。  オレのスマホには芳乃からそんなメッセージが入っていた。  検討って何を?  “恋愛的に好き”について?  つまり、今後恋人的なお付き合いできるかどうかってことか?  そもそも付き合ってって言われたっけ?  いや、恋愛的に好き宣言されたのだから、それがもうほぼ交際申し込みみたいなもの……なのかもしれない。  幸運にもと言うべきか、試験終わりのオレ達は大学から長期休暇を与えられた身であった。  つまり、講義がないので大学に行く用が特にない。オレの方はサークルにも入っていないので、本当に大学に行く必要がないのだ。バイトばっかりの日々。  なので、芳乃とはお互い能動的に動かない限り会うことがない状態なのだ。  一週間くらいじっくり冷静に考えるにはもってこいの環境ではあるけれど。 「どうしたもんか……」  バイト先のイタリアンバル。只今回転前の準備で、オレはモップで床をごしごしやっているところである。 「わからん……」 「藤戸(ふじと)くん?」  名前を呼ばれて顔を上げると、オレより四つ年上の美咲さんが不思議そうな顔をしてこっちを見ていた。  ちなみにバイトのオレと違って、彼女は社員さんである。もういっこちなんでおくと、先日ほっぺちゅーまでは漕ぎつけた例の女性でもあるのだが。  いや、でも正直今、その件については割にどうでもいい。それどころではない。 「なんかさっきから難しい顔で、時折独り言呟いてるけど」 「え、声出てました?」  緩くウェーブのかかった茶色の髪、ぷっくりした唇、きゅっとしまった腰。  人懐っこい笑みで、お客さんにも店の人間にも気さくに声を掛けてくれる社交力のあるお姉さん。 「出てた、出てた。何か悩み事?」 「いや、それほどのことでは」  魅力的な人だよな、と思う。この人のことをいいなぁと思っていたのだ。  そう、正直なところ、オレは今まで恋愛感情とか性欲というのを女の人にしか向けたことがない。  芳乃は違うのだろうか。男が好きってこと? ()も好きってこと?  ――――よく分からない。  いや、芳乃がどうこうよりも、その前に自分がどうかということを考えないとなんだけど。 「話、聞こうか?」 「え?」 「今日、店終わってからだったらいいよ、上がりの時間一緒だったよね?」  彼氏がいるはずなのにこういうことを簡単に言われてしまうあたり、そもそも男として意識されていなかったのかもしれない。  ペット枠。あるいは遊び枠。本気ではない。 「……大丈夫です。それに今日は店上がった後、用事あるので。多分そこで解決、するかもしれないし」  そう、今日は提示された“とりあえず一週間”のその日なのである。  一週間早い。あっという間だった。 「ふーん。大丈夫ならいいんだけど」  ま、どうしようもなくなったら愚痴飲み付き合ったげるよと言われたけど、美咲さん、彼氏のいる人が対象外扱いしてるからと言ってほいほい別の男を誘うの、良くないと思います。  相手の男は良からぬ思いを抱いてるかもしれないし、彼氏さんもそういうの許容できない人かもしれないし、オレも無用なトラブルは抱えたくない派なので。  結局、上がりの時間まではあっという間だった。  週末の夜の店はひどく混む。仕事に追われて追われて、気が付けば夜の十時。  オレはあらかじめ約束をしていた芳乃に向けて、メッセージを送る。 『今上がったので、これから向かいます』 ◆◆◆ 「で、来ちゃうんだよなぁ」  そして開口一番頂いたお言葉がこれだった。 「しかもこんな時間に」 「や、夜分遅くに悪いなとは思ったけど」  恋愛的に好きな相手にその意思を伝えた後、一番に言うセリフではないと思う。 「いや、そうじゃなくて」  うーん、と額を押さえながら芳乃は小さく息を吐いた。 「普通さ、来なくない?」 「いやだって、一週間くらい考えろっていうから」  真面目に考えたのだ。そして対話の必要性を感じてこうして訪れた訳だ。 「うん、言ったんだけど」  正直顔を合わせる気まずさはあるけれど。  でも電話とかメッセージで済ますような内容ではないと思って、こうして出向いた訳である。 「ムリだったら、嫌だったら来ないよな。あんなことした相手に、友達に戻ろうって気すら起こさないだろ」 「う、うん……?」 「だけど、彼方は今ここにいる」 「え、う、うん」  そう、下手したら友達でだっていられないかもしれない。その可能性は考えた。  関係を徹底的に壊すかもしれないのに、酔った勢いとかで誤魔化さず、敢えて一手打ってきた芳乃の覚悟について考えた。 「それってつまり結論、拒んではないってことだろ?」 「うん、ん? うぇえ!?」  オレが自分の口から何か述べる前に、芳乃の方で勝手に結論が出されてしまった。  なんでそうなる。 「待て待て、なんで芳乃の側がそれを言っちゃうの」 「そういうことなんじゃないか?」  この一週間、芳乃だって不安で眠れない夜とか過ごしてるんじゃないかって心配してたけど、損をした気分になる。  こっちは大事な友達だから真剣に考えたのに、この飄々とした態度、駄目になったらそれはそれでまぁいいや、しょうがないとか思ってないだろうか。オレとの関係が駄目になっても、存外平気なんじゃ。そう思うと悔しくなってくる。 「いや、いや、オレはですね、その、結論を出す前に色々と聞いておきたいことがあるなと思って!」  でもまずは。 「聞いておきたいこと?」  聞きたいと思ってたことを一つずつ。 「…………芳乃は男が恋愛対象ってこと?」 「いや、どっちもいけるんだけど。でも割合で言うと、同性を好きになることの方が多いかなと思う」 「オレのこと、恋愛的に好きっていつから」 「出会って割とすぐ。一年の夏前にはもう」 「えぇ!? でも彼女とかいたじゃん!」  全く気付かなかったし、好きだった言う割には行動がそれと合致していない。  食いつけば、芳乃は少し考えてから言った。 「まぁ彼方とどうこうなれると思ってなかったというか、女子と付き合ってるの見れば変に警戒されないかなとか」 「警戒……?」 「いや、お前ら一緒にいすぎとか、距離近いとか一時周りによく言われたじゃん。周りにどうこう言われるのはそんな気にならないけど、それで変に彼方に構えられても困るし」  確かにそんなこともあった。  でも別に、そんなべたべた触れ合ってた訳じゃないし、仲いい男友達の範疇に収まっていたとは思うけど。 「いやでもそれ、相手の女子に失礼じゃない……?」 「お互い合意の上だし。期間短かったのも、性格の不一致というやつだし」 「…………」  改めて芳乃の姿を眺める。  大学デビューをキメて明るい茶色に染めたオレの髪と違って、芳乃のそれは自然な黒。さらさらの髪に、ちょっと取っつきにくい雰囲気もあるけど整った顔。仲良くなれば無防備に笑顔も晒す。割にイケメンなので、女子にだってモテていた。  趣味でやっているという、社会人混合のフットサルチームの見学にだって女の子沢山いたし。そしてフットサルが趣味という一方で、一人の時は読書するのが好きで、成績も悪くないし、この男は割に文武両道なのだ。  ちょっと口が悪いと言うか上手いというか、人を手のひらの上で転がすような腹黒な面もあったりするけど、それも別に仁義にもとるレベルのことをする訳じゃない。  いいヤツなのだ。知っている。だからこうして友達してる訳だし。 「質問、もう終わり?」 「え?」 「もう結論出る感じ?」 「いや、まって、質問、えっと質問」  答えを迫られて窮する。まだ時間を稼ぎたくて、頭の中の質問リストを急いで振り返る。 「あの、恋愛的に好きって」 「言ったね」 「それって、こう最終的に、その、その」 「セックスまで行き着くやつだよ」 「セーーーー」  やっぱりそうか。そうなのか。 「今、無理そうだって思った?」  無理とかそういう以前に、こう、想像力が及ばないのである。  一体ソレは何がどうなってそうなって、人体的に無事で済むものなのかとか。 「……いや、あの、男同士ってなんかこう色々大変なのでは。いや、ちょろっと調べただけだから全然分かんないんだけど」  しどろもどろでそう言うと、“検索しちゃうんだよなぁ……”と芳乃は溜め息と共に呟いた。 「え?」  オレ、何かマズいことをしたんだろうか。こう、相手を理解するための一歩として、頭ごなしに否定とかするんじゃなくて、少しでも知識をと思ったんだけど。それだけなんだけど。怖くて検索結果、じっくりは見れなかったんだけど。 「余地があるだろ」 「え? え?」  余地? 「えぇっと待って待って待って」  余地ってなんだ。受け入れる余地? 「彼方さ、この間の、気持ち良かったろ」 「その話はもう……!」 「嫌悪感とかなかったろ」 「いや、オレ、酔ってたのもあるし! 酔ってたことを理由にして悪いとは思うけど!」  でも正直酒が入ってなかったら、キスはともかく抜かれるところまでは行き着かなかったと思う。仮定の話ではあるけれど、多分きっと絶対そう! 「オレは酔ってなかった」 「ーーーーは」  が、芳乃は言い訳の用意をさせてくれない。というか、自分自身に言い訳の材料を与えない。 「酔ってなかった」  自分はしっかり自分の意思を以て、行為に及んだのだと。  好きだから、したいから、欲情したから。  いやだからって、ちょっと強引だったと思いますけどね。同意があったかと言うとかなりなし崩しで、そういうの如何なものかと思いますけどね? 「あのな、彼方。言っておくけど、中途半端な気持ちで、軽い気持ちでカミングアウトしてるんじゃないんだ。他人に言い触らされでもしてみろよ、俺だって正直辛い。でも、ノーって答えを突き付けられるにしても、お前はその後人に触れ回ったりしないってそう思ったから告ったし、そういうお前だから俺は好きな訳」 「す、好き……」  正面切って言われるとかなり威力があった。  好き。  その言葉に動揺せずにはいられない。あと、人として信用してもらえてるのは正直に嬉しい。 「で、まぁ割と図太く生きてる自覚はあるけど、俺だってお前に拒まれた場合、このままフツーに友達続けるのは難しいと思ってる」 「え」 「フラれたのに好きなヤツのすごく近くにいるの、かなり堪えるだろ。でも、それでも告うことにした訳。だって今のまま何ともないフリで傍にいるのも辛い。恋バナとか聞くのもな。俺は逆立ちしてもお前の話によく出てくる“年上のお姉さん”にはなれないし」 「う……」  それはその通りである。付き合えないけどこれからも友達としてよろしくって、傷口に毎日ぐりぐり塩を塗られるようなものである。でもきっと“友達”でいられるなら、オレは今までみたいな距離感でいたいと願ってしまうから。  ただ、芳乃が一歩踏み出した今、それはもう難しいことで。  だからな、と芳乃は言った。 「俺はお前に選択肢突き付けて、追い詰めて、どっちか選ばせようとしてるんだよ。できるだけお前の良心が痛む方法で」 「な、良心が痛む方法って、なんでそういう手の内を言っちゃうんだよ!」 「これも作戦の内だから」 「な、なんのっ!? どういう狙いが!?」  良心が痛む方法を取っていますと自ら暴露するなんて馬鹿のやることだと思うのに、作戦の内と言われれば何だか訳が分からなくなる。  オレは今、芳乃の何某かの術中にはまっているのだろうか。 「で、どうする?」 「どうとは」 「彼方は即座に俺を切らなかった。気持ち悪いとも言わない。気を遣って無理をしてるという風でもない。俺のことを理解しようと試みてくれてるし、同時に自分のボーダーラインを見極めようとしているようでもある」 「それは、その、恋愛感情と言われると正直よく分かんないけど、芳乃のこと簡単に切りたくない、大事な友達だってところは間違いがないから」  あと、芳乃が言う通り、自分の中にそれほど嫌悪感というものがないので、そのことにも戸惑っている。性愛の対象かと言われればそういう自認はないというか、今まで女の子が好きだったしなぁと思ってしまうのだけど、でも、でも。 「一度しっかり試してみるというのもアリ」  名案じゃないか? とピンと指を立てて、芳乃が提案してきた。  なるほど、お試し期間というやつか。  例えばいつもの遊びに行くのも、デートという体で出かけてみるとかそういう?  ちょっとしたところから意識の変革から始めましょうとかそういう?  なんて思っていたオレはぴゅあぴゅあでした。  ん? と思った瞬間には方を押されていて、白い天井が視界に入る。 「え、いやいや、清く正しくプラトニックなお付き合いから始めるんじゃ!?」 「そのコースでも多分行き着く先は一緒だけど、正直時間が惜しい。お茶しばくとこから始めてたらいくら長い大学生の夏とは言え、時間が足りなくなる」  この男、手が早すぎないか。実力行使が過ぎないか。  何となく気付いたぞ、オレは今、全力で丸め込まれにかかっている……! 「おい、芳乃!」 「彼方」  これはいかん。 「好きだ」 「うぐぅ!」  なのに真正面からの告白攻撃に見事にやられて詰まったところを、いつぞやみたいにぶちゅっとかまされた。 「好きだって言った後にそんな顔されたら、期待しないヤツいないだろ」

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