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第2話
麗国の東側は温泉がたくさん湧くことで有名な地だ。
一番近いところで城から歩いて半刻もしない場所にある。
ここはいわゆる城ご用達の温泉場だった。
桶の置く音が響き渡る。
湯をかけ、思い思いに温泉に身を沈めた四人は、その気持ちよさに大きく息を吐く。
身に染みるとはこのことだろうか。
大小様々な大きさの岩を組み合わせたような浴槽は、男性四人で入っていても、裕に泳げるくらいの広さがあった。
療 が一番にばしゃばしゃと泳ぎ出し、それを追いかけるように竜紅人 も泳ぎ出し、やめんかと言う紫雨 も声も空しく温泉場に響く。
「あ、やべ」
竜紅人の頭に巻いていた手拭いが、はらりと落ちた。
「わー竜ちゃんの結い上げ姿、久々に見た」
普段は下の方で括るか、もしくは流している竜紅人だったが、温泉に髪がつかないように高めに結い、それを手拭いで巻いていたのだ。
「そりゃ、温泉だしな。おっさん達もそうだろう?」
「お前におっさんだと言われたくないな」
黙って浸かっていた紫雨 が、竜紅人を睨む。
おおこわっと言いながら竜紅人は温泉から上がり、洗い場の方へ向かって行った。
叶 は始めは温泉に浸かってはいたが、今は足だけを湯に入れて座っていた。
その下を療が楽しそうに泳いでいく。
「療、あんまり泳ぐとのぼせますよ」
はーいと返事をしながら、療は泳ぎながら叶から離れていく。それを微笑まし気に見て、叶は視線を少し上へと上げた。
仕切りがあった。
この向こうに、もうひとつの貸し切り温泉がある。
『うわぁ~広い~。ねぇ、咲蘭 様』
大きい香彩 の声が、こちら側の温泉にも響いてきた。
その声に紫雨が反応して、視線を上げたがすぐに戻し、今度は目を瞑っている。
皆と一緒に入るつもりだった香彩を説得するのは大変だった。
だが療のことを引き合いに出し、咲蘭に何やら説得されてようやく納得した香彩は、竜紅人は一緒に駄目なのかと聞いてきた。
竜紅人は、お前は俺を殺すつもりなのかと怒鳴っていたが、どうやら分かっていたようである。
紫雨が温泉をふたつ貸し切りにしたのは、何も療のことだけではないのだ。
『うわぁ~咲蘭様、うなじ綺麗ー』
思わず滑りそうになって、叶は湯の中に戻り肩まですっぽりと入る。
そんな叶の様子を見たからなのか、それとも別の理由があるのか、紫雨が咳払いをした。
『触ってもいい? ……わぁ、ありがとうございます。……すごい綺麗な肌、肩の線にかけて本当綺麗~。うらやましいなー』
『……』
『え? 僕? ……腰? ちょ……くすぐったい、咲蘭様』
『……』
『咲蘭様の方が、細いじゃないですか? ほら』
『……』
咲蘭の声が小さくてどうしても聞こえにくいことが、何だかとても惜しい気がしてしまうのは気のせいではないはずだ。
(……しかし、これは)
叶はちらりと紫雨の方を見る。
紫雨は相変わらず無言のまま、目を瞑って湯に浸かっている。
香彩が何か言うたびに、その瞼や眉が反応するのを見逃す叶ではない。
『咲蘭様、すごく大きくなるんですね。僕、全然大きくならなくて』
思わず湯が口に入ってしまって、叶が咳き込む。
わーいと無邪気な声を上げて、無言の叶と紫雨の前を、療が泳いでいく。
『……掴み方? 空気の入れ方……? わぁ本当だ。咲蘭様がすると大きくなる』
なんだ手拭い風船のことかと、叶は小さく溜息をついた。
聞いているとどうも心臓に悪い。
叶はもう気にしないように、しようとした。
だが。
『ほら! 香彩。ちゃんと座って!』
今度は咲蘭の声が響き渡る。
その声に、再び意識はそちらを向いてしまう。
再びばしゃばしゃと泳いできた療は、竜紅人に洗い場の方に引っ立てられて行ってしまった。
『あ! 石鹸、竜紅人だ!』
『私のも叶が……』
叶は洗い場の方に視線を移す。確かに桶の中の体を洗うための道具の中には、石鹸が入っていた。
(あれは……咲蘭の)
いつも使っている石鹸。
渡すと返って来ない気がして、叶は思わず渡したくないと思ってしまう。
『竜紅人ぉー! 今、療洗ってるでしょ? 終わったら投げてー』
「ああ、分かった!」
竜紅人が石鹸を仕切りの向こうに向かって投げる。
『ちょっ……竜紅人、どこ投げてるんだよ!』
こつん、という響きのいい音が、仕切りの向こうで聞こえた。
『わっ……! 痛っ、いったぁ』
『香彩! だいじょ……っ』
先程まで響いていた香彩と咲蘭の声が、急に静かになった。
叶は浸かっていた湯から、身を上げようとした。紫雨も同じ行動をしようとしていて視線がかち合い、ふたりは気まずい空気の中、再び湯に沈む。
「もしかして、滑ったー? だいじょうぶー?」
頭と身体を泡だらけにされて、竜紅人に洗われている療が、少し大きめの声で仕切りの向こうに声をかけた。
返事がない。
この浴槽と洗い場の間は、浴槽に使われているような、大きな岩を切り出した石板が敷き詰めてあった。もしここで滑って身体を打っていたのなら、それなりに痛いはずだ。
「大丈夫かー? 大丈夫になったら声かけてやれよー? 心配してるからー」
竜紅人が質の悪い笑みを浮かべて、叶と紫雨を見ている。
余計なことをと思った叶だったが、心配だったのは確かだった。
『……すみません。もう大丈夫ですから』
『硬くてすごく痛かったけど、もう大丈夫だよー』
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