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11 初恋の終わり。あるいは始まり。
果たして、狂宴は何時間続いたのか。気づけば外は真っ暗で、開け放した窓から入る風は火照った体を鎮めた。窓の正面には池があり、その真上に三日月が光っている。
「……叡仁、先輩……おれの気持ち、知ってたんですね」
武道場には二人きり。灯りもつけず、隣に座る先輩に尋ねる。
「ああ……。気づいていて、気づかないふりをしていた」
「そんなにわかりやすかったですか?」
「毎日あんなに熱っぽい視線で見られて、気づかない方がおかしい」
自分では隠せていると思っていただけに、恥ずかしい。
「だが……俺はお前との将来を約束できない。責任の取れないことをしてしまった。すまなかった」
先輩の実家は、歴史のある古い家だと聞いている。一般に名家とか良家とか呼ばれるやつだ。祖父の代からは病院を経営していて、先輩はその跡取りとしての期待を一身に背負っている。
「古臭い慣習だと思うかもしれないが、俺は俺の両親を裏切るようなことはできない。それに……」
何か言いかけて俺の顔を見、微笑んで首を振った。
「いや、何でもない。こんな形になってしまって、今更何を言っても嘘っぽくなってしまうが、俺は君の好意が嬉しかった。これだけは本当だ。君には幸せになってほしい」
俺だって。たった一度でも先輩に求められて、狂おしいほど愛されて、本当に嬉しかった。幸せでした。けれど口にすることはない。
「……一色先輩も、幸せになってください」
鉛のように重たい体を持ち上げて、俺は立ち上がる。
「彼なら外の自販機だ」
先輩が言った。
「……愛しているのか?」
「……わかりません。でも……なんだか、放っておけないんです」
「そうか」
さようなら、と心の中で呟いた。
街灯がある分、中よりも外の方がいくらか明るい。自動販売機のそばの青いベンチに人影があり、俺はその隣に腰掛けた。
「伊吹ちゃん……」
「うん」
「何しに来たの」
拗ねたような声音だ。
「何って……」
「あの人といちゃいちゃしてればいいじゃないか。オレのことなんか放っておいてさ」
ぐしゃ、とコーヒーの空き缶を潰す。ベンチには既に二本、潰れた空き缶が並んでいた。
「俺がどうしてここへ来たのか、わからないからお前はいつまで経っても牧野なんだ」
「何だい、それ。なぞかけなんてやめてくれよ」
「お前、俺が好きなんだろ」
メキ、と潰れた空き缶に追い打ちをかける。
「好きだろ、俺が」
「馬鹿なこと言わないでくれ。嫌いだって、前にも言っただろう」
「言葉が足りないな。オレを好きにならない伊吹ちゃんなんか嫌いだ、の略だろ」
「っ! 何なんだよ、さっきっから!」
握りしめていた空き缶を地面に叩き付けた。甲高い音が響き渡る。牧野は俺の胸倉を乱暴に掴んで迫る。
「嫌いと言ったら嫌いだ! 伊吹ちゃんだってオレを嫌いじゃないか!」
「……嫌い、だった」
「そうだろう? 伊吹ちゃんはあの人が好きで、オレのことなんて眼中になくて、どうでもいいと思っていて、そういうところが嫌いだって言ってるんだ!」
早口で捲し立てた牧野の声が、暗い夜空に木霊する。俺は胸倉を掴む牧野の手を外し、両手で優しく握りしめた。
「俺も、ずっとそう思っていた。俺は叡仁先輩が好きだし、お前も女が好きなのに、どうして俺なんかに執着するんだろうと、ずっと考えていた」
「……っ」
「だけど、難しく考える必要はなかったんだ。単純に考えればすぐにわかることだった。なのに、随分と遠回りをしてしまった。……お前も、俺と同じだったんだよな。気づかなくて悪かった」
牧野の手にそっと口づける。驚いたように、ピク、と指が動く。
「いい加減、お前も腹を括れ」
「……伊吹ちゃん……」
「どうなんだ。俺が嫌いか?」
牧野は眉間に皺を刻み、唇を噛みしめる。街灯がそばにあるせいか、瞳が潤んでいるように見えた。そして、目が合った。次の瞬間、力いっぱい抱きしめられる。牧野の両腕が背中に回り、苦しいくらいにぎゅうっと抱きしめられる。俺は、ゼロ距離で震える眩い金髪に頬をすり寄せた。
「伊吹ちゃん……ずるいぜ、こんなの……」
「ずるいのはお互い様だろ」
牧野の大きな背中に、ゆっくりと腕を回す。するとますます強い力で抱きしめられる。
「まきの……くるし……」
「ずっとずっと、好きだった。きっと一目惚れだったんだ。なのにオレ……好きな子に優しくできないなんて、オレは本当に愚かだった。ごめんよ、伊吹ちゃん」
「もう怒ってない、から……謝るな」
「でも、いいのかい。せっかくあの人と思いが通じたんだろう? 大好きだってずっと言っていたのに。オレよりも、あの人の方が……」
そのことなら、もういいんだ。元々、俺には不釣り合いな相手だった。いくら手を伸ばしても届かない、夜空に光る星のような人だった。彼女がいようがいまいが、最初から俺に可能性はなかった。そのことを俺は、好きになった当初からずっとわかっていた。
「……フラれたから」
「はぁ!? ウソだろ?! だってあんなに……」
「いいんだ、もう……すっぱり諦めがついて、むしろ晴れやかな気分だ」
「で、でもなぁ……」
狼狽えたように離れていく牧野の体を、今度は俺が抱き寄せる。あの人のものとはまた違うが、それなりに堅くて厚みのある大きな胸に顔を埋 める。
「離れるな。俺だけに集中しろ」
「い、伊吹ちゃん……!」
牧野は感極まったような声を上げる。
「キス、してもいいかい?」
顔を上げ、目を瞑った。尖らせた唇に、ふわりと甘い感触がある。
「……次からは、いちいち訊くなよ」
と言うと、噛み付くようなキスをされた。
それから俺達は、所謂恋人同士というやつに収まった。ただ、正直あまり実感はない。ほとんど今まで通りだ。大学へ行けば必ず顔を合わせ、昼は一緒に食堂へ行き、テスト前は勉強会をし、研究発表の準備を手伝ってやり、時間があれば飲みに行ったり遊びに行ったり、たまには遠出もしてみたり。
そんな中でも、一応変わったことはある。牧野が女遊びをやめたこと。ごくごく稀に、朝一緒に登校すること。今日も仲がいいなと同級生に揶揄われても、以前より腹が立たなくなったこと。それから……あとは、恥ずかしいので俺の口からはとても言えない。
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