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第11話
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五代と一緒に船で世界一周旅行にでかける――それが清の唯一の夢であり目標だった。往年のタイタニック号ほどコテコテの豪華版はなくとも、『豪華客船で世界一周!』なんて銘打った金持ち対象のツアーは、今どこの旅行社でも企画している。費用は格安の国産船で百万くらいから。
コツコツと貯めてきたそのためのクッキー缶貯金だが夢は露と消え、結局使い道がなくなってしまったことになる。
一度月峰にくれてやった金だ。プライドもあってやっぱり返せとは言えない。これまでの家賃代わりにやるよと言うと、それじゃせっかくだから少し使わせてもらおうかと月峰が言い出した。
「カレーはまたにして、今夜は綺麗な船に乗っておいしいものを食べよう」などとやけにテンション高く言い出す月峰に引きずられ、連れてこられたのがこの場所だ。
「世界一周にはほど遠いけど」と月峰が携帯で急遽予約した、『都会の夜景を楽しむ東京湾一周クルーズ』。タイタニックには到底及ばないが、有名レストランの一流シェフによるフランス料理を味わい、遊覧船からの夜景を満喫するというロマンチックなコースだ。一人頭、8500円。
人生最大級の手痛い失恋をしたばかりで沈み切っている清を、なんとか元気付けようという月峰の気遣いはよくわかったのだが、こればかりは完全に失敗だった。クリスマスを1週間後に控えた週末の夜だ。ロマンチックにライトアップされた遊覧船は、船全体からハートマークが飛びそうなほど幸せいっぱいのカップルで埋め尽くされていた。
白いグランドピアノの生演奏付きの船上レストラン内で、男2人連れの客は見渡す限り清と月峰だけだ。しかも月峰は仕事着のグレーのつなぎ、清はいつもの派手派手ファッションときては、アンバランスな2人が一体どういう知り合いなのだろうと訝しげな視線が集まるのも無理はなかった。
月峰はなんとも申し訳なさそうに首をすくめているが、実際のところそれ以上に引け目を感じているのは清の方だった。以前も五代の代理で現れた月峰とこういう気取ったレストランで食事したことは何度かあったが、こんなにも居心地の悪い気分になったことは一度もない。そのときは究極にダサい月峰と食事をしてやるのはさながらボランティアで、完全に清は上から目線だった。
それが今は、全然違う。いかにも堅気じゃない風体の自分の存在が、月峰に恥をかかせ、その価値を下げているように感じてしまうのだ。おかげで有名シェフが腕を振るってくれたフレンチも砂を噛むようだ。
しかもこんなところで改まって対面に座り、相手の顔をまともに見ながら何を話せばいいのかもわからない。これまでは月峰が一方的にしゃべって、清は半分聞き流しながら適当に相槌を打っていればそれですんでいた。機嫌が悪いときは返事すらしなくても、月峰は慣れており特に気にしていないようだった。
それが、どうしたというのだろう。こうして向き合っているだけでそわそわして落ち着かない。相手は下僕みたいにひどい扱いをしてきた月峰なのに、初めて背伸びデートする高校生みたいに硬くなってしまっている。
「ね、ねこちゃん、ごめんね。こんなに人がいるなんて思わなくて」
仏頂面で黙々と食べている清が怒っているとでも思ったのか、月峰はなんともすまなそうに謝ってくる。
「べ、別に」
つっけんどんに返す。内心の動揺をごまかそうと、舌平目のナントカ風をシェフが悲鳴を上げそうなくらい豪快に口に放り込む。
月峰は幾分ハラハラしながら、けなげにも会話を繋ごうとする。
「こ、こういうお店で食事するのって久しぶりだね。あ、覚えてる? 初めて会ったのもフランス料理のお店だったんだよね」
覚えている。五代との久しぶりの食事の約束、急な仕事が入ったので代理に弟を行かせるという連絡があった。五代が来られないのなら中止にしてもよかったのだが、その弟というのに興味があって足を運んだ高級レストランで待っていたのは、究極にダサい作業着姿の、五代とは似ても似つかない男だった。
その場で踵を返さなかったのは、『はじめまして』と挨拶した男の笑顔がとても感じがよかったからだ。顔形の問題ではない。草原に咲く名もない白い小さな花とか、山の奥に涌き出る透明な泉とか、そんなものを発見したときみたいな、それは癒される感覚だった。
そしてそういったものは、それまでの清の日常とはあまりにも縁遠いものだった。
「あのときね、俺びっくりした。こんなに綺麗な人、生まれて初めて見たと思ったんだよ。食事してる間もずっとドキドキしてて、何話したか全然覚えてないんだ」
確かに、月峰はひどく緊張していた。使うべきナイフとフォークを間違えたり、ワイングラスを盛大にひっくり返したりと大騒ぎで、清は数え切れないほど心の中で舌打ちし、一刻も早く帰りたいと来たことを後悔していた。
「それからも兄さんの代理で、ねこちゃんとこうやって食事することあっただろ。それさ……」
月峰は俯き、少し言いよどむ。
「俺が兄さんに頼んでたんだ。あの人にまた会いたいから、機会を作ってほしいって」
「マジで?」
初耳だ。五代があまりにも頻繁にドタキャンするのでおかしいとは思っていたが、実際は仕組まれていたことだったのか。
「信じてほしいんだけど、俺ねこちゃんが兄さんと恋人同士って知らなかったんだよ。兄さんは君のこと、ただの知人だって言ってたからさ。だから、俺が好きになってもいいだろうって」
『好き』と言われるのはこれで二度目だ。心臓がコトンと一つ大きく打った。
「君みたいな綺麗な人が俺とつき合ってくれるなんて、夢みたいなこと思ってなかったよ。でもたまにそうやって食事してもらうだけですごく嬉しかったんだ。俺の人生に張りができるから、勝手に好きでいさせてもらおうと思った。それくらいは許されるだろうって」
「お、俺が五代の使い古しだって知っても、全然綺麗じゃなくなっても、おまえよかったのかよ」
「君は使い古しなんかじゃないし、今でもすごく綺麗だ」
顔を上げると月峰の真剣な瞳とまともにぶつかり、清はうろたえる。
「だけど、俺、だって……」
言葉が出てこない。混乱して、みっともないくらいグダグダになってしまっている。月峰とまともに目を合わせられない。本当にどうしてしまったのだろう。
「ねこちゃん」
ウエイターがデザートの皿を下げていったタイミングで、相手の真剣な声が届いた。清は顔を上げられない。
「俺これからも、君の隣にいていいかな。君のこと、ずっと守っていきたいんだ」
迷いのない問いかけだった。気持ちを受け入れてほしいとか好きになってほしいとかではなく、今の清の気持ちを尊重しながら、ただそばにいて守りたいというのが月峰らしかった。
「そ、そんなん、ダメだ」
そう即答したのは、照れ隠しとは違う理由からだった。
ずっとまともに考えないようにしてきたが、今はちゃんと認められる。自分は月峰に相応しくない。自分さえいなければ月峰ならいくらでも相手を選べ、幸せな人生を送れるはずだ。自分の存在は月峰の幸せにとって害になりこそすれ、明らかにプラスにはならない。
「ダメなの?」
悲しそうな声が届く。
「ダメに決まってんだろ」
いたたまれず席を立ち、甲板へと逃げていく。
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