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第17話

 法定速度を軽くオーバーする勢いの高級車で病院の玄関に乗り付け、受付で場所を聞き飛んでいったはいいが、月峰の怪我は弾けた部品が腕に当たって3針縫ったという程度の軽傷だった。普段の月峰からは考えられないようなミスだったらしいが、それもおそらくここ数日のハードな日程で集中力が衰えていたせいだろうという話だった。  いい機会だからこのまま何日か休めと言う親方の命令に反抗し、どうしても仕事に戻ると言って聞かない月峰をおとなしくさせるべく、切り札の清が呼び出されたらしい。  病院に駆け込み、すでに治療を終え痛み止めの薬をもらうために待合室で座っている元気そうな月峰を見たときには、全身の力が抜けるほどホッとした。親方やヤスオが横にいるのも構わず抱き付いてしまったくらいだ。顔色や体格からしても周囲の人間は、清の方が病人だと思っただろう。  清が血相を変えて飛んでくるとは完全に想定外だったらしく、その尋常でない混乱ぶりに月峰の方が逆にうろたえ、すっかりあわてふためいていた。帰宅を素直に了承したのも、清が涙目ですぐうちに帰ろうと言ったからだった。  一刻も早く帰りたくて、病院で客待ちをしていたタクシーに乗り込んだ。月峰は清の勢いに押されてされるがままになっていたが、髪が変わったのが珍しいのかときおり眩しそうに細められた目を向けて、あからさまに見惚れているふうだった。 「うわぁ、茶トラが可愛い黒猫になっちゃった……」とか、わけのわからないことを呟き、しきりと髪に触りたがってくる手を捕まえて、膝の上でしっかりと握った。月峰はひたすら困惑気味だったが、微かに震えている清の手を黙って握り返してくれていた。  うちについたら何から言おうとか、そんなことが山のように頭を駆け巡ったが、感情ばかりが先走ってちゃんと言える自信がない。触れ合う指先から、自分の今考えていることが、そっくりそのまま相手に伝わってくれればいいのにと思う。  車でわずか10分の距離が相当長く感じられた。鍵を開ける月峰の背をもどかしげに押し込み後ろ手に戸を閉めると、やっと2人だけになれたという安堵感に包まれた。もつれそうになりながら靴を脱いで部屋に押し込み、両手を伸ばしてしっかりと抱き付いた。 「わっ、ね、ねこちゃん?」  当惑する気配とともに、大きな優しい手が両肩をそっと掴んで引き剥がす。気持ちが素直に表れた恥ずかしい顔を上げさせられる。 「ど、どうしたの? 何かあったの?」  温かい指が頬に触れた。 「俺……俺いろいろ、言わなきゃなんないことあるけど、とにかく俺も……俺も、おまえと一緒にいたい!」  一番言いたいことだけ言えたらホッとした。全身から余分な緊張が抜けて、一気に楽になった。ただ、一世一代の告白に対する相手の反応は焦れるくらい薄かった。 「うそ」  と一言、呆然と唇が紡ぐ。 「う、うそじゃねーよ! 俺さっき、五代とちゃんと別れてきたんだぞ! 俺、スゲー怖かったけど、でも俺、ちゃんと言えたから! もうおまえの方が大事だって、みんなにちゃんと言えたんだかんな!」  興奮して、言っていることが支離滅裂になっている。今頃になって安堵感が一気に襲ってきて、震える手でしっかり月峰にしがみつき、清は目を潤ませる。 「だって、わかったから。俺今、や、多分もう前からあいつのこと全然なんとも思ってない。それよりおまえがケガしたって聞いて……俺、それどころじゃなくなって……すげー心配したんだかんな!」 「じゃ、本気で俺のケガを心配して、それで走ってきてくれたの?」  今さらとんちんかんなことを言って目を丸くする男の胸を、イライラと両拳で叩く。 「そうだよ! おかしいかよ!」 「信じられない」  茫然と呟く声。それでも、その両手は清の背に回される。くるまれるように抱き締められると、全身の細胞が溶けて流れ出しそうなほど心地よかった。 「信じられないよ。嬉しくて」  涙声にびっくりして振り仰ぐと、月峰は照れ笑いでそっと目元を拭った。つられてこみ上げてくるものがあって、清は思わず俯いた。誰かに想いを告白するだけで、感極まって涙が出てくるなんてことがあるとは思ってもみなかった。 「ねこちゃん、さっきの、もう一度言って」 「一緒にいたい。俺、おまえが好……」  最後まで言わせてもらえなかったのは、キスで唇をふさがれたからだった。布団にもぐり込んだときに月峰の方から軽く額にキスしてくれることはあったが、唇に口付けられるのは初めてだった。  苺にかけた甘い練乳の味がするのはきっと錯覚だろう。温かくて優しい唇を、清は背伸びをして思う存分貪った。

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