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ep.6
柊一に最後通牒を突き付けてから三日ほどしてアーチボルドは大学へ姿を現した。
そのことに柊一はすぐ気付いていたものの、アーチボルドからの言葉を戒めとして心に刻んでいたため、声をかけることも姿を見せることもせず、遠くから密かに眺めるだけにとどめた──。
ほんの少し見なかった間に遠目からでもわかるほどすっかり痩せてしまったその後ろ姿に、柊一は自分の犯した罪の大きさとアーチボルドの傷の深さを改めて思い知らされ再び酷い自己嫌悪に陥った。
樹神 柊一がアーチボルド・アンリ・テイラーという存在を知ったのは桜の美しい明るい春の日だった──。
入学式当日、一際目立つ容姿のアーチボルドはもちろん周囲からの視線を釘付けにしたし、柊一も例に漏れずその中の一人だった。
アーチボルドはまわりの日本人たちとは明らかに違って顔つきも大人っぽく、未成年とは思えない色香と華やかさを兼ね備え、新入生たちはそんな彼に一瞬で魅了された。
その上アーチボルドは他人を簡単には寄せ付けないまるでどこかαのような高貴なオーラすら纏っていて、わかりやすい下心を持った人間が気安く声をかけて馴れ合えるような気配も隙も全くなかった。
そんなアーチボルドほどではないしても、家柄の良いαの柊一もまた、一般学生たちとは明らかに一線を画しており、高校を卒業したばかりとは思えない垢抜けて整った顔のつくりとそのスタイルの良さで主に女子学生からの注目を浴びていた。
同じ目立つ新入生という共通点を持つ二人の完全なる相違点は、αとΩという両極端な性もそのひとつではあったが、何よりもαである柊一がその優位的性を振りかざすことなく、どんな相手へも壁を作らずフランクに接する点がなによりも大きかった。
そんな金持ちのイケメンαを妬むものも中にはいたが、嫌なら傍に来なければ良いと柊一は潔く割り切っていた。
幼少時代から自分の生い立ちに対し散々妬まれ慣れていた柊一は、悪意を持って接してくる人間にわざわざ醜態を晒すような面倒な真似はしなかったし視界の隅にも入れようとはしなかった。
ただ彼と素直に友達になりたいと思い傍へ来るものには男女共分け隔てなく接したし、彼と付き合うことで何か自分に利益があるのではないかと下心丸出しのものにも柊一は嫌な顔一つせず友達の一人としてフラットに接した。
相手がどんな腹の内を持っていても、柊一は全く気にすることなく、来るもの拒まず、去るもの追わず、広く、浅く──今いる仲間たちと過ごす毎日が楽しければそれで良い、というのが柊一のスタイルだった。
幼い頃はうっすらと芽を出し始めたα性が足枷になり、辛い思いをすることもあったが、自分がαだというハッキリした自我が芽生え、それを理解できる思春期を過ぎてからはαであることを素直に受け入れ、それに争うことなく柊一は生きて来た。
学生という最強の免罪符で許されるラスト4年間は、周りが勝手に作り上げた世間知らずαの金持ち坊ちゃんである樹神柊一の姿で人生最大に手も気も抜きに抜いて、社会に出る前最後の盛大な道楽に使ってやろうと柊一は安易な気持ちで大学の門を叩いたのだ。
──そんな柊一の真逆の場所でアーチボルドは孤高に立っていた。
誰かとつるむわけでもなく、自分が選択した講義には当然ながら真面目に全て出席し、放課後は部活動に勤しみ、それぞれの場所で精一杯努力し、それに似合った結果をきちんと出していた。
アーチボルドは学生として有意義という日本語を言葉通りまさに正しく用いて大学生活を謳歌していた。
柊一が悪い学生の見本ならばアーチボルドは学生の本来あるべきそれこそ大学生の鑑だといえた──。
そんな青天白日なアーチボルド相手だと、広く浅く他人と馴れ合うのが何よりも上手な柊一が、何故か空回りしてしまい、ひとつ話しかけるのにも上手くいかず、何をするにもαとは思えないほどスマートさの欠片もなく、とても不器用で不恰好だった。
アーチボルドが外国からやって来た聖人君子だとしても、所詮相手はΩ。αの自分がその気になれば簡単にどうとでもなると高を括っていたのかもしれない──。
だが現実はアーチボルドのあの深い青い瞳でまっすぐ見つめられるとそんな甘い考えはすぐに飛んでいってしまい、柊一は思春期の中学生みたいな減らず口を利くのが精一杯で、結果として得たものはひたすらに積み重なっていく自分へ対する反感だった。
自分たちがもし幼い子ども同士だったら、偶然出会った公園で簡単に知りあって、一緒に遊んで、簡単に友達にもなれたかもしれないのに──なんて、そんな可愛い妄想話を今の柊一を知る人間たちにはとてもじゃないが言えるはずもなかった──。
そんな稚拙で馬鹿げた妄想をするくらい、なぜか柊一はアーチボルドに初めから執着していた。
──そして迎えた、一番最悪な結末。
自分をやたら拒絶してくるアーチボルドに苛立って、理性の中に飼っていたαが牙を剥き、一番人としていけないことを柊一は犯した──。
喜勝の言う通り、あれは犯罪だ──。
そして何よりアーチボルドの心と身体に消えない深い傷を付けた。
身体を繋げられたら心なんて後から簡単にどうにでもなるのではないかと、浅はかな自分がしでかした大罪──。
「俺が魚の餌になったら……あいつは楽になれるのかな……」
柊一はアーチボルドがひとり座って小説を読んでいたベンチに腰掛け、俯きながら小さく呟いた。
そのまま秋風に吹かれながら柊一は日頃の睡眠不足がたたったのか、身体を屈めてうとうとしはじめた。
浅い眠りのせいか、柊一は昔の夢を見た──。
幼稚園に通う柊一はすでに周りの子どもより頭一つ抜けていて、本人にその気はなくとも周りの子どもたちはいつのまにかそんな柊一を避けるようになった。
柊一は本来の明るい性格上、そんなことは関係なしにたくさんの友達が欲しかったし、皆で楽しく遊びまわりたかった。
だけど、その願いはすでに叶わなくなっていたので柊一は仕方なく一人で遊ぶことに慣れていった──。
小学校に入学してからは、幼稚園で学習した柊一はわざと授業での解答や宿題、テストの点を少しずつ落とし何よりも優先したかった友達たちを確保した。
その事を両親に酷く叱られたが、柊一は決して両親に従うようなことはせず、自分が楽しく過ごせる環境の方を選んだ。
だけどある時、一番仲のいい親友につまらないことで喧嘩した時にボロッと言われた。
「柊一はなんだか嘘っぽい」──と。
ショックだった──。
なぜかすぐに反論できなくて、それからまた幼稚園の悪夢が柊一を襲った。
突然上手く立ち回れなくなって、気が付いたらまた自分は一人になっていた──。
勝手に器用だと思い込んでいた自身のあまりの不器用さに嫌気がさして、柊一は周りの人間にとって丁度良い自分を演じることを全て放棄した──。
──あの時、柊一は一緒にその後の人生すら諦めたのかもしれない……。
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