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ep.7

 なぜかその男は眠りながら泣いていた──。  ベンチに座ったまま、何か悪い夢見ているのか、瞼が時折痙攣しては目尻からゆっくりと涙が流れ落ちてゆく──。  アーチボルドはそこへ座って読もうとしていた小説を片手にその姿を黙って上から眺めた。  あんなに恐ろしいと思った男が、その大きな身体を折り曲げて座り、どことなく幼なげな寝顔で泣いている姿を見ていると、なんだか身体の大きいだけの子どもでも見ているような不思議な気分になった。 「──……ぃで」 ──行かないで。  とても小さかったけれど、男の口から幼い子どもが誰かに縋る、切なる願いが突然聞こえた。  実の母親と離れた時、自分も同じことを泣きながら大声で繰り返したのをアーチボルドはふと思い出した。  アーチボルドは空いていた左手を男に伸ばしたが、無意識に動いた自分の手に驚いてすぐに引き、少し逡巡して再びその茶色く染めた明るい髪に伸ばして触れてみた。 ──相手が眠っているせいか、怖くはなかった……。  泣いている子どもにするみたい髪を優しく撫でてやると、柊一は辛そうに顰めていた表情を少しだけ緩めて苦しげに詰めていた息をふっと短く吐いた。  柔らかい髪をすいていると、悪夢から解放されたのか、柊一はゆっくりと瞼を開いてゆく。  逃げるタイミングを失った手はそのまま柊一の髪に触れたままで、柊一はそれに驚くわけでもなく、目の前のありえない状況にまだ夢の続きだとでも思ったのか、アーチボルドを見て儚げに微笑んだ。 「俺さ……昔海で溺れてからトラウマで泳げないんだ……だから、お前が望むなら今すぐ海に沈んでもいいよ……」  微笑みながら残酷なことを語る柊一にアーチボルドは驚いたが、それは以前自分が柊一を脅した時に告げた言葉で、そう言わせているのは誰でもない自分なのだとアーチボルドは唇を噛んだ。 「……ごめんな、あんな酷いことして……本当にごめん。謝って許されることじゃないのもわかってる──だから俺はちゃんと罰を受けるよ……」  柊一が手を伸ばし、アーチボルドの細い指先を優しく包んだ。暖かなその手は不思議と怖くなくて、アーチボルドは逃げることなくじっと柊一の大きな手を眺めた。 「──に直接謝れてよかった……。ありがとう……」  この男は本気で死ぬ気なんだとアーチボルドは本能で理解した。何よりも自分自身がその感覚を知っていたからだ──。 「退くよ……小説が読みたかったんだよな。また日本文学か? お前は日本人より日本人らしいかもな」  最後にわざとそんな軽口を叩いて柊一は小さく笑うと立ち上がり、握った手をほどいてアーチボルドに簡単に背を向け歩き出した。  動揺したアーチボルドが振り返っても、柊一は真っ直ぐとこれから向かおうとする最期の場所へと歩き続ける。  ドサリとアーチボルドが持っていた小説が足元に落ちて、滑り流れた栞が芝生の上を舞う。 「柊一!」  奇跡みたいなその声に柊一はいまだ呆然とした瞳のまま振り返った。 「──今……俺の名前……呼んだ……?」  確かめたかったのに自分を呼んだ相手は視界のどこにもいなかった──。  なぜならその相手は今、自分の腕の中にいたからだ──。 「お前なんかが餌になったら魚がかわいそうだ! 不味いに決まってる!」  ブルネットの髪が胸の中で揺れている。  こんなのはきっと夢に決まっている──柊一はきっと自分は完全に頭がおかしくなって白昼夢でも見ているんだとその現実を受け入れられずにいた。 「アーチー……?」  そう呼ばれて青い瞳を濡らしたアーチボルドが下から柊一を睨むように見た。 「俺はαが嫌いだ、傲慢でΩのことを服従させることしか頭にない」 「……ごめん」 「だけど……なんで……」 「アーチー……?」  俯いて顔を隠すアーチボルドを柊一は心配そうに伺うが、アーチボルドはどうしても顔を見られたくないのか、自ら柊一の胸に顔を押し当て、白い手を広い背中へと回した。 「──お前のこと……嫌いになれない……」  その言葉を聞いた瞬間、柊一は長い腕をアーチボルドの身体に回して強く抱きしめ返した。  息が詰まるかと思うほどの強い力だったが、アーチボルドにはなぜかもう何の恐怖もなくて、その力から生きる意思を感じることが出来て逆に嬉しく思えた──。 「じゃあ、友達にならなってくれる……?」  涙声でαとは思えない可愛く小さな願い事を囁く柊一にアーチボルドは思わず目を丸くした。そして小さく吹き出してしまった。 「友達? お前は俺に友達になって欲しかったのか?」 「わかんない……俺はアーチーが欲しいから。どんな形でも失わないでいられるならそれだけでいい──」 ──ふざけている。散々あれだけのことをしておいて、こんな小さな子どもみたいな願い事をこの男は自分にするのかと、あまりの馬鹿らしさにアーチボルドは笑いが止まらなかった。 「考えておく──」 「それが無理なら知り合い、ううん、顔見知りでもいいよ。通りすがり、挨拶だけの顔見知り」 「もうわかったから少し黙れ……」  アーチボルドはすっかり涙か引っ込んでしまい、柊一の大きな胸の中でずっと笑い続けた。

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