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ep.13
外の世界にようやく姿を現した命は、ここにいるよと自分の存在を訴えるかのように激しく泣き叫んでいた。
「はあ〜、いたかったぁ……」
「はい、ママに抱っこしてもらおうねぇ。2735g、元気な男の子ですよ」
アーチボルドはぐったりと真っ赤になった体を倒したまま、自分の分身を助産師から受け取る。
小さくてあったかくて真っ赤な命──
柔らかいその頬を撫でて、小さな手のひらを指先ですくって目の前の命を改めて実感する。
「ふふ、全然柊一に似てない……」
「えっ! 嘘だっ、似てるって。か、髪の色とかっ?」
柊一は泣いてぐしょぐしょになった顔を息子のそばに寄せ、まじまじと眺めてから最後にはだらしなく緩んだ顔で微笑む。
「かわいいなぁ、アーチーと俺の赤ちゃん──」
自身のこどもへの愛情を素直に口にするその姿が無性に可愛く思えて、アーチボルドは自分も相当重傷なんだと改めて理解した。
「うん……かわいい」
──生まれてきてくれてありがとう。
俺たち家族の第一号になってくれてありがとう──。
アーチボルドはその夜、ひとりになった病室の中で夢を見ていた──。
寒くて、暗くて、雪がチラつく冬の海──
見覚えのあるその絶望の景色──
そこにいるのは13歳の自分ではなくて、まさに今ベッドで横になっている姿のままのアーチボルドだった。
不思議と寒さを感じない──たけど冬の強い風がアーチボルドの髪に巻きついては乱しながら通り過ぎてゆく──
不意に右手を握られ、アーチボルドは驚いて視線を手元へやった。
そこには見たこともない英国人の男の子が立っていて、日本人で例えるならばまだ小学校低学年くらいの容姿に思えた。
彼はアーチボルドを見ることは一切せずにじっと暗い海だけを見つめていた。
アーチボルドはすぐにその子どもがこの海で自分が殺した我が子だと理解した。
──なぜならその子はあまりにも幼い頃の自分にそっくりだったからだ──。
アーチボルドはその子と視線を合わせられるように砂浜に両膝をついて、海から視線を逸らそうとしない我が子の顔を覗き込んだ。
「ねぇ、ここは寒いから……早く暖かい場所へ行って……それともずっと行き方がわからずにここにいたの?」
髪を撫でても頬に触れても肩を揺らしても、彼は自分と同じ色をした強く青い瞳を海から決して逸らさない──アーチボルドはとうとう泣き出してその小さな身体を抱き締めて何度も許しを乞う──。
「お願い、ここからもう離れて──ここは寒いから……もっと暖かくて明るい場所へ行って……お願い──」
「さむくないよ──」
腕の中でようやく彼は初めて口を開き、アーチボルドは涙を弾かせた。
彼はいつのまにかおだやかな瞳で海からアーチボルドへと視線を変えていた。
「さむくない、だいじょうぶ」
「でも……」
「ほんとう。ここへはお別れをいいにきたの」
「──お別れ?」
涙で濡れたアーチボルドの頬を彼は撫でるとようやく笑ってみせた。
「すごく明るい光がね、ぼくを呼んだんだ。だからぼくはそこへ行くの。会いにいくの──」
「会いに……いく……? 誰に……?」
「マムはぼくをずっと呼んでくれていたでしょう? ぼく、ちゃんと聞こえてたよ」
アーチボルドはもう何も言葉にすることができなくて子どものように泣き崩れながら彼を強く抱き締めた。
「もう泣かないで、ぼくはだいじょうだから」
「……ほ、んとうに?」
「うん、ほんとう。だからもう泣かないで──」
「ごめんね、ごめんなさい……ずっとひとりにしてごめんなさい……」
「だいじょうぶ。ぼくはずっとマムのそばにいたからさみしくなかったよ。これからもそばにいるからね、だいすきだよ、マム──」
そう彼は微笑みながらアーチボルドに告げると彼の身体は光に包まれ肉体を失い、アーチボルドのお腹の中へと吸い込まれるように消えていった──。
驚いてアーチボルドはそこで目を覚まし、夢と現実の区別が一瞬つかないまま身体をゆっくりと起こす。
涙で濡れた目を擦りながら見回したそこは夜眠った病室と同じで、時間が流れたのがわかるように窓からは明るい朝の光がたくさん差し込んでいた──。
「夢……」
──だけど、夢じゃない……。
"だいじょうぶ、ぼくはそばにいるよ"
「うん……大丈夫……。もう二度と、ひとりになんかしない……」
アーチボルドは泣きながら微笑んで愛する我が子に心から誓った──。
「うわあああああん!!!!」
洗濯物を取り込んでいたアーチボルドが次男の異様な泣き声に慌ててマンションのベランダから部屋の中へと戻って来た。
部屋に戻ると次男は殴られたであろう頭を押さえながら顔を真っ赤にして泣きちぎっている。
「コラッ、コーイチ! キイチのこと殴っちゃだめでしょっ」
「だって、キイチが僕の広辞苑破った!」
「こ、広辞苑?!」
──五歳児に広辞苑って……絶対お義父さんからの贈り物だな、相変わらずのセンス……。とアーチボルドは顔を引き攣らせて泣きじゃくる甘えん坊の次男を抱っこした。
「それにキイチは過剰に泣いてお母さんの気を引いてるだけだよ!」
「二歳児なんだからそりゃ引くよ! コーイチだってこのくらいの時はものすんごーく泣く子だったんだからねっ。ほら、コーイチもおいで!」
顔だけは似ているのに使う言葉も世間の五歳児とは明らかに違う全く中身の似ていない長男、コウイチをぎゅっと抱き締めてやると弟への嫉妬と怒りが少し和らいだのか、ご満悦そうに微笑んでアーチボルドの肩に両手を巻き付けている。
「コーイチもキイチも大事なお母さんの子どもなんだから、みんなで仲良くしよう? お母さんは二人に喧嘩して欲しくない」
「……だって、キイチすぐに理不尽に怒り出すんだもん」
──だからその単語をどこで学んだんだ、広辞苑なのか、我が子よ。とアーチボルドは目を瞑る。
──きっと柊一も小さい頃からこうだったんだろうと過去を話されなくともアーチボルドは理解した。
コウイチの通う幼稚園の先生から、大勢の子と仲良く遊ぶのがどうも苦手なようだと知らされた時に息子の特性を悟った。それと同時に柊一はただ黙って俯いたのだ。
だからなのか、誰よりも父親である柊一はコウイチを可愛がった。まるで、昔の自分が癒してもらえなかった幼い頃の心の隙間を我が子には作らせたくないのか、コウイチが嫌がるまで抱っこしたりいつまでも一緒に過ごした。
「ねえ、日曜どこか行こうか? コーイチの行きたいところ、どこでもいいよ?」
「……でも、お母さんキイチのことずっと抱っこするでしょ?」
幼いながらも嫉妬する顔を母親に見られたくないのかコウイチはアーチボルドの胸に顔を埋めてつまらなさそうに呟いた。
「ううん、その日はお父さんにキイチを抱っこしてもらう。お母さんはコーイチと手を繋いで歩きたい」
「ほんと?」と年相応の甘えた瞳でコウイチはアーチボルドを見上げた。
「うん、だからコーイチが行きたいところに行こう?」
「じゃあね、水族館が良い。イルカが見たい」
「わかった、行こ。イルカ見に行こう」
「お母さん、知ってる? イルカってねずっと泳いでいるように見えて半球睡眠って言って左脳と右脳を片方ずつ……」
「コーイチ! お母さんのお手伝いしてっ、洗濯物一緒に取り入れよう? 競争ね!」
コウイチご自慢の生態博学語りシリーズをぶった切ってアーチボルドは満面の笑みで息子を簡単に誘惑した。
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