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ep.14

「うわぁ、キイチの赤ちゃんの時にそっくり……」  新生児室に並んだたくさんの赤ん坊の中から孫の姿を見つけると、アーチボルドは我が子にそっくりなその顔を見て愕然とした反面、キイチが産まれた時のことを一緒に思い出して胸がいっぱいになった。 「可愛いね、こんな早く孫の顔見るとは思ってなかったけど」と柊一はガラス越しの眠る孫を愛しそうに眺めた。 「ほんとにね、こんなことまで俺たちに似ることはなかったのに」 ──さすが遺伝子だと付け加えられるのを分かっていて柊一は先に「すみません」と気まずそうに頭を下げた。 「あー、もう一回赤ちゃん育てたくなってくる……ちっちゃくて可愛いなぁ……」 「まだ間に合うよ、三人目作る?」    柊一が、大真面目に言うものだからその鳩尾をアーチボルドは力加減なく殴りつけた。 「満更でもないくせに」とボソリと柊一が漏らすと鬼の形相のアーチボルドが「ああ?!」と声を荒げた。  子どもが産まれるとαなんてのは最早ミジンコ扱いなるのだと、柊一はしみじみと痛む鳩尾を撫でながら半べそになっていた。 「キイチがちゃんと大人になるまではしばらく俺たちが真柴ちゃんと赤ちゃんとを見守んなきゃなんだし、子どもなんて産んでる暇ないからね。それに──」 「それに?」 「──それが済んだら柊一と二人でゆっくり過ごしたい。なんか出会った時から落ち着く間も無くここまで来た気がするから」  新生児室の孫に穏やかな視線を向けたまま、アーチボルドは横に立つ伴侶に優しく本音を告げた。だが、あまりにも相手が無反応なのでアーチボルドは聞こえていなかったのかと心配になり視線をそちらへ移す。  すると、あまりにも至近距離にその相手の顔面があって慌ててアーチボルドは手のひらで抑え込んだ。 「あほっ! こんな神聖な場所でおかしな行動を起こすな!」 「イギリス人のくせに何でそういうとこだけ規行矩歩(きこうくほ)なの」 「キ、キコウク?? 奇行??」  知らない日本語にカルチャーショックを久々に受けて動揺しているアーチボルドに柊一は年甲斐もなく口付ける。不意打ちに弱いアーチボルドは抵抗するのも忘れてただ久しぶりに味わう愛しい男の匂いに一瞬頭が思考を止めた。 「ちょっと! 純粋無垢な俺の息子や他の赤ちゃんたちの前で早々と性教育すんのやめてくんない?!」 「キイチくん!」と柊一は慌ててアーチボルドを背中に隠して変な汗をかきながら気持ち悪い笑顔で必死に平常心を繕おうとしていた。  アーチボルドは息子の前でそんな姿を19年間見せてこなかったせいかショックが柊一よりもずっと大きく、どんな顔や声でキイチを見ていいのかわからず、ひとりパニック状態に陥っていた。  二人の息子が幼い頃から柊一がひたすらに甘やかすので、アーチボルドは仕方なく強く怖い母で貫いたからだ──。 「俺、母ちゃんのそういうの、見たくなかったわ……」  キイチのトドメの一言でアーチボルドは脳が完全に停止した。 「悪かったねー! お父さんさんだってキイチくんに見せたくありませんでしたぁ!」 「はぁ? だったらこんなとこでしないでくれますぅ??」 「すみませんねぇ〜お父さんはお母さんが大好きだから愛が溢れちゃうんですぅ〜」 「ご、ごめんね、キイチ……いやなもの、見せて……」  ヨロヨロとしながら柊一の後ろから少しだけ顔を覗かせてアーチボルドは目を潤ませながら眉を下げ、キイチに謝罪した。 「え、いや、そんなガチトーンで謝んないでよ……別に初めて見たわけじゃないから……」 「えっ!」と青い顔をしたままアーチボルドは目を丸くした。 「え? 気付いてなかったの?? 父ちゃんってすごい昔から母ちゃんのことずっと好きじゃん。俺らの小さい頃からすげぇイチャイチャしてさ、兄ちゃんとかマジでキレてたもんね。ガキの頃父ちゃんのこと空手の練習とか言って本気で蹴ってるの散々見たよ」 「えっ、本気でキレてたの?! お父さん全然気付かなかった!!」 「うん! それでこそ父ちゃん!!」  キイチはいろんなものを一周回って父を称賛する。 「あのねぇ、母ちゃんは気付いてないだけだから。父ちゃんって昔から俺たちにはすんごい甘いけど、そのかわりものすっごい母ちゃんの英才教育もエグかったんだからね」 「え、英才教育?」  アーチボルドは初めて聞かされる息子の驚きの言葉に出かけていた涙も止まってしまった。 「俺らがまだ小さい時から母ちゃんは父ちゃんだけの番だから変な気を起こすな、とか」  ギッとアーチボルドに鋭く睨まれ柊一は何も感じない、聞こえない石像にでもなったように目を閉じている。 「反抗期に母ちゃんの飯食わなかったら平気で俺の銀行口座から全額抜いたり、兄ちゃんの時はお小遣いで買った事典を全部没収されて母ちゃんに謝って二度と生意気な口を利かないって誓約書を書いたら返してやるって脅されたって……」 「キイチくんもう黙って! お父さん離婚されちゃうっ!」  アーチボルドは自分の空手教室と育児とで目まぐるしく過ごした十数年の間にあった出来事を初めて聞かされて驚きしかなかった。そして、知らないところで柊一はちゃんと彼らを叱ってくれていたのだ──。 「母ちゃん何で泣くのっ! 俺父ちゃんにまた口座から金抜かれちゃうっ」 「え? 泣く……? 俺泣いてる……?」  言われて初めて自分の瞳からポロポロと涙が溢れていることにアーチボルドは気付いた。 「わかんない……、びっくりした。はは、なんで泣いてるんだろ、俺──」 「アーチー……」  慌てふためく息子の手を取り、アーチボルドはうんと大きくなってしまったその手を愛しそうに撫でた。 「もうこんなに大きくなっちゃって……あんなに小さかったのになぁ……。泣き虫で、甘えん坊で……背中におんぶしながら空手教室してたのとかもうそんな昔のことなのかぁ……」 「いつの話してんのさ」  少し照れながらもキイチは母親のやることを黙って受け入れる。 「キイチがこんな早くお父さんになっちゃうなんて、びっくりだよ。マム大好きって言ってくれてたキイチが懐かしい」  そう言って自分よりすっかり背の高くなってしまった息子の顔を眩しそうにアーチボルドは見つめた。 「……息子、は、ずっと好きだろ、母ちゃんのこと……」 「マザコンめ」と石像がポソリと漏らす。 「うるせぇ、父ちゃんは黙ってろっ」 「キイチ、新しい家族のこと大切にね。あの子にはお前しかいないんだからちゃんと守ってあげるんだよ? もちろん真柴ちゃんのことも。これからも価値観とか色んなことで喧嘩するかもしれないけど、どんなときでもちゃんと向き合って、話し合って、相手から逃げないで。俺もね、7回くらい柊一のこと本気で殺してやるって喧嘩してて思ったけど実際ここまで殺さず来れたから大丈夫!」 「──最後の締めくくりが一番大丈夫じゃなかったけど、大丈夫かな?」と柊一は隣で慄いた。 「お父さんになってもお前は俺の大切な息子だから、辛くなったらちゃんと吐き出して? 俺でもいいし、柊一にでもコーイチにでもいい。ちゃんと周りに頼るんだよ?」 「──うん、わかった」 「キイチ、ハグして?」  大きくなってから珍しくアーチボルドは息子にせがむ。 「えっ、今?」 「えー、お父さんもしたーい」  じとりとキイチに睨まれ柊一は減らず口に手を置く。  照れ臭くて仕方なかったキイチだったが、珍しく母が自分に甘えてきたので大人しく願いをかねえてやる。  抱き締めた母親の身体はいつの間にか自分よりすっかり小さくなっていて、ひどく不思議な感覚だった。  最後にこうしたのはいつだったか──ものすごく遠い昔のことのようにキイチは感じた。 「お父さんも混ぜってばぁ〜」と柊一は二人を一度に抱きしめてキイチからすぐに不満を買う。アーチボルドは笑いながら「苦しい」と漏らしながらも幸せそうに声を出して笑っていて、キイチはその顔を嬉しそうに眺めた。 「もう〜〜息子の顔見に来たのに、いつ出ていけばいいのこれ〜〜?」    キイチと同じく息子の顔を見に新生児室に現れた真柴は、それよりも先に来ていた樹神一家の団欒に遭遇してしまい、仕方なく気配を殺して廊下の曲がり角の向こうでじっと待つことを強いられた。  ここに気軽に乱入できるほど真柴のハートは強くできてはいないし、勘の悪い真柴ですら今は絶対に違う気がした。  こんな俯瞰で誰かの子どもであるキイチの姿を見るのは貴重であろうと思い。幸せそうな家族の風景をしばらくは笑顔で優しく見守った──。

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