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Day2 - けんこうなこ

 BL杯の配信は、7日間・24時間・ホテル内のすべての施設が映し出されている。  各居室はもちろん、廊下や、共用スペースもその対象。  共用スペースには、体育館、図書館、ジム、プール、ビリヤード場、カフェ、ゲームセンター、広い中庭もあり、擬似デートの様子を視聴することができる。  マンネリ化が防げるし、他のカップルの過ごし方を参考にすることもできるので、利用するメリットは大きいのだけど――僕は、まだ踏み出せないでいた。  どう見ても不釣り合いな水戸くんと一緒にいて、どう思われるのか。  きっと馬鹿にされるだろうけど、多分みんなそんな態度は出さないだろうし、でもそうは言っても……。 「理空、何考えてるの? 昼ごはん? いきなり寝坊しちゃったね」  久しぶりに目覚まし時計を合わせずに寝たら、10:00を過ぎていたのだ――水戸くんは普通に7:00過ぎには起きていたらしいので、起こして欲しかった。 「ごめんね。朝の貴重な時間を無駄にしちゃって」 「いや? 無駄じゃなかったと思うよ。視聴者さんから、『理空くんの寝顔で満員電車の殺意が和らいだ』とか来てたから」 「はずかし…………」  水戸くんは、しおりを眺めながら、やや不満げに言った。 「ここ、レッスン室ないんだね。俳優養成所なのに、勉強するところないんだ」 「いや……こんなときまで授業受けたい人は、あんまりいないんじゃないかな。ポイント取らなきゃいけないわけだし」 「うー、でも、発声くらいはやらないとちょっと気持ち悪いね」  そう言って水戸くんはすくっと立ち上がり、バスルームに向かって発声練習を始めた。 「あめんぼ あかいな あいうえお」  このたった1行で、思わず「うわ」という声が漏れてしまった。  腹の底から出た声は、全然違った。  芯が通っていて、それでいて甘く優しくて、空気を震わせるような響き。  これがチャット越しの視聴者に伝わるのかは分からない。  ……いや、僕だけが知っていたいかも。  なぜそんなことを思ったのかはよく分からないけれど、とにかく、水戸くんの声がこんなに魅力的だということは、まだ世界には秘密でもいいんじゃないかと思った。 「僕もやろっかな。教えてくれる?」 「うん。じゃあせっかくだから、視聴者さんたちからフィードバックもらう?」 「えっ、え!? チャット見ながらやるってこと!?」 「そうそう。いい機会だと思うんだよね。だって、リアルタイムでお客さんの声が聞けるんだよ!」  世紀の発明をしたみたいな表情だった。  こんなうれしそうな顔をされたら、屈服するしかない。 [やばいw BL杯で発声始めるのは史上初じゃない??www] [真面目か!笑] [7日で成長するんなら毎日見たいかも]  水戸くんは、興味深げに画面を見ながら、ふんふんとうなずいている。 「えーっと、毎日同じ時間に基礎練やったら、見に来てくれますか?」 [見る見るー] [セリフ読んでほしい!!] 「ああ、確かに。セリフを募集するのもいいですね。勉強になるかもしれません。理空はどう?」 「うん、やってみたいかも。上手にできるか分かんないけど」 [水戸くん!『りくだいすき』って言って!!] 「理空、大好き」 「ぁぅ」 [りくちゃん『ぼくもすき』はい!!!] 「僕も好き……」  演技だよね? これはただ、セリフのリクエストに応えてるだけだよね?  そう言い聞かせないとおかしくなってしまいそうなほど、水戸くんが甘い言葉を次々言ってくるし、自分も柄にもないことをいっぱい言ってしまっている。 「水戸くんは、いい匂いがするから、キス、したくなる」 「して? 理空から」 「……は!? いやっ、そんなことセリフに書いてないよ!?」 「書いてあるわけないでしょ、俺がいま思っただけなんだから。はい」  水戸くんは目をつぶり、何でもないような態度で、ひょこっとかがんだ。  僕は死にそうになりながら、ちょっとだけ頬に口づける。 [いやーーーー!!! なんでほっぺにチュウなの!?!? 口にして!!] [こどもかw]   「あはは。理空、苦情きてるよ」 「えっ、じゃ、じゃあ、口にする……?」 「はい」  僕は目をつぶり、水戸くんの綺麗な頬に手を添えて、やわらかい唇にキスをした。  ジャラジャラとポイントが入る音がしていて、なんとなく、それが止むまではしていようと思った。  ……が、止まらない。 「ぷぁっ」  たまらず口を離すと、ゆでだこみたいになった自分の顔が、壁に映っていた。 [かわいーwww] [待って、トイレの個室内で尊死しそうなんだけど。仕事戻りたくない]  この交流、いつまで続くんだろ……?  俳優を目指すなら、こういうファンサービスにも慣れていかないといけないんだろうけど。  すると水戸くんが、急にむぎゅっと抱きついてきて、そのままベッドに倒れ込んだ。  訳もわからず目を白黒させている間に、水戸くんは体を起こし、画面に向かってひらひらと手を振る。 「みなさん、発声練習にお付き合いいただいてありがとうございました。ちょっと理空とイチャイチャします。では」  壁面ディスプレイが切れる。  タブレット上に、また来るよとか、温かい言葉が流れているのが見える。  水戸くんはそれもぷちっと消すと、僕の両手首を掴んで固定した。 「ちょ、ちょっと、水戸くんっ。これ、こっちの画面切っただけで、他の人には見えてるんでしょ?」 「そうだよ。そういう趣旨のイベントだもん」 「いや、そんないきなり、んぅ……っ」  顔やら首やらにキスされて、思わず暴れてしまう。  ……が、ちょっと冷静になると、暴れている場合ではないことに気づけた。  これは、水戸くんにとっては、ストイックな練習のひとつなのだ。  彼の役者としての表現の幅を広げるためには、キスくらい、堂々としなければ。 「み、みとくん」 「ん? なあに?」 「あの……も、もうちょっと大人っぽいのとか、しても大丈夫?」  水戸くんが、じわじわと目を見開く。  ややあって、はーっと長いため息をつきながら言った。 「……分かるの? 大人っぽいの」 「う、分かんないけど」  もう一度ため息。  呆れられた……?  困ってもじもじしていると、急に、唇をぺろっと舐められた。 「舌、この中に入れるんだよ。分かる?」 「わかる……」 「ちょっと口開けて」  言われたとおりに半開きにすると、あったかい舌が入ってきた。  ちゅくちゅくと音を立てられて、思わず息が漏れる。 「は、はぁっ」 「りく、かわいい」 「んぅ」  泣きそう。死んじゃう。ドキドキして。  でも、水戸くんの未来のために、僕も頑張らないと。 「ん。上手」 「ふぁ……。ね、ちゃんとできてる?」 「できてるよ。可愛い、一生懸命で」  すき、と聞こえた気がする。  けど、僕はそれを聞き返すこともできず、溺れるように不器用に息継ぎをしながら、キスを繰り返していた。

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