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第83話 【2年前】(60)

 エントランスの内側から、タカトオは外を見た。ドアは突貫で元通りにさせたし、警備も増やしてある。中にいれば安全だった。マンション周囲のひらけた所には、見張り以外に不審な者はいない。  やがて外周の街の中からくぐもったエンジン音が聞こえたと思うと、正面の道に黒いランドクルーザーが現れた。その後ろに黒いアウディが続き、さらに数台の護衛車がついてきている。  物々しいパレードはマンションに近づくと、わずかにスピードを緩めた。先頭のランドクルーザーとアウディが、エントランスに横づけされる。助手席から出てきた部下がさっと後部座席のドアを開ける。  見張りのひとりがエントランスを押し開けた。  出かけるのはやめて、責任者と首謀者を立川から呼びつけた方がいいのではないか。  そうした考えが再びよぎる。  いや……それは自分の流儀ではない。責任者がきちんと自分のエリアを管理できているか、あるいは首謀者と共謀していないか。そうしたことは直接確かめにいかなければならない。やはり、やめるわけにはいかない。  薫と怜が見つかれば報告は来る。今日の予定を立てたのなら、それに従って行動すべきなのだ。立川での一件を処理した後も2人について報告が上がってこなければ、江藤の方に交渉を持ち掛けるかどうかを考える。  タカトオはエントランスから出た。マンションの影の中、車の座席が静かにタカトオを待っている。  一歩。踏み出したその瞬間、唐突に空気が裂けた。  狙撃特有の乾いた銃声、首の後ろにびちゃりと液体が当たる感覚がする。部下たちが一斉に動き、タカトオを覆う。  咄嗟に身を伏せ、タカトオは部下たちの隙間から周囲を伺った。  やられたか。  腹心が、頭蓋骨を砕かれて転がっていた。着弾と銃声との間隔からいって、大した距離ではない。身を隠したまま指示を出そうとした時、周囲の街から、かなりの人数のわめき声が響いた。  馬鹿どもが。 「車を出すぞ!」  アウディの運転手に怒鳴った時、今度は近くで爆発音がした。地面を蹴る。  土埃の中、状況は一変した。  アウディが吹っ飛ぶ。街から走り出てきた浮浪者どもが、部下たちにスコップを振りかざす。全員フィルターマスクで顔がわからない上に、土埃で視界はきかない。アサルトライフルの銃声が辺りに響き渡った。  身を翻し、タカトオはエントランスに戻った。指示を飛ばしてバリケードを出す。防備の隙間から全員が発砲している。  だが殲滅する前に、襲撃してきた群衆は一斉に引き上げた。爆発の煙と土埃が消える前に、連中は外周の物陰に走り込み姿を消す。しかも手分けして、怪我をした味方も担いで逃げていった。ひらけた空間では、タカトオの直属の部下だけが数人うめいている。  歯がみしながら、タカトオは最初に撃たれた腹心の死体を見た。無意識に首の後ろをこすると、ぬるりとした感触がする。真っ赤になった手の平に、タカトオは顔をしかめた。  こいつは3年に渡り、派閥のバランスを取ることに役立ってきた男だった。非常に有能で、タカトオと派閥の連中との中継役だったのだ。死んだのは大きな痛手だ。それでも、自分の身代わりになって死んだのなら、もうそれは仕方がない。  身代わり……?  この男はタカトオの盾になる前に死んだ。他の護衛たちとは違い、車の後部で自分と打ち合わせをする予定だった。  群衆とタカトオの部下たちが睨み合う状況下で、タカトオはひとり考え込んだ。  引っかかる。  狙いを外したのか? それにしては鮮やかだった。一発で部下の頭を撃ち抜いている。大した距離ではないとはいえ、狙撃に慣れた者の仕業だ。あえて隣の部下を狙った?  そこには明確な意志がある。計画は綿密に練られていた。薫の脱出、立川でのトラブル、狙撃、車の砲撃、群衆の襲撃。  空気が揺れた。ロケット砲が再度撃ち込まれる。目の前でバリケードが吹っ飛び、同時に群衆が数十人、スコップ片手に走り出てきた。煙の中で一気に間合いを詰め、こちらの者をよってたかって殴りつける。  誰かが発砲すると、連中はまたも外周へと逃げ出した。  おそらく籠城戦に持ち込むつもりだ。こちらの手勢を彼らは少しずつ削っていこうとしているのか。ロケット砲の着弾と、周囲から走り出るタイミングは完璧にあっている。もうもうと上がる煙やら土埃やらで、視界はゼロに近くなっていた。  こんな悪知恵を使って群衆を動かしている者。最初の一撃で、タカトオではなく、その最も重要な部下を排除した者。派閥のバランスを、たった一発の銃弾でぶち壊した者。  赤い怒りがぐわりと腹の中で膨れた。 「薫!」  この場にいない男に向かって、タカトオはわめいた。どこまでも思い通りにならない男。奴は私怨ではなく戦略で動いていたのだ。自分の領地に被害を及ぼさないために、薫はこちらへ出張して抗争を仕掛けた。  わめきながら、タカトオは強烈に興奮していた。  そうだ。そうでなければならない。薫は感情を隠れ蓑に使い、冷静にタカトオを押さえにかかっている。振り回されたふりで、タカトオを馬鹿にし蔑んでいる。  きっと今、薫は母親と同じ目で私を見ている。  爆発しそうなほどの渇望があふれ、タカトオは粘つく唾液を飲み込んだ。  自分が庇護すべき者たちも、最高の頭脳で考えつくすべての戦術も、私を倒すために使え。たったひとつの目標に集中し、ギラつく目で私に銃口をねじこんでこい。私の魂を犯しにこい。  どうして。どうして奴は狙撃などという手を使う。なぜ今、この城の近くにいない。  薫の目を直接見られないという欲求不満のまま、タカトオはスマホを取り出し、いらいらした仕草で部下どもに電話をかけ始めた。  おそらく、狙撃地点を特定して追手をかけても、薫はさっさと逃げた後だろう。中央線は封鎖したから、相当な遠回りをしなければ越えられない。薫の先手を取ってやる。  全軍を動かし、チンケな群衆をさらに外側から蹴散らす。そしてそのまま南へなだれこみ、圧倒的な力で薫のエリアを制圧してやる。  薫。お前はついに始めた。私と決着をつけるために、血の抗争に手をつけた。何が何でも直接対決に持ち込んでやる。今度こそ、最高に感じる銃弾を私にねじ込め。ここは東京なのだから。

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