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第114話 蒲田にて(34)
「はぁ、はぁ……あぁ……もう無理……」
朦朧としながら怜は呟いた。体がぐにゃぐにゃで、腕を上げるのさえ億劫だ。隣では、同じように荒い息をした薫が転がっている。
「俺も……もうだめだ。これ以上は……」
へたりこむように薫の腕が降ってくる。力が入らないくせに、薫は怜を引き寄せようとしていた。やっとの思いで体を動かし、薫の腕の中に潜りこむ。薫は嬉しそうに怜の額やら瞼やらに小さく唇を当て、リラックスした顔で怜を見つめた。
「満足したか?」
「うん。薫さんは?」
「俺? ……あとは、お前のナカを綺麗にして、足の爪を切ったら満足だ」
「……どれだけ欲張りなの?」
不意に薫は怜をぎゅうぎゅう抱き締め、感極まったように囁いた。
「長かった。長かったんだ……ほんとに」
怜はじっとしていた。体全体で包み込むように抱き込まれ、すがるように言われると、怜は不思議な気持ちになった。
2年前は、薫が怜を一方的に保護し可愛がってくれているだけだと思っていた。自分が愛玩動物になったような感覚だったのを覚えている。怜は怯えた兎で、薫は安心する巣穴を提供する者だと。
今こうして抱きあっていると、怜の中には薫を守りたいという欲求のようなものが湧きあがってくる。薫が弱いからというより、弱い人間同士、対等にお互いを支え合いたいという感覚に近い。
「木島さんを演じていたときも、けっこうオレにべたべたしてたよね……考えたら」
「あれは……こうやって実際にセックスしたら俺だとバレるからできなくて……でも、どうしてもお前がそばにいると爆発しそうで、少しガス抜きになるかと……」
「なった?」
「全然だめだったな。かえって煽られて、お前を帰した後が地獄だった。仕事にもならなくて、半泣きでコスってた」
怜はくすくす笑った。
クールなイメージの木島が、泣きながらトイレでコスっている姿はなかなか間が抜けている。
「笑うな。ほら風呂行くぞ。お前のナカを洗わないと」
「多分、2人とも足腰立たないんじゃない?」
「そうかもしれないが、このまま……」
薫の手が、怜の腹を撫でる。耳元で艶めいた声が囁く。
「俺の出したモノを腹の中に入れておいたら、お前の体に悪い」
「残念。最高にヨかったのに」
「ご希望なら、また注いでやる」
恋人同士の淫らな会話。互いの体の奥に官能が灯る。唇を重ね、舌を絡ませ唾液を混ぜる。
「ん……」
唇を離すと、薫がゆったりと怜の腕を引いた。
「風呂に行こう……シャワーの下で、お前のナカに指を挿れて、ゆっくりと……かき混ぜて、お前の腹が、どのくらい俺を呑んだか確認してやる」
薫さんって、とんでもなくエロい。
怜は声を上げて笑うと、けだるい体を持ち上げた。
恥ずかしさに耐えてナカを洗ってもらったご褒美に、怜はダイニングテーブルでプリンを食べていた。このツヤ、何回見てもうっとりする。甘くて滑らかで……。
薫は足元にうずくまるように胡坐をかいていた。念願の爪切りに集中しきっている。ぱちん、ぱちんと切ってから、丁寧に形を整えやすりをかける。
大きな手に裸足が包みこまれるたびに、さざ波のような心地よさが広がって、怜はプリンを飲み込むとほっと息を吐いた。空になった容器をテーブルに置き、壁に寄りかかる。
「……落ち着いたか?」
「うん」
静かな時間。足の親指がするりと撫でられ、怜はとろりとした目で薫を見下ろした。
歯磨きにしても、爪切りにしても、薫はそうした行為をただの身支度のようにはやらない。それは怜の細胞そのものに快感を混ぜ込む性的な接触だった。
普段ならくすぐったいか、大して意識しない部分なのに、今、足の指先は敏感な性感帯になっている。薫がするりと足指の間を撫で、優しく掴んで爪を切る。ぱちん。爪先が手の平に包みこまれ、ゆったりとさすられる。
順番に爪を切り、終わると薫は爪先に口づけた。
「そんなとこ……」
「怜の足は、敬うに値する」
「どういう言い方?」
目を上げ、薫は微笑んだ。
「きれいな足だ」
「そうは思わないけど」
「自分を否定するのは……やめてくれ」
そうか。高遠の罠に引き戻され、自分を無価値だと強固に思い込むのは薫の不安を呼ぶ。言葉として口に出さない方がいいんだ。
「それでも……足を尊敬する人って世の中にあんまりいない気がする」
うん。これは一般的な話としての言い方。
「あまりいない。でも、ここにいるのはお前と俺だけだ。俺たちは対等な価値を持っていて、俺はお前の足が綺麗だと思ったから、そう言っただけだ」
「なるほど……じゃあ、爪を切ってる時の薫さんの指先が綺麗って言っても、薫さんは否定しないってことだよね?」
「まぁ……少し……恥ずかしくはあるがな」
「ふ~ん」
「……悪い。お前も恥ずかしいのはわかるんだが……」
怜は身をかがめ、薫の額にキスした。
「オレを甘やかすのが楽しいんだったら、もうこの話はなし。薫さんは言いたいことをいっぱい言って、オレをべたべた甘やかす。その代わり、オレもいっぱい言いたいことを言う。決まりね?」
「わかった」
唇を触れ合わせる、柔らかいキス。
もう、いらない。権力争いも、搾取も、虐待も、抗争も。
互いが互いの小さな部分に喜びを見出し、穏やかな日常を送ることにこそ、人生の価値がある。
怜は考えていた。
これが最後だ。部屋を出たら、オレと薫さんは最後の仕事を終わらせる。
東京に開いた空洞には、人の悲しみが溜まりすぎた。その沼底を、今度こそ抜いてやる。すべての力で穴を穿て。東京の夜を終わらせるために。
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