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第115話 横浜にて(4)
江藤の予測通り、佐木から電話が来たのは次の日の朝だった。
「お~、めくるめく夜は楽しめたか?」
からかってやると、佐木はしばらく無言だった。話す気になるまで、パソコンで作業をしながら待つ。かなり経ってから、佐木は地を這うような声を出した。
「……すまん」
「当ててやろうか。怜がドン引きするぐらい怒り狂っただろ、お前」
「…………まぁ、その~、そうだな」
「で? 怜からお許しは出たのか?」
「あいつは話に乗った。できるだけ早く、詳細をまとめてそっちに送る。南半分を取り返したら、そこからが本番だ」
「お許しは出たのかって俺は聞いたんだが? あいつのためにチマチマお膳立てしてたのを、許してもらえたのか?」
「聞くなよ……」
「はぁ~? 俺に説明も礼もなしか?」
椅子から立ち上がり、キッチンへ向かう。佐木はしばらく黙りこみ、気まずそうに言った。
「悪かった……怜からお前がバラしたと聞いた時に、その~、一瞬お前を疑った」
「自分の思い通りにならないと、お前はすぐ癇癪を起こすからな」
「……怜にも言われた。『わかりやすく拗ねる』って。俺はそんなにわかりやすいか?」
「自覚なしか。怜に我慢強さを教えてもらえ。甘ったれめ」
「そういうことを面と向かって言うのはお前と怜だけだ」
ぶすっとした声に笑いながら、江藤はコーヒーポットに落としてあったコーヒーをマグに注いだ。一口飲む。うん、この方が好みだ。
「で? 怜にバラした以上、俺と怜とがやり合うのは実際には意味がないんだが、その辺はどうする?」
「まぁ、俺が生きていることをまだ大っぴらにしたくないからな。怜とは適当に遊んでくれ。あ、怜はまた交渉しにそっちへ行く。神奈川と中央線南をひとつの勢力範囲にまとめたら、東京北と正面衝突だ。日和見の政府派のことも怜は懐柔したがっているが、俺は排除するつもりだ。決着がついた後、『政府』に何らかのポストを用意するなんて交換条件を出したら、前回と同じことになるからな。派閥争いを『政府』に戻すのは避けたい。そのために今回、高遠配下で面倒な調整をやってるんだ」
「それはいいが、怜は承諾するか?」
「どうだろう。あいつは『政府』の内部事情や高遠配下の『政府』出身者の性質をまだわかっていないからな。ただ、俺はそれこそ放っておく。怜自身が『政府』出身者と交渉に臨んだ時に判断して動くだろう」
「お~、怜に任せるとは成長したな」
「うるさい」
ニヤニヤしながらマグを持ってデスクに戻り、江藤はどっかり座ってコーヒーを飲む。さぁて、東京全体を巻き込む茶番は大詰めか。
「薫、俺の電話番号を怜に教えておけ。金曜日は犠牲者を出したくない。要は、父親よりも怜の方が指導者として上だということを、父親本人と奴の配下に知らしめることができればいいわけだろう?」
「そうだな。俺の最終的な狙いは、あらゆる勢力に……というか民衆に、公的な機関による秩序を自発的に受け入れさせることだ。高遠から他の奴に、単純にトップが変わるだけでは警察は機能しないからな。警察はヤクザ集団とは違う。高遠やそれに代わる支配者と東京の覇権を争うような、連中と同じレベルの集団に落とすんじゃ意味がない。
温厚で平和主義の怜が警察に協力し、それを民衆が支持するという形を取ることで、実効性のある警察機構を東京に復活させられると俺は考えている。そういう意味で、怜の非情な部分を民衆に印象づけるべきじゃない」
「まぁ、それには俺も賛成だ。血生臭い抗争じゃない形で、怜の地位を確立させる方法ね……ちょっと考える。怜と話がまとまったら、メッセージを送ってくれ」
「頼む」
電話を切り、江藤はマグカップ片手に考え込んだ。
自分と怜、そして『政府』の木島──佐木薫の3人が裏で繋がっていることを高遠たちに知られないようにしつつ、怜の力を印象づけ、なおかつ流血はなし。
どうするか。
薫が生きているっていうのは、金曜日にやり合った後で怜にバラせばよかったな。
まぁ……それはそれで面倒くさいか。
江藤は薫と怜のことを思った。盤石の信頼関係を手に入れた2人は、おそらく無敵だ。電話で、薫は憑き物が落ちたように冷静に話していた。明らかに強さを手に入れた状態の怜なら、あまり作為的なことをしなくても、こっちの負けという構図は作りやすいか。
なんにせよ、大量にプリンを押し付けられる災難からはついに解放されたわけだ。
マジで、もう一生プリンは見たくねぇ。
江藤はコーヒーを飲み干しながら、口の端を上げた。
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