124 / 181
第124話 横浜にて(9)
夜10時を回り、今後の流れについてのアイデアは色々出てきた。
薫と江藤、そして怜の物事の進め方を見ながら、竹田は改めて、3人の能力の高さに舌を巻いていた。中でも怜の能力には驚くものがある。江藤と薫は元々生え抜きのリーダーであり、現在も『政府』の重要なポストに就いている。一方怜はつい最近、小さなエリアを率いるようになっただけだ。それなのに、怜は2人と対等に意見をやり取りし、物怖じすることなく話し合いを仕切っていた。
2年前の怜は、どちらかというと儚い印象だった。父親に人生を操られ、自分がどこにいるのかさえ覚束ない暗闇を歩いていた怜。彼は結果的に自分の恋人を撃ち殺すという壮絶な体験に打ちひしがれ、魂を哀しみの沼底に沈めて彷徨っていた。
今の怜は違う。薫と再会し、自分の手で東京を仕切ると決めた怜は、いまや父親に似た、油断ならない謀略家の顔を見せ始めていた。普段の茫漠とした優しげな目はあまり変わっていないし、澄んだ美しさは残っている。なのに、どこか得体の知れない艶やかな罠が体のどこかに潜んでいて、それが怜を以前より妖しく感じさせるのだ。
こうした才能を開花させたのが自分の布石であり、薫の愛情であったというのが、竹田には変に恐ろしかった。善意ではなく悪意によって開花させられたなら、怜はどうなっていたのだろう。薫が2年前に怜を見出したこと自体が、巡り合わせだったのかもしれない。
竹田が考え事をしている間ずっと、怜は薫と江藤から東京全体の勢力分布、各派閥内の人間関係、高遠と他の連中との人間関係について説明を受けていた。
「政府派の時田っていう人の攻略を高遠より先にやって、高遠を孤立させるのが一番早いっていうのはわかったけど、その人を単独で攻略するにはカードが足りないっていうことね」
「あぁ。あいつが要求してくるであろう『政府』でのポストは承諾できない。本物の奥村のように金で遠くに追いやって口を封じるというのも、たぶんあいつの場合はうまくいかないだろう。金を無限にせびってくるだろうし、応じなければ平気で高遠に情報を流す」
怜はタブレットを見ながら考え込んでいた。薫も江藤も、怜が結論を出すまで待つという姿勢を崩さない。竹田も黙っていた。自分は決められたことに従うだけだ。怜の手足となるという決意は、自分には自然に思えた。
軽やかな音。薫が自分のスマホを見る。
「すまん、屋島が来た。荷物を受け取らないと。玄関開けてくれるか? 翔也」
「おい、もしかして今夜ここに泊まるつもりか?」
「だめか?」
「帰れよ……どうせ怜といちゃつくんだろ?」
怜の顔が赤くなった。薫は江藤の文句などどこ吹く風でインターホンに向かい、総合エントランスのドアを勝手に開けている。
「屋島って……第1のチームリーダーだったヤシマさん?」
「あぁ。あいつとは俺が最初に『政府』に入った頃からの付き合いだ。常に俺の身辺警護に徹していて、何があっても俺の『影』として近くにいてくれる心強い奴だ。2年前に俺がふらっと高遠の人質になり、簡単に脱出できたのは、屋島がずっと影として作戦を展開していたからだな」
「第1があの時全然姿を見せなかったのって……」
「第1の主な任務は隠密行動だ。俺はひとりで行動していたわけじゃない。人質として監禁されていた間も屋島とは連絡を取り合っていたし、抗争の間、第1チームは中央線の北側で、南に流入する者を堰き止める作戦に従事していた」
「外と連絡って、どうやって……」
竹田が声を上げると、薫は須川の顔のまま、にやりと笑った。
「種明かししたら面白くないだろうが。方法なんかいくらでもあるんだ」
楽しそうな薫を横目で見ながら、江藤はまだぼやいている。
「だから帰れって。なんで泊まるんだよ」
「怜が疲れてる。もう少し早く気づけばよかった」
「オレ?」
きょとんとする怜を、江藤は無言で眺めている。竹田から見ても、怜が特に疲れているようには見えなかった。
薫はさっさと玄関へ行き、チャイムが鳴ると同時にドアを開けた。竹田が野次馬根性で廊下を覗き込むと、訪問者は本当にかつての第1のリーダーだった。怜も立ち上がり、一緒に覗き込んでいる。
屋島は2人と目が合うと、ほんの微かに眉毛を上げた。だがそれっきり、無言でうなずくと、さっさとドアを閉めて帰っていった。
「屋島さんって、2年前も無口でしたよね」
「あぁ」
ボストンバッグを持った薫が、リビングに戻ってくる。
「あいつは昔からあんな感じだ。ほら怜、シャワー浴びてこい。あと竹田。お前の着替えも持ってきてもらった」
「えっ?! 着替え?」
薫は平気な顔でボストンバッグを開け、服や歯磨きセットなどを取り出している。
「おれもここに泊まるんですか?」
「しょうがないだろ。明日は奥村のところに3人で戻るんだ。バラバラに帰る必要はない。怜、自分で歯を磨けるか?」
「……いや、普段は自分で歯を磨いてるんだけど……」
途中から諦めたのか、江藤はパソコンで映画を選び始め、挙句のんびり言った。
「おい竹田、ベッドは客間に2つ入れてあるんだが、どうする? ひとつは怜と薫が使うだろうし、ひとつ空いてるからそこで寝るか?」
「それって、このカップルが抱き合って寝てる空間で、おれも寝るっていう意味ですかね?」
「そういうことだな」
「………………リビングのソファー借りてもいいですか?」
江藤は肩をすくめた。
「お前が横で寝てたら、そっちの2人も少しは静かに寝るかと思ったんだが」
「自分の安眠のためにおれを使うのはやめてもらえませんか?」
バレたか、と呟くと、江藤はさっさと映画を見始めた。
つくづく、こだわらない人だ。
薫は怜を洗面所に押し込むと、リビングに戻ってきてボストンバッグの中身をあれこれ出していた。特殊メイクの道具を持ってきてもらうのが、主な目的だったらしい。
竹田は薫の向かいに座り、作業をぼんやり見ていた。信頼すると決めた以上、薫にも江藤にもこだわりはないらしい。そうした潔さが竹田には不思議だった。
「佐木さんも江藤さんも……おれに対して何か言わないんですか?」
竹田は声に出してみた。
普通の人間であれば、自分たちのすべてを賭けた抗争を負けに追いやった人間を、身の上話だけで信頼はしないものだ。マウスを動かしていた江藤の手が止まり、薫がボストンバッグから顔を上げる。
「何か言ってほしいのか?」
「いえ……ただ、リーダーとして常に頂点にいる人たちが、こんなに簡単に人を信頼していいのかなって」
「あぁ、疑り深くあるべきだとお前は思っているのか」
面白そうな顔で、薫が竹田を見る。
「まぁ、そうですね」
ボストンバッグの中から新品のコットンシャツを取り出し、竹田に寄越しながら薫は言う。
「俺たちは、別にお前を信頼してるわけじゃない。俺が誰かを味方にしようとするときにまず見るのは、そいつが罪悪感を心のどこかに抱いているかどうかだ」
「罪悪感?」
「あぁ。何に対してでもいい。過去のトラウマだろうと秘密の飼い主だろうと恋人だろうと。そいつが何かに罪悪感を持っているなら、そいつがスパイかどうかは関係なく、チームに入れる」
「なぜ?」
「まず、そいつは俺に撃ち殺されても、チームから排除されても文句を言わない。因果応報だと諦めておとなしく俺の視界から消える。戦いに持ち込んでも俺が負けることはない。また、熱心に仕事をしようとするし、とにかく役に立とうとする。存在意義を証明し、自分の罪を贖おうと必死になる。スパイであればなおさら、自分が潜り込んだ場所から追い出されることに強い抵抗を示す。情報漏洩の危険はあるが、うまく使えば敵に渡す情報を完全に制御できる。そしてさらに、罪悪感を抱いている者は、自分の罪を許してくれそうな存在に対しては絶対的な忠誠を誓う。共感を示してやれば、命を差し出すほどの駒になってくれる。そうした心情を考えれば、慈悲深くあることの方がメリットは大きいと俺は考えている」
竹田は改めて薫の恐ろしさを実感した。そうだ。この人は高遠より年下でありながら、ずっと高遠と対等にやり合い、広大な地域と大量の人間を率いている。人間らしい情の下に冷徹でしたたかな計算を隠し持ち、敵が支配している領域で、人心掌握術のみで絶対的な権力を構築しているのだ。
「どうして、そんな種明かしをおれにするんです?」
鋭い目が竹田を射た。笑ってはいるが、それは支配者の貫禄をもっている。
「お前は用心深い。表面的な慈悲で頭を撫でられても納得はしないだろう。俺の本質がどういうものかを理解させた方が、お前を屈服させるには近道だと踏んだだけのことだ」
「なるほど」
自分たちのために尽くしている限り、過去は問わない。だが反抗の兆しを見せれば何の感慨もなく撃ち殺す。裏切ってみろ、お前は虫けらのような扱いに堕とされるだろう。
高遠とは違う論理であっても、それはこの無秩序な東京の王たるにふさわしい威厳と迫力をもっていた。
「……佐木さん、着替えありがとうございます。江藤さん、佐木さんの後にシャワーを借りてもいいですかね?」
「あぁ。好きに使ってくれ。明日は何時に出るんだ? 薫」
「そうだな、10時頃でいいと思う。外の警備に休憩させたい」
「わかった。……だそうだ。ゆっくりしていけ、竹田」
「ありがとうございます」
服従の意志を示した竹田に、江藤はディスプレイから顔を離し、ニヤリと笑った。竹田は思う。薫と同じように、江藤も何か尋常ではないものを隠し持っているのだろう。互いが互いを認めていることで成り立つ、盤石の関係。
スマホでメッセージをあちこちに送る薫を見ながら、竹田は渡されたコットンシャツを見た。自分のサイズだ。部下に着る服を用意する、その面倒見の良さと観察力、そして支配。
やれやれ。自分は今、どんな化け物の巣にいるのやら。
「薫さん、次にシャワー浴びるの?」
怜の声がして、竹田は顔を上げた。
会話を聞いていたのだろうか。もし聞いていたら、怜は薫のことをどう考えるのだろう?
「浴びる。その前にお前ドライヤーかけてないだろ?」
薫が答えて立ち上がると、怜は洗面所に戻っていった。戻る前の一瞬、薫からも江藤からも死角になった時の目に、竹田は欲情しそうになった。その目は、竹田を罠に誘うように微笑んでいたからだ。怜は会話を聞いていた。竹田はそう確信した。薫の冷酷な本性を知っていて、怜はそれに加担し、利用しあうことにためらいを持たない。
間違いなく、怜は薫や江藤と『同じ側』にいる。臣下にかしずかれるべき者として、怜はいずれ高遠を蹴散らし、東京の玉座に座るだろう。竹田は純粋に、その瞬間が見たかった。
ともだちにシェアしよう!