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第131話 【2年前】(77)

「心配ですね」  宮城の言葉に、全員が溜息をついた。薫はヒューヒューとおかしな呼吸をしながら、気絶するように眠っている。眉間にぎゅっと寄った皺が痛々しい。  自分たちの絶対的なリーダーだった薫のこんな姿は、できれば見たくなかった。  それでも、このマンションに集まっている面々は誰一人帰ろうとはしない。薫の代わりに全体を指揮している江藤はもちろん、薫の影として常に身辺警護をしてきた屋島も、第2チームのリーダーである高田や第3リーダーの宮城も、薫が中央線南でグループを立ち上げた頃から組んでいるメンツなのだ。  4人はダイニングのテーブルに座っていた。江藤は頬杖をついてぼんやりと薫を眺め、屋島は黙ってタブレットの画面をいじっている。高田は椅子の背もたれに寄りかかって天井を、宮城は腕を組んでテーブルの天板をじっと見ていた。  抗争の後処理で、全員がぐったりだった。残った者の居場所を確認し、怪我の程度などを調べて衣食住が確保できるよう世話をする。あるいは高遠の配下に追われないように匿い、希望者は関東の外に逃がす。  薫が一番肝心な時に撃たれてしまったため、抗争の終盤でグループの士気は下がってしまった。薫の搬送の後も江藤は現場に残って指示を出し続けていたし、リーダー達はチームの立て直しに奔走していたが、死にかけの薫の姿はグループ全体に致命的な衝撃を与えてしまったのだ。  それでも、グループはまだ死んでいない。高遠が中央線南の支配を宣言し図書館の焼け跡近くに拠点を設置した後も、薫の配下達は互いに連絡を取り合い、戻る気がある者は埼玉県や町田など数か所に密かに集まっている。  そして、中心となっている4人は今後のことを話すため、この日久しぶりに集まったのだった。 「いずれにしても、中央線南の奪還は、この間話した作戦でいくのが一番だろうな。分散して、気づかれないように小さい単位でコミュニティを作りつつ、ひとつの大きなネットワークを埋め込んでいく……」  ぼんやりと江藤は言った。 「そうですね。グループに所属していた者たちの動きはまとめてあります。やはり問題は第3……」  宮城の溜息に、江藤がひらひら手を振った。 「第3は元々『問題児』を集めたチームだった。気にすんな」 「しかし」  隣の高田が宮城の肩を叩く。第1の屋島と第2の高田は自衛軍出身だ。屋島が隠密行動を担当し、高田は重量級の戦闘を得意としていた。一方、宮城は『政府』時代の薫の後輩で、コミュニケーション能力の高さを買われ、素性のわからないメンバーを引き受け背景を探る仕事を主にしていた。 「竹田たち数人は高遠に義理立てして向こうに合流したわけだし、怜は……あいつも結局、高遠側だったってことですかね」  宮城の落ち込んだ声に、江藤は薫の様子を見た。苦しそうに眠る男の秘密をここで言うのは気が引けたが、大前提となる事実をこのメンツにだけは話しておかないと、方針が決まらない。 「その~、メッセージに残したくないし、電話でも誰が聞いているかわからなかったんで、ずっと言えずにいたんだが……事情がだいぶ込み入っていて」  宮城と目が合う。 「多分、これを話したとなると、薫にぶん殴られるんだよな」 「今更だろうが」  高田のツッコミに「だよな」と溜息をつき、江藤は指先でテーブルをコツコツ叩いた。 「ここだけの話にしてくれ、他には絶対に漏らさないこと。お前らのことだから大丈夫だとは思うが、とにかく、グループの他のメンバーに知られると面倒なことになる」  屋島が肩をすくめた。とっくに知っているという顔だ。 「その~、図書館に突っ込む鉄砲玉の手引きをしたのが誰かってのは、全員で裏を取ってくれた通りだと思う。竹田と、あと数人。で、最大の地雷は、だ。俺も抗争の直前に薫から聞いたんだが、怜は、あ~と、高遠の隠し子なんだよな」 「は?! なんで早く言わない!」  高田が不満の声をあげ、宮城がどっと疲れた顔になった。申し訳なく思いながら、江藤は薫と怜とのいきさつを話してきかせ、2人に謝った。彼らは呆れた顔で江藤の説明を聞き、最後に薫の方を見た。 「つまり、佐木としては高遠親子の軋轢をうまく使って息子を取り込み、父親を切り崩す予定だったと?」 「そういうことだな。怜に統括ペンダントの場所を教えるのは諸刃の剣だった。結果は見事に失敗したが」 「相も変わらず佐木はブッ飛んでるな……」  部下とはいえ高田は薫より年上で、いつも対等に話す。グループに入る前に薫と本気でやりあったことがあって、その時に高田の方が薫を気に入り、押しかける形で加入した男だ。磊落な性格で、薫も時々相談を持ち掛けていた。  宮城は黙って考え込んでいた。手持ちの情報を整理し、誰とどういう交渉をするかを考えるのが宮城の仕事だ。 「つまり……佐木さんは計算ずくで怜を手元に置いていたんですかね?」 「計算じゃない」  不意にソファーから声がして、全員がそちらを見た。眉間に皺を寄せ、薫がうなされるように呟いている。 「信じてくれ……頼むから銃を……」  ぶつぶつ言う薫を眺めながら、江藤は宮城に聞いた。 「お前から見て、怜はどんな印象だった?」 「どんなって」  宮城はテーブルを見つめる。薫より3歳下だが、理知的な男だ。ずっと人間関係を取り仕切っていた彼は、怜の記憶を思い起こしていた。 「そうですね……頭がいいというのが第一印象でした。よく考えてから口を開くタイプなんだけど、回転が遅いわけじゃない。それと、妙なカリスマ性があって」  江藤は抗争の最中に怜が見せた表情を、また思い出した。触れる者を切り裂くような、壮絶な色気を湛えた、あの眼差し。 「チームの中では常に落ち着いていて、誰かとトラブルを起こすなんて考えられないほど、穏やかな気質だったんですが、ただ、ちょっとした時にものすごく目立つというか。身体能力がずば抜けているだけでなくて、存在そのものに華がある」 「わかる。目を惹くんだよな、あいつ。来たばっかりの時に、とんでもない動きで佐木さんのサポートに入ったよな?」  高田が応じた。 「そうです。高田さん屋上にいたんでしたっけ?」 「あぁ。お前の助手席にあいつがいたんだろ?」 「ですね。一発ぶち込まれて車が引っくり返って、俺は運転席に閉じ込められたんですが、佐木さんが体を張って迎えにきて」 「そうそう。佐木がお前を担いで図書館まで走る間、後ろにいた怜がすごかったんだ。上から見てた」  誰が見ても、怜は迫力がある。ただそこにいるだけで目立つ。どれほどの群衆の中にいても、怜を見つけるのは簡単だろう。 「で、あれだけ目立つ奴が見つからないんだよな……」  全員が唸った。抗争の鍵を握っていた怜が見つからず、今後の方針がいまいち定まらない。 「怜が何かを言うと、別に強い調子じゃないんだけど、他のメンバーはみんな従うんですよね。なんていうか、佐木さんが後継者に指名したとしても、誰も不思議に思わない部分は確かにあった」 「結局は順序の問題か~。惚れるのが先か、計算が先か──」 「利用なんか……してない。銃を」  ソファーから聞こえた声に、全員がそちらを向いた。  苦しそうな顔のまま、薫はもがいていた。腕を振り、足が空しく床で滑っている。 「いいから寝てろって」  江藤がそう言っても、薫はしばらく立ち上がろうと苦闘した。視線は虚ろなのに、その奥には苦しげな光が垣間見えている。4人は薫が疲れて静かになるまで、しばらく黙っていた。  病院にいる時から、薫が怜を呼ぶのは聞いている。薫が怜に本気だったことは、とっくに4人の共通認識になっていた。高田が考えながら呟く。 「佐木のあの様子だと、敵同士だったってのは、くっついてからわかったってことだろ?」 「……高遠のところで人質になった時に、佐木さんは怜の秘密を知りました」  淡々と屋島が告げた事実に、全員が一斉にそちらを向く。 「知ってたのか」 「ええ。集音マイクで会話は拾っていましたから」 「……そういうのは早目に言ってくれ……」  どっと疲れた声で江藤がボヤくと、屋島は肩をすくめた。 「佐木さんは江藤さんに話したわけですから、自分が言う必要はありませんでした。そもそも、自分が取得した情報を誰と共有すべきかについて、決定権は佐木さんにあり、自分にはありませんので」  屋島にはかなわない。この鋼の忠誠心は一体どこからくるのかは、江藤にとっても、高田や宮城にとっても謎だった。薫に出会う前のいきさつを江藤は知っていたが、それでも、気が付いたら薫の影になっていたという印象が強い。  そう、「前の雇い主に裏切られてボロボロになっていた時に、薫と契約した」んだったっけな。屋島相手だと、「契約」もなにやら黒魔術じみた響きになるのが面白い。 「しっかし、佐木がここまで入れあげるってなぁ……怜は何者なんだっていう感じだ」 「高田さんは話したことないんですか?」 「ん~、挨拶ぐらいだったな。佐木ほどの奴が本気で怜を信じてる辺り、怜は相当……」 「したたかだったと?」 「いや、そうとも言い切れない」  意外な言葉に、3人は高田を見つめた。この中で、一番怜との直接的な接触が少ないのが高田だ。とはいえ長年薫の部下として戦闘を仕切ってきた男は、人間観察に劣っているわけでもないし、土壇場での論理的な思考にも長けている。 「高田さんの印象は?」  宮城に促され、高田は考えながら、ゆっくり話した。 「う~ん、佐木は私情で人事をやろうとしていたことに罪悪感もあって、あそこまで精神的に落ちてるんだろうなとは思うんだが、こればかりは高遠の作戦勝ちな面もあるんじゃないかと」 「作戦勝ち?」 「つまり、怜がものすごい一級品だって一目で見抜いたから、佐木はここまで惚れこんだんだろ? で、蓋を開けてみたら、本当に血統書つきの本物だった。え~となんて言ったらいいか、う~ん、ある国の王が後継者として認めた奴が、なんと本物の王子でしたっていう……。問題はそれが敵国の王子だったって、そういうことで。  高遠がすごいのは、贋作、つまり、最初から騙そうとして仕込んだ奴じゃ、佐木は騙せないっていうのを理解していたってことなんだと思う。対等にやり合える人間じゃなければ、こいつはびくともしない。だから『本物』を送り込んだんじゃないか? んで、結果的に高遠の思惑通りになった。ハッピーエンドの寸前で高遠は現実を突きつけて……で、怜は自分の血筋に目の前が真っ暗になったっていう……」 「お前、時々すごいな」  驚いた声で江藤が言うと、高田はむっとした顔になった。 「いつもすごいんだよ、もっと敬え。ったく、お前らもラノベぐらい読め」  このいかつい男が背中を丸めてラノベを読んでいる光景はコワいが、その分析は江藤が考えていたことと、ある程度一致していた。 「じゃあ、佐木さんと怜との間に計算はなかったと?」 「なかったんじゃないか? 何か不純なものが混ざっていれば、佐木は多分一瞬で冷める。で、多分怜もなんだと思う。お互い本気だったのに、高遠は一番いいタイミングで2人の頭に冷や水をぶっかけたと」 「この場合は……爆発炎上じゃないですか?」 「なんだっていいんだよ、そこは。言い回しだろが」  宮城と高田が軽口を叩き合っている間、江藤はしばらく考えていた。 「そうすると……怜が見つからないっていうのは……どういう意味だ?」  高田が腕を組んだ。ちらりと薫の様子を伺う。自殺じゃなければ……と口だけが動き、その先を声に出す。 「可能性として考えられるのは……すべて嫌になって東京を出たとか?」 「逃げ出すタマか?」 「だって父親に人生全部否定された挙句、自分の恋人を撃ち殺したんだぞ? 廃人になっててもおかしくないと俺は思うがな」 「高遠のところには本当にいないんですよね?」  宮城の念押しに、江藤が答える。 「今のところ、一切そうした報告は上がっていない。開き直って高遠の息子として『デビュー』したわけでもないし、高遠に反抗して騒動を起こしてもいない。反対に抜け殻状態なら、それこそ身辺の世話をする奴やら、つまみ食いしようとする奴やらがいてもおかしくない。すべての情報がないということは……」 「向こうにもいない?」 「誰が連れ去ったか、が問題なんだろうな。せめてそっちが分かればな~」  議論は振り出しに戻った感があり、全員が溜息をつく。 「なんにせよ、もうここまで来たら、怜を見つけて抗争の顛末をはっきりさせるのは諦めた方がいいんだろうな。しゃあない、このまま中央線南の奪還に向けて動こう」  それに応じて、宮城が手を挙げた。 「中央線南には、やはり高遠の配下の中から、新参の派閥の奥村が入るそうです。一番働いた褒賞でしょうね。そいつの部下に渡りをつけました。しばらく潜ります」 「了解」 「誰か……記録あるか」  か細い声が割り込んできて、4人は立ち上がろうとしていた動きを止めた。  薫が手を伸ばしている。 「記録って」 「怜についての報告だ。あいつについて、何でもいいから教えてくれ……皆は、引き続き中央線南の奪還に向けて動いてほしい。この間の失敗については、俺が……決着をつける」 「おい突然マトモなんだけど大丈夫か?」  容赦ない高田の声に、薫は弱弱しく笑った。 「話を聞いてて……あぁそういうことかと思って……高田……ありがとう」 「おう」  起き直った薫は、屋島に渡されたタブレットを膝の上に置き、ぐったりと瞼をこする。 「群馬の合田は、やっぱり何も知らないと言っているのか?」 「ああ。何か分かればこちらに知らせるとは言っていたが……だよな? 屋島」 「はい。合田さんの近辺に不審な動きは一切ありません。抗争時にも、あの人は群馬から出ていないことが確認されています」  ふん、と薫が鼻で笑った。 「高遠が勝つ可能性に保険をかけた。こっちが負けた時に高遠に詰められるのを避けて、知らぬ存ぜぬで押し通したわけだ」  かなり無理をしている様子で薫は口をゆがめた。 「とすると……怜は確かに群馬にはいないかもしれない。だが……それは、合田が怜の居場所を知らないということには直結しない。高遠に関与を疑われない形で介入している可能性は……」 「あるかもな」  江藤が応じる。埼玉か、東京か、どこかで組織的に怜を匿っているとしたら? 疲れが出てきた声で、薫が命令を出す。 「屋島は引き続き、合田の周囲の動きも監視してくれ……。高田もそのまま、埼玉県と中央線北のエリアで情報を収集。宮城は中央線南で」  ミーティングを断片的に聞いてはいたらしいが、そこで薫は力尽きたように目をつぶり、肩をソファーの背もたれに預けるように、横に倒れ込んだ。 「大丈夫ですか?」  宮城の心配そうな声に、薫がゆらゆらと手を振った。 「おかげで少し……頭がはっきりしてきた。……いつもすまない」  タブレットを抱え込み、薫は目をつぶって眉間に皺を寄せた。やれやれ。江藤は薫の顔をのぞきこんだ。 「で? お前はどうする? 薫」 「とりあえず……リハビリしないとな。すべての始末は……俺がつける。それまで、俺は死んだことにしておいてくれ」  それきり、薫は苦しげに寝入ってしまった。4人はしばらく黙りこくったまま、薫の顔を眺める。苦しい息と、淀んだ眼差し。疲れ切って、傷だらけになって。  それでも、佐木はいずれ帰ってくると、彼らは信じていた。  それぞれの方法で薫を理解している4人は、いつもと変わらず肩をすくめ、与えられた任務に戻っていく。薫と、自分たちのために。  薫の作った国は滅んだりしない。自分たちが、その灯を守るからだ。信念を持つ者たちが、己の歴史を紡ぐのだ。

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