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第136話 【2年前】(82)

「で? 現時点における東京はどうなっている?」  リブステーキを食べ終える頃、田嶋はおもむろに話を振った。江藤は赤ワインのグラスを置き、宮城の方へ曖昧に手を振った。 「一番詳しいのは宮城だろ」 「いや江藤さんも佐木さんも報告書読んでますよね?」  サラダをもしゃもしゃ食べていた宮城は、ポテトにフォークを伸ばしながら答えた。店員が追加のポークグリルを持ってくるのを横目で見ている。体格はごく普通なのに、宮城はよく食べる。 「まぁそうだが、俺らはあれから東京に足を踏み入れてない。なんつうか、お前の皮膚感覚みたいなのが知りたい」 「あぁそういう……」  適当な返事をしながら、宮城は嬉しそうにポークグリルのプレートに手を伸ばす。大きな肉なんぞ、東京で見ることは滅多にない。薫はワインボトルを持ち上げ、宮城のグラスに注いでやった。 「そうですねぇ、今の東京は、まぁ……だいぶヤバい感じになってきてますね」  話をしながら、ポークを口に放り込む。リブステーキとパスタを平らげた後なのに、まだ食欲は鎮まらないらしい。それでも、ワインを一口飲んで宮城は話し出した。 「治安はかなり悪化しています。外部の半グレやヤクザ者がすでに流れこんで、活動拠点を東京に置き始めている」 「高遠の奴、統制してないのか?」 「みかじめ料さえ払えば何をやってもいいっていう態度があからさまなんですよ。中央線南には、既に特殊詐欺グループの根城やら、ヤクの売人やら、未成年者を監禁して働かせる売春屋が定着しつつあります」 「昔に戻ったか……」  薫たちが『政府』を出て東京に入った頃、そこは文字通り無法地帯だった。戦後処理がうまくいかず、自衛軍から武器が大量に闇マーケットに流れたからだ。元から『東京』にいた暴力団などが、既存の行政機関をすべて追い出し、やりたい放題やっていた。  そうした集団のほとんどを潰したり追い出したりするまで、チームは抗争に次ぐ抗争を制しなければならなかった。抗争に備えて武装は解除できない。自分たちも違法状態でいなければならないために、警察を呼び込めないというジレンマが薫たちにはあった。  こんなふうに、苦労して血生臭い時期を生き抜いたチームにとって、自分たちが守った場所が以前の状態に戻ってしまったというのは、きついものがある。  宮城は冷静に報告を続けたが、その話し方には微かな悔しさが感じられた。 「何でもアリだと思っている連中は増え続けてる。叩き出すなら早めにやらないと。古い住民たちは露骨にやさぐれてますよ。物資が入って来ないか、中間マージンを取られてバカ高いかのどちらかなのに、高遠の手下どもは住民全員から金を巻き上げにかかってるし。おかげで、けっこうな人数が周辺、特に神奈川に流出してる」  江藤が溜息をついた。 「それは確かに問題になってる。元から神奈川にいた奴と、流れ込んできた奴とが仕事の取り合いで険悪になっててな~。」 「ですよね。橋を封鎖しても人の流れは止められない。地域内でも、以前からの住民と新規の連中とで、ひっきりなしに小競り合いが起こっている。今の状況でなんらかのコミュニティを形成させるには、相当なバランス感覚と統率力、それに戦闘力が必要ですね」 「お前ならやれるだろ?」  こともなげに言った江藤に、宮城は肩をすくめた。 「う~ん、ステーキじゃ報酬としては足りないんじゃないですかね」  冗談めかしてはいるが、宮城の目は本気だ。相当面倒なことになっている。薫は考えこみながら質問を挟んだ。 「ヤクの売人は、誰を客にしてるんだ」 「東京をねぐらにして、他の県に出張して売るっていうのが主なやり方ですね。あとは、日雇いの仕事をアテにして流れ込んでいる新規の住人かな? 古い住民は新しい連中とは極力接触しないようにしてるんで、連中が見込んでいたほどには客がいないみたいですが」 「ふ~ん……そのテの商売、高遠や奴の配下はどう処理してるんだ」 「中央線南を今仕切ってるのは奥村ですが、どうも統率する気があまりないですね。ここだけの話、奥村は最初から今回の抗争には乗り気じゃなかった。高遠が要求する上納金の額が多すぎて、中央線南にはあまり旨味がないというのが正直なところのようで。どんなシノギをやっても、結局金を持っている奴がいない」 「なら、どうして奥村は中央線南の仕切りを引き受けたんだ?」  呟くような薫の問いに、宮城は店内をちらりと見渡した。 「……実は、本当かどうか、はっきりしてから報告しようと思っている話があって」  聞いている連中の眉が上がる。 「何か掴んでるのか」 「奥村は例の穴が東京に開いた時、『風下』にいた」 「……ガンか」 「そうです。甲状腺をやられていて、本人は東京を出てきちんとした治療を受けたがっているらしい。中央線南がそんなに金にならないことは最初からわかっていたものの、支配地域が広がればなんとか金にできるかもという期待から抗争に乗った。抗争が終わった今は、なりふり構わず金だけ巻き上げて、どこかの病院にトンズラしたがっているんじゃないかと」  ふぅん、と江藤が唸った。 「その辺、高遠は知ってるのか?」 「どうなんでしょうね。高遠自身にも病気だという噂がある。あまり根城から出てこなくて、何かあれば相手を呼びつけることが多くなった。抗争前にはなかった行動です」  フォークを行儀悪くぷらぷらさせながら、江藤が言う。 「最大のライバルを倒して気が抜けたか?」  全員の目が集中し、薫は苦笑いになった。 「俺が死んで良かったこともあったわけか」 「そのまま死んどけ」  江藤の身も蓋もない言い方を受け流し、薫は頬杖をついた。 「……高遠の奴、せっかくブン捕った地域に対して扱いが雑じゃないか?」 「そこが分からないんですよね。上層部はとにかく全体的に気が抜けている。統率も何もかも緩み始めているくせに、金にはがめつい。集めた金がどこに流れているか、こちらはまだ掴めていません」  田嶋が顔をしかめた。 「『政府』に返り咲く気で貯め込んでいるのかもしれない。こちらからも調べてみる」 「金の流れがわからないのは、気になるな。抗争に勝って贅沢でも始めるかと思ったが……」  薫の言葉に、宮城は肩をすくめた。 「高遠は依然として、例の根城で暮らしていますし、新しいことを始めた気配はありません」 「宿敵を倒したし、あとは楽隠居の準備でもしてるんじゃないのか?」  江藤が楽観的なことを言うと、宮城がうなずいた。 「奪還をしかけるなら、今のうちかもしれない。こっちの連中も、佐木さんが生きているとわかれば士気は戻るでしょうし」  どうする? という視線に、薫は考え込んだ。 「……金の流れがわからないうちは、あまり軽率に動くわけにもいかないだろう。奴のことだ、集めた金で『どこか』に『何か』を発注した可能性は捨てられない」 「戦車でも買うってか?」  薫はうなずいた。 「今の東京なら、なんでもアリだ。戦闘機だって戦車だって、調達しようと思えば自衛軍からの横流しは簡単だし、海外から東京湾に運び込んだって、取り締まる機関はほとんど無力だ。あいつが南を捕った理由は『それ』だったのかも」 「海沿いの地域が欲しかった?」 「かもな」  田嶋は薫の分析を黙って聞いていた。『政府』の仕事について考えているのだろう。真剣な田嶋の目を見ながら、薫は続けた。 「『政府』に戻るのも一手かもしれない。国家を再編成して、圧倒的な武力で高遠を蹴散らすことを目指すか……あるいは、いっそ奴を暗殺してしまうか……」  疲れてきた。  薫は瞼をこすった。何をするにしても、今の自分には気力が足りない。その重苦しい感覚は他の3人にも伝染し、束の間、沈黙が流れる。  雰囲気を変えようと江藤と宮城が明るく言った。 「しばらく東京から離れたらどうだ?」 「温泉でも入ってきたら、少し気が紛れるかもしれませんね」 『温泉』という言葉を聞いた瞬間、薫はいきなりフラッシュバックに襲われた。  突き刺さるような後悔と、いたたまれなさ。自分への怒りと、そして圧倒的な孤独感に息を詰める。  そうだ。あの時も俺は疲れていた。抗争は終盤に差し掛かっていた。俺は……抗争に勝ったら、なんてバカみたいなことを考えていた。怜とふたりで温泉にでも行って、心ゆくまで怜を抱きたいと……。  ぶるぶる震え始めた手で、目を覆ってうつむく。  スコープを覗き続けた戦場で、俺は怜との甘い時間を慰めにし、抗争の終わりを待ちわびていた。  かなわなかった憧れに、薫の目から勝手に涙が落ちる。  どうして、俺はあんな能天気なことを考えていたんだ。その油断がこのザマだ。俺はチーム全員を危険にさらし、一番大事なものを失って、惨めに泣いている。  薫の様子が急変したことに3人はすぐに気づいたのだろう。江藤が店員に水を頼む、小さな声が聞こえた。  有能な連中に対して、俺は申し訳ないことをした。怜に撃たれたのは自業自得だ。  喉を鳴らして嗚咽を飲み込む。 「俺は……復帰を考える資格なんか……」  必死で声を絞り出す。 「全部、俺のせいでダメになって」 「まだ終わってない。薫、ダメになんかなってない」  穏やかな江藤の声に、涙がさらに落ちた。 「俺は、疲れて……怜と温泉に行きたいなんて……あの時、あんなことを考えたから……全員の人生をダメにした……」 「江藤さんの言うとおり、まだダメになんかなってませんよ。それに俺だって、終わったら風呂に入りたくて、神奈川とか群馬のスーパー銭湯を検索してた」 「あの状況なら、誰だって『終わったら何しよう』とか考える。薫。お前はちゃんと指揮をしてた」  嗚咽を必死でこらえながら、薫は目を覆い、じっとしていた。  手を伸ばせる場所に怜がいない。  その結果は自分が招いたことだ。チームをないがしろにした報いだ。 「すまない……みんな、すまなかった……」  宮城が隣で身じろぎする。 「佐木さんが自分を責めるなら、俺も言わせてもらいますけど……うちのチームに紛れ込んだ向こうの動きを、俺は追い切れなかった。輸送チームの中で敵の作戦が進行していたのはわかっていたのに、俺は突破を阻止できなかった。図書館を燃やした責任を最初に追及されるべきなのは俺であって、佐木さんじゃない。落ち込まないでください。こっちが……いたたまれない」  絞り出すような声に、薫は手を下ろして宮城へ視線をやった。宮城は感情を押し殺した声で続けた。 「気づいてくださいよ。俺たちはチームだ。佐木さんが自分の責任しか考えないから、俺たちも自分で自分を責めるしかない。屋島さんも、高田さんも……江藤さんも」  顔を上げると、江藤と視線がぶつかる。その目に哀しみがよぎる。 「すまない……」  薫の静かな謝罪に、江藤は肩をすくめてみせた。 「俺のことはいい。でも宮城たちのことは、最後までお前が面倒みるのが筋だろ」  薫は黙って頷いた。全員に対する申し訳なさで、声が出なかった。  俺たちはチームだ。大事なものを失ったのなら、後始末も一緒にやらなければならない。これは『仕事』じゃない。後任はいないのだ。

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