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第144話 千葉にて(1)

「さてと」  これからご馳走に取り掛かろうとでもするように、怜は言った。  広い寝室の中には20人近い男たちがいる。彼らは2種類、拘束している者とされている者に分かれていた。どちらも殺気を隠しもしていない。その中で、怜だけがバーベキューにでも来たような雰囲気だった。 「夜分遅くの訪問であることはお詫びします。で、こちらの要求は受け入れて頂けるんですよね?」  軽く確認する口調で、怜は小首を傾げた。答えはない。代わりに部屋の向こう隅で呻き声があがり、抵抗しようとした敵のひとりが、怜の部下に再び乱暴に押さえつけられた。  怜はチラリとそちらを見ると、再び正面に視線を戻した。相手にしているのはこの屋敷の主だ。寝間着のまま床に押さえ込まれ、4人がかりで拘束されている。  男は、動揺している素振りを見せないために歯を食いしばっていた。夜中の2時に銃撃で叩き起こされた割には、まぁまぁ肝が据わっている。  そいつは抵抗の素振りを捨てず、憎しみとふてぶてしさの混ざった視線で怜を睨み上げていた。 「チビガキがイキりよって、いい加減にせぇ」  ドスの利いた脅しに、怜は全く動じなかった。にっこり笑い、中年男に顔を近づける。 「さっき名前、言いましたよね? 嫌だなぁ。弘神会の会長さんが、そんなに記憶力が悪いとは思いたくないんですが」 「覚える価値ねぇから呼ばねんだ空気も読めねぇのか」 「空気?」  怜はわざとらしく、呆れた顔をした。 「空気を読むのはあなたの方だ。ねぇ? 考えてみてくださいよ。こんな時間に武装ヘリを下ろして、この屋敷に突入できるフル装備の部隊が、日本にどれだけ存在すると思ってるんですか?」  暴力団の組長を見下ろして、怜は子供にでも言い聞かせるような態度だ。言っている内容は物騒を通り越しているのだが。  そう。怜と自衛軍の特別編成部隊は、ついさっき武装ヘリで降下し、地上からの襲撃部隊と連携して、組長の屋敷を派手に制圧したばかりだった。  千葉市に本拠を置くこの組織は、例の抗争直後から『東京』に入り込んで高遠と組んでいた。連中のあらゆるシノギに辟易した怜たちは、今回、組織を直接叩くために、この千葉市に出張してきたというわけだ。 「誰のパシリだ」  怜を指揮官と認めるのはプライドが許さない。中年男には嫌悪感がみなぎっている。 「パシリ? やだなぁ。オレの仕切りだってのも言いましたよね?」  飄々とした雰囲気のまま、怜は腰からベレッタを抜いた。スライドをわざとらしく確認して腰に戻す。  それだけの仕草で、中年男の肩に力が入った。態度や仕草、雰囲気など、言葉以外のもので相手を操る力を、怜は身につけている。 「言ったでしょ? オレは高遠怜。現在、中央線南を仕切っている。あそこの治安を回復させる責任はオレにある。そして、堂々とヤクを売る店も、ガリガリのお姐さんたちに売春させる店も、詐欺電話をかけまくる胡散臭いグループも、オレは必要としていない」  身を起こすと、怜は目を細めた。 「1ヶ月前に中央線南の全域に向けて宣言したはずです。あなたにもね。違法なことをする者は、即刻『東京』を出ていけって。あなたは無視した」 「聞いてないな」 「耳がないってことですか? そこについてるのは飾り?」  束の間の沈黙。怜は唐突にベレッタを抜き、中年男の耳に銃口を当てた。彼の部下たちが拘束の下で顔をこわばらせる。 「そんなに無能なら、耳がなくても別に困らないでしょ?」  怜はニッコリ笑うと中年男の耳から銃を離し、ぷらぷら振った。それから隣の隊員に小声で何か話す。隊員が頷いて後ろの数人に指示を出すと、会長と呼ばれた中年男以外のヤクザどもは、部屋から引きずり出されていった。 「おいどこに連れてく!」 「自分の部下が気になるなら、引くべきところで引いたほうがよかったんじゃないかと思いますけど」 「どこに連れてくって言ってんだ!」  わめく中年男の顔をのぞきこみ、怜は低い声で続けた。 「あなたには、オレに指示する権利はない。あなたのお仲間がどこに連れて行かれるかを知る権利もね。感情に任せて人を脅すだけなら、口も脳みそも必要ありませんよね。オレがまだ自制心を保って話している間に、口を閉じるよう忠告します」  話しながら、怜は屈みこみベレッタの銃口を男の額に当てた。確実に脳を撃ち抜く角度だ。  中年男から見て、怜は不気味であるに違いなかった。物静かで冷静に見えて、裏に狂気を隠している、そんな雰囲気を怜は醸し出している。本当に撃つかもしれないと思わせるのが、怜はうまかった。  怜に呑まれつつあるのに抵抗するように、中年男はなおも声を張り上げる。 「お前が中央線南の仕切りだなんて、こっちは認めてねぇ」 「あなたに認めていただく必要はまったくありません。オレが実際に何をしているかは聞いているんでしょう?」  中年男は黙り込んだ。つまり肯定ということだ。  怜はいまや、『東京』に関わる人間なら誰もが無視できない存在となっていた。2ヶ月前に中央線南を取り戻すと宣言して以来、怜は蒲田を手始めにどんどん警察を復活させ、各種行政組織を入れる準備を進めていた。あらゆる機関の出張所が作られ、本格的に人員が動き始めている。  薫と江藤が仕切っていた頃にも、そうした準備をしてはいた。だが当時は抗争に明け暮れ、結局、行政機関の復活には至らなかった。  一方、怜はその辺りを迷う必要がない。最初から、『政府』と組んで事を起こしたからだ。薫の地ならしの恩恵も、『政府』とのパイプも、江藤とのコネも、怜はなりふり構わず使っていた。  黙ったままの中年男に、怜は微笑みかけた。まるで子供に諭すような態度だ。 「さっきあなた、オレのこと『誰のパシリだ』って言いましたよね。……質問が違う」  ふと何かに気づいたように、怜は顔を上げた。のんびりと窓へ向かうと、分厚いカーテンを開け、外を見る。 「来たようです」  窓の外いっぱいに、赤い光があふれる。回転し、全方位を睥睨する権力の色。  そのライトを背景にして、怜は中年男を振り返った。 「いいですか。正確な質問は、『何のパシリだ』です。オレは現在、軍と警察を直接指揮する権限を持っています。『政府』のパシリとしてね」 「てめぇ……」  暴れようとしても拘束の下で動くことができず、中年男は音を立てて歯ぎしりをした。 「あなたたち以外にも、犯罪行為でオレの目的の邪魔をしてくる連中は多いんですが、今オレが考えているアイデアを教えてあげましょうか?」  ギラギラする目が怜を睨み返す。 「オレとしては、犠牲は最小限にしたいところなんです。爆破予告やら、襲撃予告やら、いちいち反応するのも飽きてきたし。あなたが抵抗したいのなら、それは、こちらにとってはとても助かる話なんですよ」 「? 助かる?」 「ええ。ちゃんと、あなたの脳みそで考えてください。大量に湧いて出る敵をいっぺんに黙らせる方法って何だと思います? 今オレが考えてるのは、ここであなたを殺して、その死体を『東京』のど真ん中に吊り下げておくことです。オレに抵抗すればどうなるか……どんなバカでも理解できるようにね。あなたが『東京』から手を引く気がないなら、こっちとしては、なんの後ろめたさもなく、見せしめが作れる」  中年男は、思わず体を起こそうとした。 「クソが! そんなことしたら、こっちのモンは黙ってねぇ。テメェそれが通用すると」 「思ってますよ。ねぇ? 今のあなたの状態、わかってます? オレが一言命令すれば、あなたの頭は吹っ飛ぶんです。軍と警察を自由に使えるって言ったでしょう? どうして、今夜オレが制圧したのがこの屋敷だけだなんて、呑気に考えられるんですか? あなたの仇を討ってくれる仲間が、まだその辺にいるとでも?」 「……もしかして……」 「敵を叩くのに、半端なことするわけないでしょ? あなたの所の事務所も、他の主要な組員の屋敷も、『東京』内の拠点3か所も、何もかも今日で終わりです。取りこぼしはあるでしょうが、それは後で叩けばいい。  わかりませんか? このオレに反抗するなら、組織ごと、根こそぎすべて、反抗できなくなるまでオレは潰しにかかる。あなた方は状況を履き違えている。オレは『東京』の覇権を争って安っぽい抗争をしているんじゃない」  怜は両手を広げた。中年男は、その芝居がかった仕草を死ぬまで忘れないだろう。赤い光に照らされて、怜は黒い夜に君臨していた。 「あなた方とオレが対等だと思うこと自体が、あなた方の思い上がりだということを自覚してください。わかりませんか? あなたをいたぶって言うことをきかせることさえ、オレには必要ないんです。  あなたの身柄をどうするかは、オレが決めていい。突入時に抵抗したという口実で、軍の預かりのまま殺して死体を辱めることも、一連の違法行為の犯人として警察の管轄に入れることも、戦略上必要であれば、オレが決められるんです」  そこまで話し終えると、怜はツカツカと歩いて中年男の前に立った。強靭なバネを感じさせる体が、しなやかに動く。体は決して大きくはないのに、怜はその場を支配していた。何もかもを圧倒する存在感を放ち、いまやむき出しにした怒りで煌めく瞳が、中年男を真正面から見つめている。 「選べ。自分の親子兄弟の命を警察に渡し、公正な扱いを期待するか。あるいはここで全員朽ち、死体を無様に晒されるか。いずれにしても、お前たちには『東京』に足を踏み入れるだけの力は二度と与えられない」  厳しい沈黙の後、中年男は力尽きたように、銃口の前で身を伏せた。

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