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第145話 千葉にて(2)

 中年男が部屋から連行されていくのを見送ると、怜は溜息をついた。 「お腹空いた……」 「おつかれさま~」  残っていた隊員が、怜の肩を気さくに叩いて部屋を撤収していく。 「おつかれさまでした~。皆さん、気をつけて帰ってください。後処理の隊は?」 「下で待機してます。交代します」 「よろしくお願いします」  礼儀正しく言う怜に、他の隊員も手を振って出ていく。 「おう怜、おつかれ」  一番近くにいた隊員が、ゴーグルを外して声をかけた。縦も横も怜の倍はありそうなガタイだ。 「おつかれさまです高田さん。今回もありがとうございます」 「腹減ったな。帰りどうするんだ?」  肩の力を抜き、怜は微笑んだ。 「警備が迎えに来ているはずなんですよね。直接帰ります。高田さんもこのまま部隊と一緒に?」 「だな。埼玉も、もう少しで制圧できそうなところだから、気が抜けねぇ」 「引き続き、よろしくお願いします」 「おう。車まで警備してやる」 「ありがとうございます」  怜は微笑んだ。薫が信頼しているメンバーのひとりとあって、高田は面倒見が良かった。細かいことを気にしない豪快な性格は、一緒にいて気持ちがいい。  高田の方も怜が気に入っており、今回のような大掛かりな作戦の時には率先してサポートに入っている。  自分のヘルメットを脱いだ高田は、それをカポンと怜にかぶせた。 「後で報告を送っておく。とりあえず行くぞ」 「はい」  素直に怜がついてくるのを確認すると、高田はアサルトライフル片手に部屋を出た。  怜は普段、ヘルメットどころか防弾ベストも着ない。だいたい黒のジャケットに白いTシャツ、ジーンズというのが定番だった。下手するとジャケットも着ない。人前に出る時に常に無防備な格好でいるのも怜の仕事のうちであり、高田はそれをよく理解している。  すべての人間の視線と意識を怜に集中させる。  薫が怜に課した役割について、腹心の部下たちは少し厳しいのではないかとさえ思っていた。  今、『東京』は荒れている。悪さをしている者は、自分たちのねぐらをどんどん追い出されている状態だ。他の地域に戻ればすぐ警察に捕まるような連中が、『東京』でも居場所をなくしつつある。そいつらの敵意をすべて怜に集め、警察をはじめとした行政機関は、陰で着々と仕事を進めていた。  怜は自分の役を完璧にこなしていた。作戦中は傲慢な態度で敵を挑発し、誰も目が離せないカリスマ性を放つ。自衛軍は基本的にカーキ色の装備だが、そのド真ん中を真っ白なTシャツで動き回る怜は、いついかなる時も攻撃される危険と隣り合わせだった。  まともな人間なら耐えられない仕事。それなのに怜は不思議なほど動じなかった。むしろ自分の立場に馴染むにつれ、怜の態度は堂々としたものになっている。部隊全員のリーダーとして当たり前に指示を出し、生き生きと敵を追いつめる。  隠されていた才能は、いまや全開だった。こうした怜の素質を早い段階で佐木が見抜いていたとすれば、その眼力には感服するほかない。  高田はそんなことを考えながら、屋敷の入り口に向かった。他の者と連携して狙撃を警戒し、迎えに来た黒いセダンのドアを開けてやる。 「ありがとうございます。高田さんも気をつけて」 「おう。おつかれ。ゆっくり休め」 「おやすみなさい」  おまけにこれだ。作戦や仕事以外では、怜は相も変わらず礼儀正しく、謙虚な態度を崩さなかった。行動を共にする者に対して気遣いを忘れず、命を粗末にするような作戦は絶対に立てない。  最初はトラブルもあったが、今や隊員たちは怜を可愛がるようになっていた。  佐木は、どこまでわかってて怜を中心に据えたんだろうな。高田はそんなことを考えながら、怜がセダンの後部座席に滑り込むまで警戒を続ける。 「ありがとうございました」  静かな礼と共に返されたヘルメットを受け取り、車の中を覗き込む。  怜の奥には見覚えのある姿が、影に沈むように座っていた。高田はそいつにも手を軽く振ると、ドアを閉めた。  ま、うまくいってるのなら、文句をつける余地はねぇ。  からかうような笑みを浮かべたまま、高田は部下たちへ撤収の指示を出すために振り返った。

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