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第146話★千葉にて(3)
「ご苦労だった」
静かな声に、怜は詰めていた息を吐いた。
「そっちの首尾は?」
怜が問いかけると、闇に沈む男は膝の上で組んでいた指をほどき、頬に当てた。
「君のおかげでスムーズに行っている。府中と国立の目途はついてきた。詳しくは後で」
落ち着き払った木島の声は低く掠れていた。腹の底をゆっくりとかき回すような話し方に、怜は目をつぶる。
ずるいんだから。
作戦直後の怜の気分を知っていて、こういう態度をとる。
深呼吸をしてから目を開け、横目で左隣を見る。視線が絡み合うと、ぴしりとスーツを着込んだ男は、カモフラージュのように足を組み直した。
「……怪我は?」
さっきより穏やかな声音に、怜はわざと顔をしかめて見せた。
「心配なら、あなたも作戦に参加すればよかったのに」
ユーモアを込めてそう言うと、木島は真面目くさって答えてきた。
「私が君の周囲をうろちょろしていたら、かえって危険だろう? まぁ……いずれ」
目の前の運転手と、助手席の警備をちらりと見やる。警備車両も前後に貼り付いていて、顔を近づけることもできない。スモークフィルムは貼ってあるが、どこにどんな目があるかわからなかった。
車は怜が乗り込むと同時に発車し、蒲田に向かっていた。千葉からでは、少し時間がかかる。作戦を無事に終えられた高揚感のせいで、体の奥が熱を持ち、突き上げるように腹が疼いていた。
「細かい報告は、帰ってからでいい?」
「そうだな。帰着まで休んでくれ。お茶でも飲むかい?」
ドリンクホルダーからペットボトルの緑茶を抜き取り、木島は怜に差し出した。
それを受け取るフリで、木島の手の甲を包む。スーツの肩がびくりと動き、何事もなかったようにペットボトルが受け渡される。
暗くて外から表情が見えないのをいいことに、怜は笑いかけてやった。その不敵な目に、木島は一瞬ひるんだ顔をした。不意打ちをくらったらしく、喉から変な音が漏れる。
にやついたままお茶を飲むと、怜はペットボトルの蓋を閉め、そのまま、その太い胴を握ってみせた。ペットボトルを顔に近づけ、木島の目の前で自分の指に口づける。視線を外さず、人差し指の先を咥える。
木島の喉が鳴るのに応じて体がじわりと潤う。欲望を逃がすように、怜は息を吐いた。
今すぐ、隣の男の屹立に触れたい。この動物的な衝動を解放させたい。
作戦後の火照りに掻き立てられて、怜は木島を見つめた。
わかってる。薫さんが生きていることを、外で匂わせてはいけない。
頭で理解していても、怜の体は疼いていた。薫さんに触れたい。抱かれて、貫かれて、強烈な快感で細胞を満たしたい。
はぁ、と息を吐いて、ペットボトルをホルダーに戻す。それをまたすぐ持ち上げ、一口飲む。
「落ち着かないな。疲れたか?」
露骨にからかってくる声に、怜は軽く睨み返してやった。誰のせいでこんなことになってるの? 木島はその意図を正確に読み取り、肩をすくめて見せた。
「少し休んだ方がいいのだが、働かせてしまってすまない。明日の予定は?」
「明日は……午後から調布に行かないと。あと、できたら午前中に蒲田の食堂に顔を出したい。オレのせいで色々大変そうだから、警備とか確認したいし」
蒲田の食堂には、あまり帰れない状態になっていた。怜に対する脅迫や襲撃予告が多くて、巻き添えにするわけにはいかなかったからだ。現在は、怜の代わりに警察が24時間態勢で蒲田をパトロールし、食堂には警官が配備されている。怜は木島──薫の定宿であるホテルの8階に泊まり込む格好になっていた。
「明日の午前中、私は比較的時間がある。報告は今夜でなく、明日に回してもいいだろう。少しは眠れるといいんだが」
つまり、今夜は寝ないで抱いてくれるという意味だ。
「まぁ、お互い疲れてるしね」
話しながら、怜は座席にそっと手を這わせた。2人の体の間で、木島の手を探り当てる。指が触れ合い、どちらからともなく絡み合う。怜は眠そうなふりで窓に寄りかかり、目を閉じた。
視界が遮断されると同時に、手の感覚が開く。
あぁ……。木島の顔が見えなくなり、怜の肩から力が抜けた。自分に触れているのは紛れもなく、薫さんの手だ。
手は、するりと怜の手の甲を撫でると、全体を包み込んだ。温かさが全身に広がる。しばらく怜をねぎらってから、手は動き始めた。
敏感になった手の平を、親指が穏やかにさする。手首から手全体を一度撫でると、薫は怜の指を一本一本、確かめるように撫でていく。
窓に寄りかかり目を閉じたまま、怜はもぞもぞと座り直した。下半身が熱をもち、まっすぐ座っていられない。体が緩み、それでいて芯は硬く下着を突き上げていた。あらゆる場所が敏感になり、後腔が勝手にヒクつく。
含み笑いの気配と共に、薫の手は労わるように怜の手を愛撫していた。もどかしさに我慢できず、怜の方から、ねだるように薫の人差し指をなぞり上げる。隣で、ごまかすような咳払いが起こる。
もっと、もっと欲しい。
怜の渇きを読みとって、薫の指がするりと怜の指の間に入り込んだ。指の付け根の薄い皮膚が、柔らかい摩擦で目覚めていく。
たまらない。
2人は祈りのように指を絡めて繋ぎ合わせると、互いの指の付け根を刺激し続けた。相手に与えながら与えられる繊細な快感が、波のように全身を満たしていく。
「……っ」
小さく呻きそうになり、怜は空いているほうの右手で思わず口を押さえた。薫の指先が、人差し指と中指の間の付け根の柔らかい皮膚に、ついばむように爪を立てたのだ。
そんなところにスイッチがあるなんて、考えてみたこともなかった。
指だけで、薫は怜を追いつめていく。興奮で火照る体が、小さく引っ掻かれるたびにビクリと跳ねる。
じわりと染み出した体液が芯の先端を濡らすのを感じて、怜は腰を動かした。
なんで車の中で始めちゃったんだろう。
我慢できなかったことを、怜は激しく後悔していた。地下駐車場から自分たちの部屋までは、けっこう距離がある。ねぐらを特定されないために密かに作った地下トンネルは、自分で歩かなければならないのだ。
薫さん、どうするつもり?
恨めしそうに視線を上げ、隣の顔を見る。木島の顔のまま素に戻った眼差しが、一瞬いとおしそうに細められ、面白そうに微笑んだ。
「疲れているなら、眠ってもかまわない。私が部屋までおぶっていってやる」
もう!
どれだけ怜を甘やかせばすむのだろう。人前ではポーカーフェイスを気取って、怜にも余裕の顔をするくせに、2人きりになると、薫は全然態度が違う。『東京』を裏から操る男のプライベートを知っているのが自分ひとりだということに怜は満足し、同時に胸が締め付けられるような感情に駆られた。
怜が目立つ姿で危険に身を晒すことに、薫が無感覚でいるわけがないのだ。細やかに怜を撫でる指先からは、怜が無事に薫の元に戻ってきたことへの安堵と、離したくない執着とがひしひしと感じられた。
「疲れてたって、自分で歩ける」
「それは残念だ。私としては、危険な任務をこなす君のために、なにがしかの労いは与えたいと考えているのだがね」
穏やかな声音に、怜は指先で答えた。
歩けなくなったら、運んでくれる?
「言ったでしょ? あなたが考える労いは、あなたが嬉しいだけだって。抱かれてあげる約束は、高遠が死んでからだ」
薫の指が、焦らすように怜の指の付け根を引っかく。
もちろん、腰が砕けたお前を運ぶのは俺の役目だ。
「全力を尽くさなければな」
「よろしく」
怜が木島に抱かれていることが高遠に知られれば、奴はきっと、木島が薫だと勘づいてしまう。だから、2人の間に体の関係はないことになっている。
薫の中指を、怜は包み込んで上下にしごいた。
部屋に戻ったら……たくさん抱いて?
「楽しみにしている」
表の会話と、裏の会話、両方の答を口にすると、満足そうに木島は笑った。
手の平が怜を包み込む。
蒲田までの時間、2人は無言のまま、指先の交歓を続けた。
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