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第150話 蒲田にて(41)

「行方不明だった会社が見つかったっていうこと?」 「いや、まだだ。見つかったのは例の政治団体とのつながりだ」  怜の質問に、パソコンを見ながら薫が答えた。ダイニングテーブルにデンと置かれたノートパソコンには報告書が出ていて、薫はそれをスクロールしながら、すごい勢いで読んでいる。 「いつも思うけど、薫さんってほんとに読むの速いね」 「あ~、そうか?」  生返事のまま薫は報告書を読み続け、怜は頬杖をついて薫が読み終えるのを待つ。  2年前、図書館で薫はいつも本を読んでいた。あの頃、本を読むことについて何と言っていただろう? 確か……本を読んでいると、他のことを考えなくていいから楽なんだ、と。  こうして一気に内容を理解していく薫を見ていると、文字から情報を直接取り込んでいるように見える。この集中力で読むからこそ、他のことは考えなくていいという発想が出てくるのかと怜は納得していた。  一通り読み終えると、薫は今度は鏡を相手に木島の顔を作り始めた。怜は薫が淹れたコーヒーを飲みながら、報告書の内容について聞く。 「行方不明の人たちが、東京に向かったのに東京にはいないっていうのは聞いてたけど」 「そうだな。それの続報だ。金の流れがつながったという報告が入ったんだ。これで高遠に一歩近づいた」  薫は真剣な目で鏡を見つめた。素顔で表に出られないからこそ、執念は瞳に凄みを与える。木島の顔で薫の目がギラつく時、怜はいつもゾクゾクするのだった。 「要するに、いろんな業者さんを高遠が雇いこんでいるっていうのは、はっきりしたけど、その業者さんたちがどこにいるのかがわからない……」  会社が丸ごと行方不明になっている。それはひょんなことから明るみに出た。屋島の部下がひとり、東北の父親と話したのがきっかけだった。  その部下は成田で仕事をしていたが、定期的に東北の両親と近況を伝え合っていた。つい1ヶ月前も電話で話していたのだが、その時、話の流れで父親が質問してきたという。  知り合いの土木業者が東京での仕事を依頼されたと言って半年ほど前にいなくなったが、それっきり連絡がつかない。何か知らないか、と。  部下が聞き出すと、当の知り合いだけでなく、その会社の社長以下、社員が全員きれいにいなくなっていて、市内で噂になっているとのことだった。  個人ではなく会社ぐるみということで、部下は気になって屋島に話した。屋島はその部下を地元に派遣して調べさせてみた。すると、どうやら社長は事前にかなりの報酬を受け取っており、大規模な復興事業に参加すると周囲に漏らしていたことがわかった。  報告を受けて東京で捜索をかけたが、その会社の社員は誰一人見つからない。中央線北に潜り込んでいる者からも、目撃情報はまったくなかった。  屋島と薫が全国に指示を出して調べると、同様のケースがいくつか見つかった。東京から離れたところで、建築・土木関係の業者が消えている。いずれも多額の報酬を事前に受け取り、東京に行ったはずが東京にはいない。  元々、犯罪者や半グレなどの胡散臭い連中が、戦後の混乱期に復興事業での仕事をアテにして流れ込んで現在の東京は出来上がっている。東京で身元があやふやになるのはよくあるのだが、それでも、奇妙な印象は拭えなかった。  彼らはどこへ消えたのか。彼らに仕事を依頼して集めているのは誰なのか。 「そう。行方不明になっている業者に金を払っている会社っていうのがいくつかあった。どれも何をしているのかよくわからない会社だったが、いくつかのトンネル会社を経由して、最終的に金の出所がひとつであることを、サイバーチームがついに突き止めてくれたんだ」 「例の『全日本復興協議会』?」 「そういうことだ」  それは高遠が作った政治団体だった。1年ほど前から急にネットで目立ち始めた連中だ。  彼らの思想は、薫に言わせれば妙に「高遠臭い」ものだった。曰く「今の日本が戦前と同じレベルまで復興するには、強力なリーダーが必要だ」というのだ。  連中は様々なことを言っていた。憲法を改正して大統領制に政治制度を変えるべきだ。大統領には専制君主にも匹敵する権力を与える。軍の総帥権はもちろん、立法権や司法権にも大きく口を出せる強い権力だ。  国民のために行動できるリーダーが、決断すると同時に実行できる制度こそが、迅速な復興と成長には不可欠だと、この団体は考えていた。  おそらく戦前の日本であれば、こうした思想は国民に浸透しなかっただろう。しかし、あらゆる権力の象徴が崩壊し思うように復興が進んでいない現在において、この政治団体の活動は一定の成果を収めていた。  この団体は2年以上前から存在はしていたらしい。高額の支援金を払うと、団体の創始者と直接話せるオンラインサロンへの入会が認められる。  薫たちはこの団体を追っていたが、彼らの活動を支援してしまう危険性や法的な問題、さらには「奴にビタ一文払いたくない」という薫の本音が合わさって、オンラインサロンへの潜入はできずにいた。  それがどうしたものか、2ヶ月前──ちょうど怜が高遠のところに乗り込んだ時期──あたりから、熱心に協力する者も参加できるように基準が改定された。  サイバーチームはせっせと動画への書き込みを行い、動画制作や取材に協力し、なんとかオンラインサロンに潜り込んだ。  どんぴしゃり、創始者なる人物は高遠だった。  薫はコーヒーに手を伸ばしながら、分析を続ける。 「今の高遠は、おそらくそっちに集中しているんだろう。奴が東京への興味をなくしていった理由がわかったわけだ。おそらく意図的に、奴は東京での存在感を消している。ネットに移住したとも言えるな」 「ネットに移住……あいつ、薫さんがいなくなって、やる気なくしたのかと思ってたんだけどなぁ」  怜がもそりと言うと、薫は苦笑した。 「興味を失くしたのは『東京』に対してだけだったのかもな。こんな日雇い労働者しか集まらない今の『東京』じゃ、金は集まらない。ネットで動画を拡散すれば、日本全国から金を集められるし、同時に、支持者も育てられる」  最初にこの話を聞いた時、怜は虚しさを感じた。  ちっぽけな自分は、永遠に奴を倒すことはできないのだと思ったのだ。小さな街を自分で作ったぐらいでは、高遠が怜の存在を意識するはずもなかった。怜が『東京』全域を掌握しても、それは変わらないだろう。  奴は今でも、自分を鼻で嗤っている。  その昏い憤りは、怜の中に今もある。奴に乗せられて薫を撃った、あの時の3人の関係性は、基本的に今も変わっていない。 「怜」  はっと顔を上げる。木島の顔を作り終えた薫が、怜の目を覗き込んでいた。 「思いつめるな。奴がやっていることには実体がない。本性を暴けば簡単に炎上して、奴は地盤を失う。地に足をつけて進む俺たちの方が、ずっと先にいる。あの時とは違う。奴がどんなにお前を馬鹿にしても、お前は確実に変わった。それにもう……お前と俺との信頼関係に、奴は割って入れない」  そうだ。大丈夫。オレはもう薫さんを撃ったりしない。あんな思いは二度と御免だ。  次は確実に奴を撃つ。  なだめるように、薫が怜の右手を包んだ。いつの間にか、怜はぎゅっと拳を握っていたのだ。 「結果は出る。俺たちが出す。怜。お前はお前が信じる道を進め。俺は最後まで一緒にいる」  深呼吸をする。  大丈夫だ。今度こそ、自分は薫さんと一緒に生き延びる。 「薫さん……」  薫の目が穏やかに答える。包みこむような優しい目だ。息を吸う。 「今度、一緒にプリン、買いに行きたい」 「そうだな……ああ。一緒に行こう。怜……」  そっと頭を抱きこまれながら、怜は思った。次がある。次のチャンスを与えられている。それは本当に幸せな事実なのだ。

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