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第154話 都内某所にて
高遠は暗い部屋に座っていた。目の前のタブレットからは、部下の声が流れてきている。それを聞きながらブランデーグラスに手を伸ばす。
「……ということで中央線南では、佐木薫が生きているのではないかという噂が流れています」
報告を鼻で嗤って、高遠はカシューナッツをひとつ口に入れた。
ようやくか。ずいぶん待たされたものだ。
テーブルに肘をつき、口元に手を当てて考えに耽る。
最初から、高遠は薫が死んだとは思っていなかった。理由は単純、自分の目で薫が死んだところを見ていないからだ。
図書館炎上の時に、江藤が電話で怒鳴り散らしていたのも知っていたし、ヘリで薫が搬送されたのも密かに見ていた。連中が『政府』と直結していて最高の医療を受けられるのもわかっている。
高遠はむしろ、自分が薫を見逃してやったのだと思っていた。あそこでヘリに一発ロケット砲でも撃ち込んでやれば、すべてが終わったのだ。それをしなかったのは、薫がより強くなって自分に再び挑んでくることを望んだからだ。
肝心のロケット砲が一発も残っていなかったことを都合よく忘れて、高遠はほくそ笑んだ。薫はいまも自分の方が上だと思っている。情報を制御できていると呑気に考えているのだろう。
仕切り直すために薫が『政府』ともう一度組むことは、予想できていた。2年前の抗争後、ほどなくして自衛軍を統率し始めた男が怪しい。
名前は……何と言ったか。
薫が顔を変えただろうことに、高遠は理不尽な憤りを感じていた。あの唯一無二の顔が損なわれたとは許し難い。ただ、それも高遠への憎しみに駆られた、なりふり構わぬ行動の一部だと思えば、それなりに許容できる。
ブランデーを飲みながら、高遠はじっと虚空を睨む。
薫は頃合いを見計らって怜に接触するはずだというのも、わかりきっていたことだ。だからこそ、隅の方で怜がちまちま何か始めたのも放っておいた。
案の定、『政府』の例の男と怜は結託して行動を起こした。
中央線南の奪還の速さ、警察との連携の良さを見ると、裏で薫が指揮を執っているのは確実。
怜がひとりで中央線南を掌握したなどと、高遠はハナから思っていない。薫がいるからこそ、既存のグループをそのまま生かすことが可能だった。今や全員が怜を畏れているが、ひよわで無能な息子が何かを成し遂げられるわけもない。
高遠はそうして一人よがりの妄想を続ける。
邪魔者がいない状況で、薫は怜を可愛がり手なずけ、自分の持ち駒として育て上げた。それは、怜が自分では何も決断できない子だから、できることだ。
薫はついに、思い通りに可愛がれるペットを手に入れた。純粋なる愛玩動物だ。
足を組み直しながら、高遠は昂ぶる感情を持て余しつつあった。
薫の顔が目の前いっぱいに広がる。欲望を満たすことに夢中だ。ほの暗い灯りの中で、絡み合う体が汗に光り、激しい息が熱く空間を揺らす。
ベッドの軋みさえ、高遠にはリアルに聞き取れた。目をつぶれば、2人と同じ空間にいるような感覚が湧き上がる。
妄想は続く。原始的な快楽にふける2人を無様に引きはがし、怜の細い喉を切り裂く。残虐に殺された最愛の者を見た時の、この世で最も強い怒りが薫の顔を極上の光で彩る。殺戮へ駆り立てられた目が、私だけを狙う。
かつて自分が犯した女の顔が、薫の顔に重なって見え、高遠は喘いだ。決して他人の思い通りにならず、心の底から高遠を軽蔑した女。侮蔑の眼差しは本当に、本当に美しかった。
あの目を再び作れないか数回試みたことがあるが、結局失敗した。芯のない女をなんとかしようとしても、うまくはいかないものだ。『政府』時代の女には執着するものがなかったし、怜の母親は頭が悪く、どちらも途中で高遠の圧力に砕けた。
美知留だけだ。彼女だけが、誰よりも激しく、誰よりも深く高遠を憎み、蔑み、混じりけの全くない鋭い光を目に宿していた。研ぎ澄ましたナイフのような眼差しを思い出せば、抗えない昂りが高遠の芯を突き上げる。
いくら手ひどく女や男を犯しても、どいつもこいつもすぐに諦める。あるいは高遠の権力に媚びて、体と引き換えに自分の安全や地位、金を手に入れようとする。死に物狂いで抵抗する者も中にはいたが、そういった者も、したたかに復讐を計画するだけの知能はなく、最後には精神的に折れてしまう。
美知留だけが、徹底的に抵抗した。犯すまでの暴れっぷりも尋常ではなかったし、押さえつけた後の凄まじい目つきも良かった。何よりすごかったのは、諦めたと見せかけて、高遠の絶頂──最も無防備になる瞬間──を虎視眈々と待ち受け、射精と同時に高遠の頸動脈に、シャープペンシルを思い切り突き刺したことだ。
彼女の態勢が悪くて、シャープは急所をわずかに逸れた。だが高遠にとって、その絶頂は二度と味わえない、強烈なものとなった。
考えるだけで、喉が鳴る。
むき出しの憎しみを直接首に突き立てられたときの、あの快感。精液と一緒に血を噴き出させ、高遠は文字通り、あの世まで逝った。
美知留の、あの絶対に折れない強さは、守るべき信念や愛があってこそだ。
舞台は整った。途中で怜が愚かにも薫を撃ったのは計算外だったが、あれとて現在の2人の関係を作り上げるのには役に立っている。
薫はいまや、盤石の愛情を手に入れたと思っているだろう。しかもそれを自分でコントロールできる権力を手に入れた。
重要なもの、命とひきかえにしてでも守りたいと思うものが、多ければ多いほど良い。今の薫は国家を率いる権力をあと少しで手に入れられるという欲が生じる時期にあり、同時に怜との信頼関係は確固たるものになったという自信も持てる時期。
最適なタイミングだ。薫だって、私と殺し合うのを期待しているに違いない。生きているとこちらに教えてきたのが何よりの証拠。
美知留と私との精神を見事に引き継いだ、あの完璧な薫は、美知留と同じ目で、一切の媚びも諦めもなしに私を蔑むだろう。
次はなんとしても、薫が自分を直接殺しに来るチャンスを確実にものにしなければならない。
連中が中央線南を掌握しきったと考えているなら、その組織に不協和音が起こる前に──薫と怜の仲に余計な雑音が入る前に──行動を起こすべきだ。
怜の周囲のことは、どんなに細かいことでも報告を上げるように高遠は部下に命じていたし、怜を心理的に揺さぶるよう、向こうに潜っている数人に命じてある。トラブルを起こそうとする作戦は、思った通り失敗した。部下たちは怜を口説く作戦に切り替えたが、これも成果はゼロだ。
部下たちは焦っているかもしれないが、高遠にとって失敗することは想定内だった。
怜が誰にもなびかないのは、薫に抱かれて満足しているからだ。以前こちらの配下にいた男が、しつこく怜につきまとって口説こうとしているらしいが、それも空振りだという。そいつが一番派手に動いているようで、噂はあらゆるところから入ってきていた。怜は一切相手にしていないとのこと。
こちらの陣営から怜に乗り換えた件の男は、そのうち制裁してやろうと思っていたが……裏切り者が役に立つとは皮肉なものだ。
実のところ、高遠はそいつの名前も覚えていなかった。やたらと自己顕示欲が強かったことは記憶にあるのだが、存在自体、たいして覚えていない。
高遠は、自分にとって利害関係がない、あるいは興味がない者は頭に入れようと思わない男だった。「覚えていない」ということ自体が罠であることを、高遠は認識さえしていない。
自分なりの結論を導き出すと、高遠はブランデー片手に恍惚と空間を見つめた。
なんにせよ、機は熟した。今こそ薫を陰から引きずり出し、殺し合いの舞台に立たせる時だ。
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