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第156話 『東京』にて(1)

 それが来たのは、深夜、日付が変わる直前だった。  怜以外、誰も本気にしていなかった決戦は、唐突に、しかし苛烈に始まったのだ。怜の「大蛇」というイメージそのままに。  高遠が仕掛けた攻撃は3か所に及んだ。ひとつ目の部隊は有楽町線の地下部分から練馬区の地上へ突如現れ、境界線を越えて一気に埼玉県に侵入した。もうひとつは新宿から中央線を西へ爆走し、吉祥寺から三鷹にかけての地域に襲いかかった。さらに最後のひとつは品川近辺で京浜東北線に乗り上げ、そのまま南下して怜の食堂のある蒲田に迫った。  ようするに東京都心の『穴』を中心に、放射線状に北西、西、南西に敵が湧いたことになる。  いずれの部隊も機動力に特化していた。ありったけのRV車やワンボックスを改造し、武器を満載した状態で線路を突っ走ったのだ。  しかも3方向とも百台近い数だった。彼らは目的地に着くと既存の駅のホームや改札を破壊し、階段を強引に車で走り抜け、あっという間に警戒網を突破した。  居合わせた誰もが、この夜を忘れないだろう。線路を走る車列は先頭だけがヘッドライトで前を照らし、後続が延々とついてくる。まさしく大蛇であり、しかも彼らは両側に火炎瓶を投げまくり、容赦なく赤い舌で周辺を舐めつくした。  怜はその時、竹田と一緒に蒲田にいて、食堂で遅い夕食を食べていた。薫は成田から蒲田に向かっている途中で、宮城は吉祥寺、江藤は横浜にいた。即座に自衛軍と警察に防衛を命じ、埼玉の高田と吉祥寺の宮城と連絡を取り、江藤に支援を要請したものの、高遠の部隊は予想以上に速かった。  埼玉の和光市は猛攻にさらされ、高田が率いる自衛軍は、応戦より先に住民の避難を指揮する羽目になった。中央線沿線は火の海にされた。  今の東京は、消防がまともに機能していない。消防法もなんのその、段ボールだろうがビニールシートだろうが、おかまいなしで人は住処を作り、建物を補修している。だから、人々が一番恐れているのは火事だった。  逆に言えば、『東京』を仕切る者は、火事を簡単に起こすと人望がなくなる。抗争の際に恨まれるのは火をつけた者だ。だから、どれほどの騒ぎが勃発しても、リーダー同士には「火を使わない」という暗黙の了解があった。  もちろん、ロケット砲やらなにやら物騒な物を持ち出し、結果として火が出た場合も恨まれるのだが、それ以上に、直接火をつける行為は断固として全員に嫌われる。  2年前の抗争の時も、そうした了解事項というか戦時法のようなものがあったからこそ、薫たちは油断した。それに、図書館に火をつけた高遠は、中央線南を獲ったのに、抗争後は自分から南に足を踏み入れることはしなかった。総スカンを食ったことはわかっていたわけだ。  それが今回、高遠は怜たちの陣地だけでなく、中央線北にさえ火を放った。手あたり次第という感じだ。それが高遠の指示によるものか、現場の下っ端たちが勝手にやったことかは怜たちにはわからない。いずれにしても人々が恨むのは、トップの高遠なのだが。 「バカじゃないの……?」  怜は吉祥寺の宮城から報告を聞くと、茫然と呟いた。攻撃は予想の範囲内だ。でも、こんな大規模に火をつけて回るなんて考えもしていなかった。これじゃ、決着がついたってどうしようもない。人がいなくなった焼野原に君臨したって、意味はないのだ。  蒲田にも、高遠の手勢は容赦なく襲いかかろうとしていた。  北からどんどん人が逃げてくる。それを追い立てるように、車は群れを成して迫っていた。  食堂から走り出て、怜は立ちすくんだ。  空が真っ赤になっている。ゴオオオという音は、今や空間に満ちていた。  薫さんが。絶望の色が。オレは炎の中で薫さんを撃って──。  図書館が炎上した時の光景がフラッシュバックしてきて、怜は生唾を呑み込んだ。  動けない。北からは炎と地響きが迫っているのに。食堂や商店街の人々が、怜を見つけて駆け寄ってきていた。 「怜さん! どうする? なぁ武器がないし、こんなのどうしたら……」  どうすればいい? どうすれば。図書館が。 「怜!」  乱暴に揺さぶられて、怜ははっと我に返った。竹田が真剣な目をしている。 「怜。お前はこの『東京』のトップなんだろ? 佐木さんは必ず来る。死んでない! お前は、お前がやらなきゃいけないことをやるんだ。なぁ、この『東京』を守ってくれ。お前にしかできないことだ」  そうだった。ここで昔のことなんか思い出してる場合じゃない。 「ありがとうございます。オレ、オレごめんなさい」 「謝ってないで動け! いいか、お前はここのトップだ。ちゃんとやれ!」  叱咤され、周囲の状況が頭に流れこんでくる。ばしっと両頬を叩く。そうだ。高遠に振り回されてる場合じゃない。皆を守らなくちゃ。  不安をたたえた人々をひとりひとり見つめて、怜はしっかりした声で指示を出した。 「全員、よく聞いて。ここも多分、火の海になる。銃とかはあるけど、水は足りない。戦うことは考えずに、今すぐ南へ。江藤さんには連絡してある。神奈川に入れば向こうで避難所を開設してもらえることになってる」 「でも食堂が」 「俺の店……」  深呼吸をする。大丈夫。薫さんは必ず来る。怜は落ち着いた声を出すように意識しながら続けた。 「みんな。命があれば、やり直しはいつだってできる。ここは、何もないところから、ちょっとずつ物を集めてみんなで作った街だ。大丈夫。もう一度一緒に作ればいい。今はとにかく、生きのびることを考えて。その上で、この街を守るために何かしたい人は警察と合流してほしい。今は人手が足りない」  人々は怜の言葉にうなずき、それぞれが動き始めた。  怜はそのまま、近くのビルに向かって歩き始めた。警察と自衛軍が入っているところだ。後ろから竹田がついてきている。  決戦は始まった。『東京』は焼き尽くされるだろう。  それでも。新しい街を作ろうとするオレたちの力が失われることはない。  オレの予想通りなら、この戦いはオレたちが勝つ。そう、高遠がまだ知らない真実は、この体の中にあるのだから。

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