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第157話 『東京』にて(2)

 予算も人員も足りない。その判断を、薫は激しく悔やんでいた。瓦礫と廃墟しかない都心部分でできることなど、たかが知れていると舐めていた部分もあった気がする。  ただ言い訳をさせてもらうとすれば、例の『穴』のせいで東京では数百万の人間が死んだ。以前とは比べものにならないほど弱体化した国力で、できることには限りがある。新しい統治制度を作り、残った人々で国を立て直そうとするなら、どうしてもあの地域は後回しにせざるを得なかった。  高遠は、要するに国家の弱点を突いたのだ。  自分自身にも高遠にも腹を立ててはいたが、今はそうした感情よりも、何をするかに集中すべき時だ。  薫を乗せた車は、湾岸を疾走していた。隣には屋島が座っている。薫と屋島は協力して、高田や宮城、そして怜や江藤とひっきりなしにやり取りしていた。状況はどんどん変わっている。とにかく死傷者を増やさないよう、薫と怜は約束していた。 『状況は?』  江藤の声に、薫は落ち着いて答えた。 「良くはないな。埼玉には完全に侵入された。中央線は線路に沿って火災がどんどん発生している。蒲田の怜だけが、車を堰き止めてる状態だ」 『へぇ、やるな。あいつ、どうやってるんだ?』  薫は江藤の言葉に、誇らしい気分になった。 「ありったけのワイヤーなんかを集めて、土地勘のある連中を小さなグループに分けて配置した。車の侵入経路にワイヤーを張り巡らせ、事故った車にビルの上から大量に物を落としておいて、自衛軍が近づいて武器を取り上げるっていう手順らしい」 『なるほど、怪談が本物になったわけだ』  戦後の東京で囁かれた、首無しの幽霊。建物の間にワイヤーを張り、通りかかった者の首を切って身ぐるみ剥がす。実際にあったかどうかわからない、東京ならではの怪談を、怜は覚えていたのだ。 『どこまで食い止めてる?』 「今のところ、まだ食堂と商店街は燃やされていないとのことだ。次々と車が引っかけられるせいで、敵の車列が渋滞して玉突きを起こした。奴らは車を止めて銃撃戦に持ち込む他なくなり、警察と自衛軍の特殊部隊が応戦してる。怜の提案で、埼玉と三鷹でも同じ作戦を始めた」  怜の決断と人員の配置は、薫から見ても優秀だった。非戦闘員を危険に晒すことなく、上手く動かしている。彼らは少ない被害で大きな成果を出していた。 「自衛軍や警察と、非戦闘員との連携がとにかく速い。しかも、訓練されていない非戦闘員の動かし方に無駄が一切ない」  屋島のタブレットを覗き込みながら、薫は話した。屋島はマップ上で、戦闘の推移を記録し分析している。 『即興でか? すごいな』  江藤は感嘆の声を上げた。怜はもはや、誰が見ても一流の指揮官となっていた。機動性のある敵に対して、足を止めることに全力を尽くしている。 『お前は今どこにいるんだ?』 「お台場を抜けるところだ。あと少しで蒲田に着く。お前は?」 『川崎にいる。中央線の方に北上した方がいいか?』  江藤の言葉に、薫は考え込んだ。確かに、自分と江藤が蒲田に集合してもしょうがない。怜がこれだけの腕を見せているなら、他のところに援軍を回すべきだ。ただ、時間的な余裕があるかというと、かなりの綱渡りになる。  少し迷ってから、薫は決断した。 「そうだな。中央線の方を頼む。東京に入ったら、問答無用で飛ばしてくれ。宮城に連絡しておく」 『よろしく』  通話を一旦切り、マップを見る。宮城は吉祥寺で踏ん張っているが、車列の一部は三鷹まで到達し、南へ侵攻している。最も被害が多いのはそこだ。埼玉には、北から回り込む形で千葉からの援軍が向かっている。  奴の狙いは何だ。  東京の支配権を獲るつもりなら、手あたり次第に火をつけていくような作戦は自滅行為だ。機動力に特化した部隊を編成するのはわかるが、こんなに大量に火炎瓶を用意する理由がわからない。これでは単なる破壊でしかない。  それに縦一列での突入は、怜のような足止め作戦や横からの攻撃には弱いということは簡単にわかるはず。  あいつボケたか?  一瞬そんなことを考えたが、その可能性は最後に検討した方がいい。  座っていることしかできない今の自分に歯がゆさを感じながら、薫は考え込んだ。  高遠の目的は何か。私的な目的は、薫と怜の身柄の確保だろう。おそらく怜を誘拐するチャンスを狙っているはず。薫を表に引っ張り出すのに一番簡単な方法はそれだ。  怜の能力は疑うべくもないが、高遠が怜の生け捕りを狙っているなら、蒲田への攻撃が生ぬるいこともあり得る。  とはいえ、それは良いニュースではない。高遠本人が蒲田にいて、攻撃の裏で何か画策している可能性があるからだ。しかも怜を捕えた後は、怜が大切に育てた街を殲滅し、目の前で仲間を処刑でもすれば、精神的なダメージを与えられる。  そういった裏の考えはわかるのだが、では、表の目的は何か。『東京』を焦土にしたという汚名は、この先ずっとついて回る。それとも自作自演を装って、自分たちが被害者だとわめくつもりか。  奴なら何でもアリなんだよな。  薫がそう思った時、屋島がタブレットを見せてきた。 「高遠が宣戦布告を出しました。見ますか?」 「……言い訳を聞くか」  薫はタブレットを引き寄せ、屋島と一緒にディスプレイを覗き込んだ。久しぶりに見る高遠の顔は、以前より脂ぎっているように見えた。少し太ったようだ。 「いい餌食べて、独裁者の仲間入りか」  屋島が肩をすくめた。三鷹にいたのはやっぱり影武者だったようだ。あっちは本人ほどいい物は食べさせてもらっていないらしい。 「どこで撮ったんだ、これ?」 「わかりません。発信元の解析では相変わらず三鷹なのですが、先ほど部下が急襲したところ、もぬけの殻でした」 「やれやれ。結局俺たちは後手に回ってばかりだな」 「仕方ありません。我々が目指しているのは破壊と支配ではなく、再生と統治です」  屋島はどこまでも冷静のようだった。  高遠はカメラ越しにこちらを見つめていた。何やら慈愛に満ちた指導者が写真撮影を赦しているといった風情に、薫は呆れ返った。 「おい、これ田嶋と江藤にも送ってやれ。久しぶりに面白いお笑い番組が始まったぞ」 「茶化さないでください。それどころじゃないでしょうが」  屋島の溜息が聞こえたかのように、高遠はおもむろに演説を始めた。 『本日、我々、全日本復興協議会は、この日本という国の首都を蘇らせるために行動を起こしました。戦後、長く低迷を続ける我が国において、皆さんがもう一度、人と人との絆を取り戻し、豊かな暮らしを取り戻すために』 「なんか下手くそな選挙演説が始まったな……」 「だから茶化さないでください」 「茶化さないで真面目に聞けるのかお前は。今まで努力してきたのをこんな安っぽい演説でひっくり返されるんじゃ、やってられないぞ俺は」  薫の本音に、屋島は黙った。誰よりも必死で警察を組織し、行政機関を都内に配置し、街のインフラを再建するべく調整してきたのは自分たちだ。うまくいかないことに言い訳せず解決策を丁寧に探ってきたのに、陳腐な言葉ですべてを火の海にされるのは、正直言ってやりきれない。  高遠の演説の内容は、薫の予想の範囲内だった。  自分は日本という国家を立て直す強力なリーダーである。この日本という美しい国を元に戻せるのは自分だけであり、現在の無能な『政府』ができていないことを、自分ならやり遂げられるだろう。  自分たちは東京都を我が国の首都として復活させるために行動している。首都をダメにしたのは、そこを私物化した挙句に自治権を主張している現地の人間たちと、利権の巣窟としてそれを利用している現『政府』だ。我々は彼らを一掃し、以前の美しい状態へ戻すという責務を、過去の国民と、現在の人々と、将来の子供たちに対して負っている──。 『東京都の自治権を主張している者たちは、反社会的勢力とも協力関係にあります。彼らは法的な統制の及ばない地域から、国民の皆さんの生活を脅かし、安寧を妨げているのです。  新しい時代を迎えるにあたって、こうした勢力に対しては断固たる姿勢をとることを、私は国民の皆さんに約束したい。現に、彼らは自分たちの場所を追われることに抵抗し、東京のあちこちに放火しています。武装しているという情報もあり、大変危険な状況にあります。  東京をこうした反社会的な集団から解放し、我が国日本の国民の皆さんの手に取り戻すために、今一度、ご支援をお願いしたい。彼らの蛮行に抵抗し、首都を解放するには、皆さんの力が必要です』 「おい、ついに俺たちを反社会的集団にしやがったぞ」  内容は相変わらず茶化していたが、薫の声には、隠しきれない嫌悪感と怒りが滲んでいた。  偉そうに嘘ばかり言いやがって。お前が何をしてきたのか、こっちは嫌ってほど知ってるんだ。  昏く淀んだ目で、薫はタブレットの中の高遠を見つめていた。宣戦布告は受け取った。お望み通り、お前だけは最後まで許さない。 「SNSで、今の状況を拡散させるようにサイバーチームに言っておけ。いつの時代も、偉そうなことを言う指導者のせいで、ひどい目に合うのは弱い民衆だってな。火の海をバックに泣きながら誰かが真実を告げれば、炎上するのは奴のケツだ」 「もう少し冷静に、自分で指示してください」 「できるかよ。こんなに腹が立つことなんか滅多にない。チーム全員が頑張ってきたことをバカにしやがって。怒り狂うのは俺の権利だ」  屋島がくすりと笑った。 「誰も、怒るなとは言っていません。怒るべき相手に全てをぶつけるまで、エネルギーは無駄遣いするなと言ってるんです。もうすぐ蒲田に着きますから、武器の点検をしてください」  イライラする薫に、屋島は澄ました顔でグロックを差し出した。 「佐木さんの帰還を、『東京』は待ちわびていますので」

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