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ep.3
週末の夜の紫葵との出来事を親友から打ち明けられた奥秋は、目を丸くして口に入れたつもりのスコーンを下唇に当ててそのまま皿の上に落としてしまった。
「……汚い、奥秋」
「言ってる場合かっ! 嘘だろ、江國ならまだしもお前がそんな……」
奥秋はここにいない親友をいきなり例えに用いり欠席裁判にかけて飛び火させる。
「……俺だってこんなクズがするみたいなこと、この歳になって自分がやるとは思ってもみなかったよ……。自分自身をこれ以上はないくらい軽蔑してる。今お前に鉄製のハンマーで殴られても文句は言えない」
「いや、それは単に俺が警察に捕まって俺の人生が終わるねえ」
カフェの隅でいつもよりずっとラフな服装と、一切セットされていない髪型の見慣れない親友に内心さっきから違和感を覚えつつも、そんなことをツッコんでいる暇はないくらいの衝撃的レベルな激白を食らい、奥秋は言葉を選べずにしばらく黙っていた。
奥秋から見て花瀬は昔から常に優秀なαだった──。
元々育ちが良いのもあるが、性格も穏やかで人当たりも良い。恋愛に対してもαだからといっておかしな横柄さや軽率さもなく、どんな相手にも真摯な男だった。
多くのライバルを押し退けて競争率の高い大手総合商社に見事就職し、入社後もバランス良く働き、残業続きの花瀬とは身のこなし方が全くもって違った。
周りは花瀬を賢い男だと称賛するが、本人はズル賢いだけだとわざと悪態をつく。
同じαから見ても花瀬はいい男だった。それこそ奥秋からすれば栗花落 の選んたあのαの何百倍もいい男だった。
そんな風に話す奥秋に花瀬は「俺はいつでもそういう役回りなんだ。何においても無難で、ここぞという決め手が俺にはないんだろうな」と薄く笑って見せる。
花瀬はいつのまにか出来上がっていた優等生の花瀬慧 という姿にすっかり辟易としていたのかもしれない──。
その花瀬の人生の中でこの出来事は、過去最大の衝撃的事件だといっても過言ではない──。
「……それで、どうすんの。顔と名前しかわかんないんだろう?」
「そう、なんだけど──今の子って危機管理能力に欠けてるよな。SNSで探せばすぐに見つかるんだから。学校名まで全世界に晒して、全く恐ろしいよ」
「俺は冷静にネットでさらっと相手を突き止めて、なんなら軽くディスってるお前が恐ろしいよ」
奥秋は真剣に心配して少し損した気分になりつつも、花瀬が見せてくれた携帯画面を覗き込む。
「おー、おぅ……」と奥秋がコメントに困るくらいに見るからに若くて派手な青年がそこには写っていた。
美容専門学校に通っていることがすぐにわかるような投稿内容と写真たち。言ってはなんだが花瀬が一生交わることのないような系統の人種だ。
ピンクと金色が混じった派手な髪色、両耳に空いたピアスに印象的な大きなつり目。色白で顔の作りが可愛いことに奥秋はなんとなく引っかかり、そこだけがどうも腑に落ちなかった。
それに気付いた花瀬が「なに?」と伺うも奥秋は奥歯を噛んだまま「別にぃ」と厭味たらしく苦笑いで返事する。
そう、結局可愛い子はなんやかんやと昔から花瀬を選ぶのだ。それは奥秋の知る大学一年生の頃から変わらない、世の理 だ──。
一人で勝手に悟りを開いて黙ったまま目を瞑っている親友に花瀬は眉根を寄せ首を傾げた。
全世界の人間が見られるSNS上で得た情報として、栗生 紫葵 は美容専門学校の夜間部に通いながら、昼間はアルバイトで学費を稼いでいるような勤労学生だった。
──土曜の夜間も学校に行ったのだとしたら、紫葵はあの身体と精神のまま授業を受けたことになる。
ますます花瀬は酷い罪悪感に苛まれた──。
金曜の夜からすでに72時間は経過している──。
アフターピルはきちんと買えたのか、飲めたのか、花瀬はそれも心配だった。
ちゃんと最後までしっかりと責任を持つべきだった。あの時紫葵が面倒そうに部屋を飛び出しても後を追って、しっかり大人の男としての責任を、αとしての責任を取るべきだった。
「責任もクソも……俺がしたことはただの犯罪じゃないか──」
仕事終わりに一度帰宅し、花瀬はジーンズにTシャツ、上にグレーブルーのパーカを羽織ったシンプルでラフなスタイルに着替えた。
特にコーディネートもクソもなかった。何も考えずに単に手を伸ばしたものをさっさと着ただけだった。
花瀬は朝からずっと頭の中は紫葵に謝ることでいっぱいだった。
月曜は紫葵の学校が終わるのを待って、もう一度きちんと謝罪しようと心に決めていたので、そのこと以外は何も頭に入って来ず、週初めの定例会議にも全く身が入らずに珍しく先輩から叱られた。
専門学校の出口前で堂々と待つのはさすがに忍びなかったので、歩道橋を渡って道路を挟んだ向かい側にあるコンビニ前に移動し、様子を伺うことにした。
授業は21時半に終わると専門学校のサイトで確認していた花瀬はそれより30分早く到着し、コンビニ前で専門学校の入り口をじっと眺めていた。
授業終了5分したあたりからバラバラと中から人が流れ出してきた。どの子も大抵は派手な髪色をしていた上、夜だったので花瀬はますます不審者のように生徒たちを凝視した。
目が疲れ出した20分を経過したところで見たことのあるピンク頭が出てきた。
花瀬は慌てて歩道橋を渡り、学校から少し離れたところで仲間と別れ、一人になった紫葵に声をかけた。
世間からすれば完全なる不審者だ──。
「あのっ!」
いきなり背後から声をかけられ物理的に驚いた紫葵が肩を揺らして振り返る。そしてその顔が一気に曇るのを花瀬は見逃さなかった。
「──今度はアンタがストーカー?」
「……ごめん。急に驚いたよな。でも君に謝らなきゃと思って……その」
「もうどうでもいい。気にしてない、アンタもさっさと忘れて」
「気にするよ!」
花瀬は背中を向けて去ろうとする紫葵の右手首を掴んだ。
「何っ、離してよ、俺はもう──」
「君、初めてだったんだな……なのにどうして──」
その言葉に紫葵は途端に身体を固くして、怯えた瞳で花瀬の顔をようやく見上げた。
「──なんで……」
「全部じゃないけど……断片的に思い出した……。君はあの時本当は怖くて泣いてた。君が朝話したことは真実じゃない」
強く掴みすぎたことに気づいて慌てて花瀬はすぐに紫葵の手を自由にする。紫葵は俯いたまましばらく何も話さなかった。
「忘れるなんて……一番無責任だった。本当にすまない。俺にあの夜の真実を教えてくれないか?」
「──そんなこと……今更なんの意味があるの……」
「単純に俺が知りたいんだ。俺が向き合いたいんだよ、君に犯した罪について、覚えてないなんて無責任なことに対しても全部──」
紫葵は花瀬の真剣な顔と声に余計腹が立った──。居酒屋や、あの朝みたいに偽物でないのがわかるからだ──。あれだけなことをしておいて、目の前の男は誠実で真摯で……。
「道端でなんか話したくない──」
紫葵のくれた返事に花瀬の表情は少しだけ和らいだ。
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