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ep.7
他人がいくら彼を優等生やエリートだと呼ぼうが花瀬自身はただの男にしか過ぎなかった──。
──αだからと自分を特別扱いしなかった自然体なΩのあの子に無性に惹かれた──。
一途に誰かを想う強さもその魅力の一部だったのだと今は思う──。
「顔、真っ赤だね。俺以外にも何人か試したって言ってたくせに」
「みんなツレだったから……緊張とかなかったし……」
──ああ、本当──、全然似ていないんだ。笑ってしまうほど──。
ベッドの下に組み敷いた小さなΩは顔を真っ赤にしながらも自分とは違う身体の価値観を簡単に自分に喋る──。
「俺なら許さないよ、俺以外の相手と簡単に寝るような子は選んだりしない」
花瀬はわざときつく紫葵に言い放ち、傷付いて泣きそうになる紫葵の表情をじっと試すように眺めた。
「だって……、アンタは俺のことなんか……本気にならないって思ったから……。忘れなきゃって思ったんだ……。誰かに好きって言われたら少しは靡くのかもって思った……けど、全然、無理だった……。アンタに先に会っちゃったから……もう無理──」
大きな瞳からポロポロと涙が溢れるのを花瀬は不思議な気持ちで眺めていた。
──ああ、そうか……。紫葵は俺だ。
ずっとあの子に似ていないなんて、勝手に比べていたけれど、好きな人に選ばれなくてどうしようもなくて、そこにずっと立ち止まったままでいた俺と、そこから逃げ出そうと藻掻いたけれど、結局そこから動けなかった紫葵──。
俺たちは似たもの同士だったのか──。
全てが腑に落ちた花瀬は小さく笑った。
「紫葵……」
「はいっ」
初めて名前を呼ばれて、泣いているのに紫葵は迂闊にもときめいてしまった。本当は呼び捨てなんて馴れ馴れしいと最初の一度くらいは跳ね除けてやるつもりだったのに、頭より先に口が反応してしまった。
「俺、もうすぐしたら海外に行くんだ。研修で2年間……。君にとっての2年はすごく長くて大切な時間だと思う。だから待てないて言わな……」
「なめんなっ!」
キーンと耳鳴りするほど至近距離で怒鳴られて花瀬は頭がくらくらした。
「俺の本気を舐めんな!」
涙で濡れた猫の目をギッと吊り上げて紫葵は本気で怒っていた。
「──ごめん」
花瀬が優しく口付けると、紫葵は少しだけ怒りが落ち着いたのか強ばらせて尖っていた肩をゆっくりと落とす。
「俺は待つよ──。アンタが手に入るならずっと待つ。アンタが俺を選んでくれるなら2年なんて大した時間じゃない。アンタに会うまで生まれてから20年掛かったんだもん。2年なんて比じゃないよ」
情熱的な紫葵の言葉に花瀬は身体が溶けてゆくような錯覚に陥った。
自分より年下の、価値観も何もかも違う彼が口にする愛の言葉がこんなにも身体の奥深くまで響いて心臓を揺らす。
この強い声が自分を運命と呼ぶならそれが真実なのではないかと思ってしまうほど、紫葵の声には花瀬の知らない魂の強さが燃えるみたいに溢れている。
こんな深い愛を自分は知らない──。
誰かに愛される感覚を知らなかったわけじゃない。いつもは自分が与えてそれを相手も返してくれるのが普通に愛だと思っていた。
紫葵のこれはそうじゃない、こんな強さを、こんな熱さを自分は知らない──。
自分にずっと欠けていた何かはこれなんだと花瀬はようやく思い知る──。
たまらなくなって強く抱きしめた紫葵の心臓の音が今にも飛び出しそうなほどに早く鳴り、繰り返される呼吸も浅くて花瀬は思わず心配になる。
「大丈夫?」
「だい、丈夫じゃない……、恥ずかしくて死にそう……」
「なんで? 君は俺としたの覚えてるんでしょ?」
「あんなの全部覚えてるわけないじゃんっ、初めてだったんだからっ。もう何されてんのかわかんなかった! 痛くて熱くて気持ちよくて恥ずかしくてっ、もうわけわかんなかったっ」
花瀬は改めて自分の犯した罪の深さを別の意味で思い知る──。
「俺もバカだな──なんで忘れたんだろ……紫葵の初めて……。可愛かったろうな」
「怖いこと言うな!」と全身の毛を立てて紫葵は花瀬を威嚇した。
「冗談だよ」といたずらっぽく花瀬は笑うが、紫葵はその胡散臭い笑顔を明らかに信用していない。
「でも──怖かったり痛かったりしたらちゃんと嫌がって、無理しないで。俺はもう紫葵に二度と無理矢理なんてしたくない──」
「そーいうとこずるい……」
紫葵が自分から花瀬に抱きついてきて、花瀬はやけにくすぐったかった。
こんな可愛い恋をしたのはいつが最後だったのか──。
「もう、なんだそれ……ずるいのはそっちだろ」と花瀬は小さな身体を抱きとめて深くため息をついた。
「知らないからね、紫葵──俺は全然大人の男じゃないし、優等生 でもなんでもないからな。嫉妬深くて狭量で拙陋 だぞ」
「難しい言葉使わないでよ。でもそれって好きならフツーのことでしょ? てかつまり花瀬さんも俺のこと好きってこと? ねぇ、好き? ヤバい、めちゃめちゃ嬉しい、どうしよう、ヤバいっ」
肩をすくめて顔を赤らめ、幸せそうに切なく笑う紫葵の姿に花瀬は目を奪われた。突然何も喋らなくなった花瀬を今度は心配そうな瞳の色に変わった紫葵が伺う。
「……花瀬さん怒ったの?」
「びっくりした……」
「へ? 何が……?」
「ううん。そうか……はは、こんな簡単なこと忘れてたなんて……」
ひとりでに納得して笑う花瀬を紫葵は眉間に皺を寄せ、難しそうな顔をして訝しむ。
「わかるように話してよ、なんなの?」
「俺は君が好きだったんだな。全部腑に落ちた」
「ひゃ?」
びっくりするくらい無邪気に笑う花瀬がたまらなく可愛くて、紫葵は頭のてっぺんまで一気に真っ赤に染め、無意識に喉から変な声を出してしまった。
──龍樹 という男にあの時抱いた感情も、それで全て筋が通る。己のあまりの愚鈍さに花瀬は呆れて笑いが止まらなかった。
アッシュグリーンの髪を何度も撫でながら、花瀬はずっと愛しそうに紫葵を見つめる。
「ねぇ花瀬さん、今日のこと全部全部忘れちゃやだよ」
「うん、忘れない。もう何一つ紫葵とのこと、絶対に忘れたくない──」
花瀬は紫葵に誓いのキスをした──。
「──ねえ、紫葵。初めて会った日のこと、どうしてあんな作り話したの?」
「それ……いま、聞く?」
真っ赤な顔をして必死に目を瞑り、縮こまる紫葵の首筋や胸を味わいながら花瀬はふといじわるに質問してみせた。
「何か考えてる方が緊張しなくて済むだろ?」
「む、り……ひゃっ……」
胸が弱いのかと、花瀬がくすりと笑うと紫葵は照れながらもむっとして力無い指で花瀬の胸を叩いた。
その尖った唇が無性に可愛くて、何度もキスで塞いでやるとあっという間に紫葵は根を上げる。
「アンタにとって、泣いてたことは多分……思い出したくないことなんだと思ったから……朝起きて全部を忘れたってことはそうなんだって……、俺のことも、全部──。だからあれは俺のせめてもの意地……初めてで、めっちゃ怖くて、めっちゃ泣いたけど……気にしてなんかやるもんかって……」
「君ってものすごく男前なことするよね。俺なら賠償金でもたっぷりふんだくってやろうかと思うよ。それが無理ならあらゆる手段を使って社会的に抹殺するかも──。君からすれば俺はストレートに言って卑劣な犯罪者だからね」
相変わらず花瀬の選ぶ言葉はどれも不穏で物々しく、普段の大人な物腰の柔らかさとのギャップが余りにも激し過ぎると紫葵は心の中で慄然とする。
「……でも、最初にアンタに声かけたのは俺だから」
「ねぇ、それ。人がいいを通り越して最早危険だから。もう誰にもしちゃダメだよ。優しさもそこまでくると狂気だよ」
「凶器?」
「──うん? まあ、二度としないでね」
「花瀬さんも俺以外に同じことしたら殺すからね」
「そういうのゾクゾクするな、一度言われてみたかったセリフかも」
「こえぇよ〜、花瀬さんもう、読めなさすぎだよぉ……」
紫葵は明らかなる花瀬の異常な思考回路に全身で怯えていた。
「俺のことが重いと思ったら逃げれば良いよ。まぁ、逃げられればの話だけど──ね」
「ヤバい、俺は絶対ヤバい男に手を出した!」
「そうだよ、もうとっくに手遅れだけどね?」
紫葵は花瀬の熱く強い抱擁にまんまとほだされ、魅惑的な笑みを浮かべるαの男に全身を溶かし全てを預けた──。
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