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ep.10

──数日して、花瀬の研修先が決定した。  行き先は中国。期間は研修期間の規定通りの2年。  自分のデスクで辞令のメール画面を眺め、改めて覚悟するように花瀬は大きく深呼吸した。  出発までの時間は残り2ヶ月──。  自分は紫葵にその間何を最大限にしてやれるのだろうかと花瀬はオフィスのバルコニーで大きく広がる空を眺め、愛しいΩを思った。  付き合ってまだ2ヶ月しか経たない二人に初めての記念日がやって来た──。  6月24日、紫葵の21回目の誕生日だ。 「(あきら)くん、今日何の日か知ってる? UFO記念日なんだよ」 「UFO記念日? なにそれ」  紫葵のバースデーケーキのロウソクに火をつけていた花瀬の手が思わず止まる。 「アメリカで初めてUFOが目撃された日なの」 「ほぉ、勉強になったわ」 「もー、ちゃんと覚えてて。俺の誕生日がいつなのかわかんなくなった時にUFO記念日って調べたら出てくるから!」 「何より先にUFO記念日という特殊な単語を思い出せるかどうかだな」  部屋の照明を消して紫葵がロウソクの火を一気に吹き消す。 「何お願いしたの?」 「慧くんがあっちでもずっと健康でいられますようにって」 「またじいさんみたいな扱いして」 「若いから心配してるの! ちゃんとご飯食べてね、たくさん寝てね」 「今度はお母さんみたいだな」 「違う! 俺は慧くんの番!」 「うん、そうだった。紫葵は俺のΩだ」と紫葵の頬に軽くキスする。 ──プレゼントは紫葵が望んだペアリング。紫葵の方には誕生石である小さなムーンストーンがついてあって、華奢で白い指に良く映えた。  紫葵が幸せそうにその指輪をじっと眺め、少し照れくさそうに今度は自分から花瀬の頬へと軽くキスをした。 「ありがとう、慧くん。俺ちゃんとここで待ってるから。ちゃんと俺のところへ帰って来て──、ね?」 「うん、帰るよ。必ず。俺は紫葵だけのαだから、必ず紫葵の待つところへ帰ってくる」 「愛してる」 「うん、俺も愛してるよ……」  二人は目の前にあるお互いの存在を確かめるように身体を強く抱きしめ合って、何を話すわけでもなくしばらくはその体温を記憶するように目を瞑り、静かな時間を過ごした──。 ──時間なんていうものはあっという間に過ぎてしまう。  それが大切な時間だと思えば思うほど、恐ろしいほどあっという間だ──。  江國に馬鹿にされても構わないほど毎晩抱き合って二人は眠ったし、寂しくならないように何度も愛してると互いに囁いた──。  空港では数名の中国研修組がそれぞれの大切な人たちとの別れを惜しんでいて、もちろん花瀬もその中の一人だった──。  腐れ縁の親友二人と、愛しいΩである紫葵。  そこで、初めて本物の紫葵とお目にかかった二人は穴が開くほど若いΩをマジマジと眺めたせいで珍しく花瀬に叱られた。 「そいや俺、地毛の紫葵を見ることなくここまで来たな」 ──そんな今日の紫葵の髪は赤に近いピンク色だ。 「じゃあ、今度ここに迎えにくる時は地毛にしておくね」 「おー、勿体ぶるなぁ」 「でしょおー?」  俺たちはここに必要だったのかと親友たちは互いの顔を静かに見合わせている。 「二人もありがとな、わざわざ空港まで」 「いーえ。貴重なお前が見れてよかったわ」と江國は口の端を上げて笑っている。  花瀬にはそれがなんのことかくらいお見通しだ。 「元気でな。身体に気を付けて、たまには近況聞かせろよ」 「お前もな、奥秋。貧乏くじから抜け出したらちゃんと教えろよ」 「うるさいよ」と花瀬の胸を小突く。  そして二人は紫葵より先に花瀬に別れを告げ、最後に二人だけの時間を残した。  搭乗案内を知らせるアナウンスがターミナルに響き渡り、紫葵は瞳を大きく揺らす。 「紫葵、まだ少し先だけど国家試験。頑張れ」 「うん、受かったら慧くんの髪切らせてね」 「もちろん、楽しみにしてる」 「慧くん……大好きだよ」  そう告げた紫葵はもうすでに泣いていた。  花瀬はその小さな頭を自身の肩に寄せて頭を撫で、その震える唇に口付ける。 「毎日電話するよ」 「毎日じゃなくて、いい……」 「ほんとに?」 「嘘、毎日して?」 「了解」と花瀬は紫葵の丸いおでこに自身のおでこを合わせて微笑む。  同僚たちに声をかけられ、花瀬は紫葵の身体をゆっくりと離す。それでも離れがたくてその指だけはどうしても最後まで離せずにいた。 「慧くん……元気でね、身体に気をつけてね。俺のこと忘れないでね」 「忘れるような暇ないよ、毎日電話するんだろ?」 「うん、うん──」  今度は紫葵から花瀬に思い切り抱きついてキスをしてそして離れた。 「慧くん、いってらっしゃい!」 「──いってきます」  エスカレーターの下で別れて、見えなくなるまで紫葵は笑って大きく手を振り花瀬を見送った。花瀬も同じように笑ったまま紫葵に最後まで手を振り、エスカレーターの降り口でようやく背中を向け、搭乗口へとゆっくり足を進めた。  一人声を殺し、頼りなげな細い肩を揺らして泣いている紫葵を奥秋と江國は黙って見守った──。  それから二人は毎晩のように画面越しで顔を合わせ、寂しさを繋げた。  第二外国語は中国語を専攻していた花瀬ですら、ネイティブの中国語の訛りやらスピードになかなかついて行けずに苦労していると話す。  中国人の英語使用率の低さに自身の今までの勉強が無駄に思えるほどだと漏らしていた。 「紫葵、夏休みはどこか行った?」 「うん。おじいちゃん家とー、プールとぉ、海とぉ、花火大会とー」 「めっちゃ充実してるねぇ〜聞くんじゃなかったわ〜」と花瀬はあからさまに後悔する。  なぜなら花瀬は見知らぬ土地でほぼ母国語の通じない中、毎日慣れない仕事に追われ、仕事後も中国語の勉強にと忙しいからだ。 「慧くんが日本に帰って来たら一緒にいろんなところ行こうね。近くでいいからお泊まり旅行も行ってみたいな」 「うん。行こう」  話しながらもふわふわと、紫葵はすでにどこか眠たけだ。 「紫葵、大丈夫? 仕事無理してない? 最近夜も遅いんだろ?」 「んー、もうねぇ、頭の中追いつかないー。とりあえずコンテストは終わったし、バイトは平気だけど夏休みの宿題とか、これが明けたらすぐに試験だし。それにね、ずっと慧くんのこと考えてる……」 ──画面越しに殺す気かと花瀬は目を細めた。 「俺も考えてる、毎日、紫葵のこと──」  そう告げた時にはすでに目の前の恋人は小さく寝息を立てていた。少しがっかりしたけれど布団の中で幼い子供みたいに眠るその顔が無性に愛おしかった。 「おやすみ、紫葵。愛してるよ」  寂しいけれど花瀬は短い逢瀬に別れを告げた──。

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