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ep.11
花瀬の携帯には紫葵からの可愛いメッセージに紛れて悪友たちが自分抜きで遠出した風景写真やら道端にいた野良猫写真など、やたらと手当たり次第に送りつけて来られるせいで、花瀬は苛立ち半ばにそれをゴミ箱へとスライドさせるのがすっかりと日課となっていた。
その中にあった悪友たちがジョッキを合わせながら陽気に笑っている写真に目が留まり、花瀬は机に伏せて声にして嘆く。
「ビアガーデン! うわ〜っ、めちゃくちゃ行きたい!」
窮屈な通路に椅子を並べた夜空の下で人々がひしめき合い、誰もが遠慮することなく馬鹿みたいに大声を出しては笑い、日々の鬱屈やストレスから抜け出して、浴びるように冷たいビールを飲みたい。
想像するだけで花瀬は余りの欲求不満に思わず背中に寒気が走る。
あの日本特有の賑わいを早くこの身体で味わいたい──。
悪友のメッセージの次に紫葵の写真ファイルを開くと、そこには髪色をアッシュグリーンに染めたばかりの自撮りの紫葵が笑顔で写っていた。
「会いたいなぁ……」
職場の椅子に深くもたれかかって花瀬はこれ以上はないくらいの大きなため息をついた。
瞼を閉じると浮かぶのはいつだって自分の愛するΩのことばかり、悲しいかなそればかりなのだ──。
αやΩなんかの性別を抜きにしても、21歳の何をするのも一番楽しい盛りの紫葵をたった一人日本に置いて来て不安になるなという方が無茶な話だ──。
何より紫葵は自分よりもずっと恋愛体質で、愛情深い。自分のように小手先の偽物の笑顔で誰かをかわしたりなんてできない性分だろう。
心の機微がそのまま顔に現れて、あの髪の色なんかとは比べ物にならないほどコロコロとその表情は色を変えてまわりの人間を魅了する。
「──というか、俺をおかしくする……。こんなにも」
不思議だな──。
栗花落 くんを忘れると決意した日に現れたあの子におれは運命を捧げた──。
「あんなにひどい出会い方だったのに……あの子に俺を与えるなんて神様は俺よりもうんと残酷だよな──」
「Hanase !」
愛しい人の余韻に浸る間も無く同僚から名前を呼ばれ、慌てて花瀬は腰を上げた──。
季節が冬へと進みかけ出したある夜、画面越しの紫葵は毛布を肩から被っていつもと比べ物にならないほどぼんやりとしていた。
「どうしたの、紫葵。体調悪いの?」
「ううん、試験までもう少しだからちょっと学校しんどくて」
「体力ないんだからあんまり無理するなよ? もう横になった方が良い」
「やだ、慧くんと話したい。その方が元気になれるから」
「わかった。でも横になって。紫葵が眠るまでの間話そう」
ずるずると毛布を引きずったまま紫葵はベッドへ移動して布団を被って横になった。
疲れているのか目がいつもよりも赤く、潤んでいる。
「慧くんは? 体調壊してない? 大丈夫?」
「大丈夫だよ、煮詰まったら部屋で筋トレしてるような奴だから」
「えー、帰って来たらムキムキになってんの〜? 顔と合ってなーい」
「紫葵が嫌なら程々にするよ」
「いいよ、別に。皆から見えないところとかエモい」
「エモい……の、よくわかんないけど、そうなの」
「出た。慧くんのおじいちゃんみたいな反応……」
ひゃひゃひゃと笑いながら紫葵はそのままこくりこくりと頭を揺らし、次第に眠りに落ちていく──。
──この画面に手を伸ばして中まで届けば今すぐ抱きしめられるのに……。
画面越しに聞こえる紫葵の規則正しい小さな寝息を消すことができなくて、花瀬はその声を傍に置いて自身もベッドで瞼を閉じる──。
──ねぇ、紫葵。今日は夢の中に出て来てくれる?
だけれど悲しいかな、花瀬は仕事の疲れからすっかり熟睡してしまって誰の夢も見ることは叶わなかった──。
季節は巡り、紫葵は美容師国家試験に無事合格し、美容師免許を携帯画面に掲げて笑顔と共に花瀬へ報告した。
「これで紫葵も美容師かー、お店に立つんだなぁ」
「うん、ハサミを持てるのはまだまだ先だけどね。頑張る。えっと、それでね、俺就職したら多分今まで以上にバタバタして夜とか疲れてすぐ寝ちゃうと思うの。だからあんまり連絡出来なくなるかも──ごめんなさい」
「ううん、当然だよ。新しいところでゼロからのスタートなんだから。覚えることもたくさんあるだろうし、美容師さんは夜遅くまで練習したりするもんね。無理するなって言っても難しいだろうけど、本当に身体には気を付けてね、ちゃんと頑張ってご飯も食べるんだよ?」
「ありがとう、慧くん。ちょっとだけ俺慧くん絶ちするけどその分たくさん成長できるように頑張るから応援してて! またすぐ連絡するからね!」
しばらく見納めになるのかもしれない紫葵は明るく微笑んでいた。画面が切れるその瞬間までずっと手を振り続ける紫葵を穴が空くほど花瀬は見つめた。
画面が切れた途端花瀬の部屋は一気に温度を失ったような静寂が包んだ──。
こんなにも自分の部屋は静かだったのだろうかと驚くほどにいきなり全ての音を失った気がした──。
──会えない時間を寂しいと感じたのは初めてではなかったけれど、自分が愛する相手が大人の階段を登った瞬間のさようならというのは思った以上に花瀬の胸を締め付けた。
「全くしっかりしろよ、おじいちゃん」と、花瀬は自虐して薄く笑う。
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