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第402話「椿先生と」3*奏斗

「弟さんがいるんだね、ユキくん」 「はい。オレより背高くて。なんか、しっかりしてます」 「へえ」  クスクス笑って、先生が頷く。 「お兄さんって言われたらそんな気もするね……ああ、でもユキくんは、上にも可愛がられてるか。人に好かれるよね、ユキくん」  なんて言って、先生がクスクス笑う。  笑顔でなんとなく頷いてから――――……なんとなく、先生に聞いてみたかったことを、聞いてみることに、した。 「あの、先生」 「ん?」 「あの……相談というか……へんなこと、聞いてもいいですか?」 「ん。いいよ。なんでもどうぞ?」  返事が速い。  ドキドキしながら言い出したのに即答すぎて、なんだか笑ってしまいそうになる。 「あの……オレ、高校の時に失恋、したんですけど」 「うん」  ここまで言って、ふと気付く。  ――――……何だか普通に「失恋」と言えた。  そこまで胸が痛まず。  泣きそうな感情も沸かずに。  不思議に思いながら、続ける。 「すごく辛い終わり方だったので、もう恋はしないって決めてて」 「ん。……そうなんだ」 「ずっとそう思ってきたんですけど……あ、ていうか、今も、そう思ってるんですけど……どう思いますか?」  そう聞くと、先生は少し、考えてから、ちらっとオレを見た。 「どう思うっていうのは?」 「……いつまでも強くこだわってて、情けないなって思う自分も居て……でもやっぱり、あんな思いをするくらいなら嫌だって思うし……どう考えたらいいのかって……」  そう言うと、少し頷いてから、先生は、少しだけ笑った。 「僕ね、ユキくんとは少し違うんだけど、昔から決めてることがあって」 「はい」 「……結婚はしないって、決めてるんだよね」  なるほど。なんとなく、らしいような、と黙って頷いていると。 「ただ、恋しない、とは決めてない。好きな人ができるのは、自然なことだし。相手も好きになってくれたら、そういうことになると思うし」 「――――……」 「でも、結婚っていう、紙での契約は要らないと思ってて。義務とか責任なしの、ただ一緒にいられる関係でいいって思ってるんだ。だから、結婚したいって人が相手だったら、ダメになるかもしれないし。結構僕って、面倒くさいと、自分でも思ってるんだけどね」  クスクス笑って、先生が、オレを一瞬、見つめる。 「失恋て辛いよね。……もう恋しないって思うのも分かる。初恋だったりした?」 「……はい」 「じゃあ余計だよね」  ふ、と息をついて。  それから。 「……でも、しないって思ってても、いざとなったら、しちゃうと思うけどね」 「――――……」 「今から恋しようって決めてするんじゃなくて、もう、気付いたら、恋してるんだよ、大体」 「――――……」  何だか何も言葉に出せず。ただ、先生の横顔を見つめてしまう。 「気付いたら、頭の中にその人が居て、いっつも離れなくて、とかさ」 「――――……」 「だから、ユキくんは、自然に居たらいいんじゃない? するとかしないとか、決めずにさ」 「……」  何だか、ハイ、とも、イイエとも言えなくて、オレはただ、先生から逸らした視線を前の道路に向けた。 「しないって決めてそれでいられる間は、ただ好きな人が居ないんじゃない? だからそれでいいと思うし。しないって決めてるのに好きになってたらもう、それまでだから」  何だか……先生の言葉が、まっすぐに入りすぎて、確かにそうかも、と思う。  そっか。  ……今までは、寝るのも一度限りで。深く関わろうともしてこなかったし。  恋しないと決めて、完全に遮断してたし。 「――――……」  しぜんと、こいする……。  でも、オレの恋は。  相手が男だから。――――……やっぱり、よくある男女のそれよりは、複雑。  でもさすがにそれは、言う気にはなれなくて。 「……考えてみます」  そう言ったら、先生が、ふー、と息をついて。 「どうしようかなぁ……」 「え?」 「……まあいっか。言っちゃおうかな」 「?」 「ユキくんなら平気な気がするから。話しちゃうね」 「……? はい」  なんだろ? と思って、先生の言葉を待っていると。 「僕ね。バイなんだよ」 「――――……」 「女性も男性も、恋愛対象になる」  突然の告白に、言葉が出ないけど、こくこく、頷いて見せた。 「あ、安心してね、男性は年上じゃないと無理ってのと、生徒は端から除外してるからさ」 「あ、はい」  はい、と言ってから、はい、もおかしい気がして、首をかしげると、先生は、クスクス笑った。 「まあ別にこれ、あえて言ってないけど、隠しても無いし、気にしないでほしいんだけど」 「……はい」 「だからさ。まあ色んな恋をしてきた訳。多分、ほんとに色んな人と」 「――――……はい」 「優しいからとか、こうだから好き、とか言ってる恋はさ。まだ恋じゃないんじゃないかなと思う訳」 「――――……」 「まあ恋愛対象になりえる範囲が広いかも、な訳だけどね。でも、普段からまわりを全部そう見る訳もなくてさ。意識もしてないのに、ある日突然気付くってことが多かった。何なら、昨日まではてむしろ嫌いだったのに、とかさ」 「そんなことあるんですか?」 「あったねー。まあだから、複雑で色んな各種恋の経験がある先輩としては」 「はい」 「いつのまにか自分の心の中に居る人が、自分を見ててくれたら、それはもう、恋できるってことなんじゃないかなと思うよ」  そう言ってから、先生は、「各種、恋の経験って……何言ってるんだろうね」と、自分に突っ込んで笑う。優しい雰囲気で自然と笑わせてくれようとしているのが分かって、オレも微笑んで見せてから。   「考えてみます。ありがとうございます」 「うん。参考になれば」  クスクス笑う先生。 「先生、あの」 「ん?」 「……実は、オレ」 「ぁ、ストップ」 「え?」 「ユキくんの実はっていうのは、また今度聞こうかな」 「え」 「なんか僕の秘密を聞いたから代わりにっていう感じも、なんかね。ていうか、僕は勝手に暴露しただけだし」  ちら、と先生はオレを見る。 「自分から話したくなった時に、聞くよ」  先生はそんな風に言って、笑う。  ……なんかこの人には、一生、勝てる気がしない。  ぼんやり、そんな風に思いながら、頷いた。

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