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2◆野瀬徳市
「煙草、鮒ずし、甘い酒」
軽妙に響いていたトントンカンカンという音が、ピタッと止まる。
こら手を休めなさんなお空は待ってくんねーのよ、と促せば、見た目より素直な不幸少年もとい碓氷青年は、ウッスサーセンと呪文のような謝罪を零してトンカチを持ち直す。
おまえ、槙枝には純朴青年なのにオレに対してはちょっとヤンキー味あんのなんでよ。と思ったが今回は見逃してやることにした。普段なら存分に絡むところだが、前途の通り空は待ってくれない。今は雑談よりも優先すべきことがある。
トントンカンカン、釘がベニヤ板を固定していく。賃貸アパートでは体感できない、悪魔的な快感だ。
「そういやトクイチさん、甘そうな梅酒よく飲んでますね……えーと、その三つが好きな理由は?」
「好きなモンを好きだと思う理由なんざ『好きだから』以外にねーだろうがよ。好きだから好きだ、以上」
「さっぱりしてますね……」
「ああ? なんだ文句でもあんのか少年」
だらっと零したオレの言葉は、今日はふつーに当たり前のように余韻を残す。いつもと違う、いたって健康的な音の響き方だ。
オレは基本家というか部屋からも出ないもんだから、『普通に喋れる』状態の方がなんとなーく違和感がある。
食事中じゃなくっても、槙枝はいつもうっすらと音を食っているからだ。この屋敷に住んでいる限り、必要最低限の音以外は大概槙枝に食われる。
オレと同じく出不精の槙枝は、インド人にひっぱられて定期健診とやらに出かけていた。
残された男二人、週末にぶち当たる予定の台風に備えて、今にも壊れそうな屋敷をまあまあ壊れない程度に補強する、なんつー諸行無常感あふれる作業に徹しているわけだ。
ま、窓にベニヤ板はっ付けてるだけなんだけど。壁やら屋根が持ってかれたらもうしらねーけど、ガラス割れんのが一番嫌だろ、と思った結果だ。
「つーか自分の好き嫌いにこざかしい理由なんざいらんだろうがよ。煙草は気持ちいい、鮒ずしはうまい、甘い酒は酔っ払える。そんだけだ」
「トクイチさんに訊いた俺が駄目でした。なんつーか、さっぱりしすぎて参考にならない」
「なにそれ褒めてんの? 貶してんの?」
「呆れてます」
言うようになりやがって、とうっかり笑ってしまった。
オレはまあこんなナリだから、割合人間に距離を置かれる。別に、そこまで特殊な性格だとは思わない。それでもやっぱ、人は見た目が十割、って奴が多い。
赤く染めた髪をサムライみたいに括ってる三十過ぎの男なんざ、おさわり禁止だろうなぁとオレだって思うよ。
だからなんつーか全部自業自得なんだが、それでも臆せず言葉をぶっこんでくる奴は、個人的に好感度が高まってしまうわけだ。
いまのところ、このオンボロ屋敷の住人は全員、オレに対して厳しい。
トクイチさんにはがっかりですよ。まったくなんでできるのにやらないんですか信じられません。人間には変な人っていうか変異体みたいな人もいるんだねぇトクイチさんみたいなさ。
そんな風に口々に弄られると、つい嬉しくなっちまうわけだ。
うはは、と笑って上機嫌に丹夏の肩をバシバシ叩けば、危ないのでやめてくださいなんつーまっとうな叱責が返ってくる。
真面目な奴は気持ちいい。正しい奴は、格好いいから好きだ。
「百均のトンカチで指叩いたくらいじゃあ死なねえよ。三日くらいギター弾けなくなる程度だろ」
「それが一番困るんですってば。明後日までにデモテープ作んなきゃいけないんですよ」
「お。ついにおニューバンド結成か?」
「あーいやーまだそこまでは……SNSとかライブハウスとか経由で、声を、かけてはもらってるんですけど、なんつーか……いや俺なんかが迷う権利はないんすけど……」
「いや権利はあんだろ。お前の人生じゃんよ。存分に選好めよ大事だろ。むしろ俺様に声かけてくるなんて命知らずだなくらいの気持ちで立ち向かえ」
「いや俺魔王とかじゃないんで。…………トクイチさん、マジでメンタル強すぎて、参考にならなすぎる……」
「いや宇宙人にガチ恋してるメンズにメンタルの話されたくねーよ」
グッと声を詰まらせる若人は初々しくて悪くないが、よりにもよって槙枝はねーだろ、という憐憫の方が勝った。
他人の恋路なんざ微塵も興味はない。どうでもいい。
好きにくっついて別れたらいいし、結婚でもなんでもしたらいいし、同性愛だのなんだのも好きにしたらいい。オレを巻き込まなきゃどうでもいい。
そんなオレでも流石に、『いやアレにそういうのは無理だろ』的なお気持ちになっちまう。
槙枝惣は宇宙人だ。
何を言ってるかわからねーと思うが、実際にあいつは宇宙人以外の何でもないから仕方ない。わからなくても納得するしかない。理解できなくても、事実は事実だ。
そもそもオレは、オカルトやら超能力やら幽霊やら、そういうものに特別な興味はない。
信じていないとか信じているとかじゃなくて、正直どうでもいい。
だから『実はおれは宇宙人なのだけれど』と言って、膝をぐにゃりと曲げてその先を青いゲル状に伸ばした槙枝を見ても、まじかーいや確かに人間はどう頑張ってもゲルにはなんねーわ、オレ一応人体の構造は詳しい方だもん人間はゲルにはなんねーしゲルから一瞬で戻ったりしねーもん、って感じで、三秒くらいで現実を受け入れた。
信じるとか信じないとか、そういう話じゃない。実際に目の前に存在しちまっているんだから、オレや世間がどういう思想を持っていたって槙枝は事実宇宙人なわけだ。
つーかオレに関しては、槙枝が宇宙人だとかそんなことよりも、完全防音の部屋を二束三文で借用できる、という条件の方が有益すぎて、三秒で納得した後三日くらいで忘れてしまった。
今でもたまーに『あ、そういやコイツ人間じゃないんだっけか』と思い出して一々ビビったりする。たいして興味のないことなんて、意識からさっと消えていく。人間の脳みそなんてそんなもんだ。
「いやー真面目な話よ、丹夏。あいつのどこがいーわけ」
トンカントンカン叩く合間に、今更な疑問をぽろっと零す。一瞬だけ手を止めた丹夏は、長い前髪の向こう側で神妙に眉を寄せた。
「え……どこ……、……顔……?」
「……ええー……」
「や、ちょっと、すいませんトクイチさんに引かれるのは心外です。人は見た目が十割っていつも言ってるじゃないですか!」
「人は見た目が十割だけどよー。あいつ宇宙人じゃん。顔だってどうせ好きに変えられんだろ知らんけど。たまに右手と左手間違えてんじゃん」
「え、うそ、それ知らない……」
「流石に怖いか?」
「いや、かわいいです。右と左間違える槙枝さんかわい……だから、トクイチさんに引かれるのは、心外です!」
いやぁー恋は盲目って言うもんだけど、まさか健全な男子が地球外生命体の男(の見た目をした何か)にゾッコンになるなんて思わないじゃないの。
確かに槙枝の顔はイケメンだ。
なんつーか甘い感じだし、色気があるのに柔らかい。ああいう女優がいたら、演技がわざとらしくても一定のファンつくだろうなぁーって感じの魅力がある。
つっても本当にそれは言葉通りの『ガワ』の話だ。
オレたちは相当努力しなけりゃ顔なんてもんは変えられない。ダイエットするとか、整形するとか。だがしかし槙枝惣は好きに変えられるに違いない。
そんな不確定なもんを恋の根拠にすんのどうなの。って割と本気で心配しちまったんだが、いじらしく照れた顔を晒した童貞野郎は、窓の上のベニヤ板に釘を打ち付けながら声を潜めた。
「……つか、俺だってなんで惚れてんのか、ぶっちゃけよくわかってないっすよ。どう見ても男だし、俺ゲイじゃないし、槙枝さん別に俺に特別優しいってわけじゃなくて、犬にも猫にもレモンにも優しいし、つーか宇宙人だし……」
「その全部を凌駕する恋心なわけだろ。ラブじゃん。全然理解できねーけど」
「トクイチさんに理解してもらわなくてもいいっす。別に俺だって付き合ってもらえるとか思ってないし、バイト見つけてバンド組み直す方が先だし」
「おう。まあその、まずはまっとうに生きることが先! って考え方は正解なんじゃねーの? と思いますよ。でも付き合ってもらえるならお付き合いしたいんしょ?」
「………………そりゃ、」
「いやぁ、おすすめしませんよぉー地球外生命体のお世話」
唐突に割り込んできた声に、オレと丹夏は同時に飛び上がる。
う、ひ! みたいな声出ちまったじゃねーかよくそ。
つか丹夏ちょっと泣いてるじゃねーかやめろびっくり系弱いんだからコイツ。
っていうオレの抗議の視線をさらっと見ないふりしやがったのは、背の高いインド人だった。
今日も胡散臭い笑顔だ。槙枝の作り物の笑顔の方が断然自然だ。見た目が日本人じゃないせいかもしれねえが、とにかくこのインド人の印象は『胡散臭い』一択だ。
実際にこいつは『宇宙人を監視するお役目をお仕事にしております』、なんつー胡散臭い自己紹介をするインド人だった。流暢すぎる日本語が、胡散臭さをさらに二段階くらい上げている。
おまえぜってー日本生まれだろと酒飲んで絡んだ時に、一気に五か国語くらいの言葉で罵倒された。あのドヤ顔、一生恨むと心に誓っている。
トンカンと台風予防板を打ちつけるオレたちの背後に立ったインド人は、ただいまって言葉いいですよねーと笑う。何度もウザいと思うがやっぱり胡散臭い。
あと背が高くて腹が立つ。オレは日本人の平均身長だっつーのに、丹夏とこいつに挟まれると小人気分になるから最悪だ。
「日本の誇るべき言語ですよ。ただいま、おかえり、いただきます! ところで先ほどのタンゲさんのお話ですが、もし本気でワタシの職を奪う気合いがあるのならば、まず我が社に入社していただきまして――」
「やめろイシャン、胡散臭い会社勧めんな。丹夏も聞くな。未確認生命体保護が仕事の企業なんざ、バンド野郎よりも胡散臭いぞ」
「わあ失礼ですねトクイチさん。保護じゃなくて観察ですけどね、トクイチさん。ていうかトクイチさんは皆さんに等しく厳しめですが、若干ワタシに対して厳しい成分が多めじゃないですかね?」
「気のせいだろインド人。つか槙枝は? 一緒じゃねーのか?」
「先ほどワタシと供に帰宅しましたが、どうも移動の最中の雑音過剰摂取で、重力計算がうまくいかなくなったとかで」
「……つまり?」
「食べ過ぎて身体がおかしくなって、宙に浮いちゃうらしいです」
「お、おう」
「というわけでワタクシ共の前ではどうでもいいですが公衆の面前でぷかぷか浮かれても困るので、早急にお部屋に突っ込んできたところです」
「…………宇宙人って食いすぎると浮くのか」
「浮くらしいですよ。少なくとも、マキエさんに関しては」
そういうもんか。よくわからんが、まあ確かにこの地球の重力を一とカウントしているのは、オレたち人間だけだろう。槙枝にとっては、軽すぎるのかもしれない。
まあ、そういうこともあんだろう。相変わらずアイツに関してはわりとどうでもいいから、ふーんと流してからトンカン作業に戻った。
隣の丹夏が『じゅうりょく、けいさん……?』みたいな顔してたが、気にしないことにする。説明すんの面倒くせえし、そういうのは後でイシャンが勝手にお勉強タイムすんだろう。
オレも含め、檸檬屋敷の住人はこの新しい居候のことが、割合気に入っているからだ。
「まーぷかぷか野郎はどうでもいいわ。イシャンおめーも暇ならトンカン手伝いやがれ。おめーならあの上の方も届くだろうがよ」
「えええ……嫌ですよーワタシ肉体労働に向いてないですからぁー」
「週四でファミレスのバイト行ってんだろうが、重ねた皿持ってほいほい動いてんだろ知ってんだぞ」
「いやーワタシが届く高さなら、タンゲさんも届くでしょうー?」
「あ、すいません俺たぶんイシャンさんより背低いっす。つかリーチの長さがなんか違う」
「そうだぞー逃げんなイシャンー手伝えイシャンー檸檬屋敷が吹っ飛んだら一緒に槙枝も吹っ飛んでくかもしんねーだろうがよー」
「吹っ飛びませんよ家は知りませんけどマキエさんはね。それより檸檬屋敷って呼び方どうかと思いますーお化け屋敷の一種みたいじゃないですかー。せっかくワタシがどうにかこうにか見繕った素敵物件なんですから、せめてレモンハウスと呼んでいただいて……」
「どうでもいいだろ。屋敷でもハウスでも。オレがここを気に入ってることに変わりねーんだし、呼び方なんざどうでもいい」
いつも通り、だらっと言葉を垂れ流しただけだ。
いつもより明確に響いた音の後に、いつも通りだらだらとどうでもいい会話が続いていくものだと思っていたが、何故だか二人は押し黙ってしまった。
なんぞ、と思えば妙に照れた顔を晒している。
きもちわりぃな、なんだよ。一歩引いて腕を擦れば、揃ったようにひどいですよと喚かれた。
「マジで心外なんすけど! トクイチさんがなんつーか、その、なんかスパッと恥ずかしいこと言うから、俺たちがうわーってなっちゃうんじゃないですか!」
「なっちゃうんじゃないですかってなんだよ、しらねーよ。好きなモンは好きだから好きだっつっただけじゃんよ」
「そのーなんていうか、そのですねぇ、アナタの、すっぱりとした恥じない好意、本当にワタシちょっと、時々面食らっちゃうんですよぅ」
「語尾伸ばすなきめーから。だらっと喋んのは槙枝だけで腹いっぱいだっつの。つか丹夏、ちょっと宇宙人の様子見てこい。天井でぐったりしてたらひっぱって椅子に縛り付けとけ、窓から出てかねぇようにな」
「え、あ、はい。縛……うん、はい。つか無理矢理拘束していいもんなんすか? 浮いてる宇宙人の取扱い方法、俺知りませんけど……」
「オレもしらねーよ安心しろ」
まあ、丹夏が相手ならあいつも嫌がらねえだろう。と思う。
何と言ってもこの屋敷(イシャン流に言えばハウス)の住人は、全員――そう、件の宇宙人も含めて皆、碓氷丹夏を気に入っているからだ。
別に槙枝がぷかぷか浮いて窓から故郷の空に帰っても、オレはそこまで落ち込まねえけど、一応縛り付けておくべきだろう。
丹夏くんはいつか出て行っちゃうのかな、なんつってアンニュイな雰囲気漂わせる自称恋なんか知らない宇宙人の為に、まあ、多少は配慮してやるのが大人の務めだ。
「…………お節介って言葉も好きですよ、ワタシ」
「うるっせーよ元祖お節介野郎。てめーもオレもアイツらに甘すぎっから同罪だ」
「ふふふうふふ。全く持って異論はありませんが茨すぎて可哀そうだなぁとは思いますよー。生きる時間も完全に単位が違いますからねぇ」
「なんとかなんだろ、そんなもん。どうせ人間同士だって死ぬときゃ別だ」
「………………」
「……なんだよ」
「えー……いえ、相変わらずスパッとしていて格好よろしいなーと思ってほれぼれしていただけですよ。うっかりドキッとしてキュンッとしてしまいそうですー」
「おまえそういう微妙な日本語どっから拾ってくんの?」
「ひみつ」
うふふ、と笑うインド人は丹夏が置いて行ったトンカチを握りしめると、長い手を伸ばしてベニヤに釘を打ち付け始めた。
トントン、カンカン、音が響く。いつもは中途反場に気持ち悪く尻切れる音が、檸檬屋敷にびりびりと響く。珍しく不調な宇宙人が食い逃した音が、ただ無駄に響いて消える。
「台風、何事もないといいですよねぇ」
「まあ、屋根は死守したいところだよな」
「トクイチさんは一階のお部屋だからいいじゃないですかぁー屋根が吹っ飛んだらワタシの私室が水浸しになっちゃいますよー」
「そしたら槙枝の部屋に転居しろよ」
「えー。あの部屋監視カメラあるからいやですねー。まあ監視してるのワタシとワタシの会社ですけどねー」
不穏な事をサラッと言いやがるが、こいつも仕事なんだから仕方ないのだろうと思うことにして、そんじゃあオレの部屋でもいいわと適当に言ったら指を叩いたらしいイシャンがウギャっと声を上げていた。だっせ。ぺらぺら喋りながら作業なんざしてるからだ。
げらげら笑う、何事もない日。
いまのところはいたって平和だ。あとは宇宙人がおとなしく、紐でつながれてくれたらそれでいい。
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