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1.初仕事
「ほんとですか! ありがとうございます!」
往来で電話をしながら突然頭を下げた聖を、道行く人が怪訝な目で見る。しまった。電話中に身振り手振りをつけてしまうのは悪い癖だ。腕時計で時間を確認し、聖は慌てて道の端に寄った。
担当編集者からの電話は、原稿に重大な不備が見つかった――という類のものではなく、吉報だった。五作目の文庫化にあたって、帯のコピーを憧れの先輩作家が引き受けてくれたと言うのだ。駄目元で名前を挙げてみた甲斐があった。実現のために奔走してくれたであろう編集者に改めて礼を伝える。
「小林さん、本当にありがとうございます! 俺、これからも頑張ります。あぁ、そうそう。なんてったって、すごいことが……!」
その時、人波の中に今まさに話題に出そうとしていた人物の姿を見つけた。向こうは気付いたようで、片手をあげて挨拶をする。その所作で着物の袂が揺れ、白い腕がちらりと見えた。
「……あっ、すみません。これから人と待ち合わせが。また連絡します!」
慌てて切ったのとほとんど同時。
聖の雇い主となった男――弥永紬が目の前に立った。
灰色の着物に濃紺の薄羽織。先日店で見掛けた時よりも引き締まった印象の装いは、知的な雰囲気の弥永によく似合っていた。
「悪いね、取り込み中だったかな?」
「いえ、大丈夫っす! 今日はよろしくお願いします!」
聖の返事のなにが可笑しかったのか、紬はくすりと笑った。
「うん、よろしくね。高瀬くん」
※ ※ ※
「悪いけど、アルバイトは募集していないんだよね」
それが、聖の無謀な申し出を聞いた弥永の第一声だった。
「いえ! 給料はいらないっつーか、職場見学をさせてほしいっていうか」
「何を言うんだ。そういうわけにはいかないよ。労働への対価が賃金なんだから、支払わないなら搾取になってしまう。それに生憎、うちは見学を受け付けていない」
動揺しているのか、明確に態度を示さなければならないと思ったのか、弥永は接客用の敬語を崩した。見た目は明らかに困惑しているのに、妙に理路整然と反論してくるところがおかしい。
聖は引かず、畳みかけるように言った。
「そうだ! そしたら今日見てもらった着物をいくつか直してもらうっていうのはどうでしょう? 俺詳しく無いんすけど、結構かかるもんなんですよね? その分、働きます!」
「え、えぇ~……」
無茶苦茶を言っているのはわかっている。でも、何故だろう。この男、少し押したらいけそうな気がするのだ。実際今も、こんな意味不明な条件など一蹴すればいいはずなのに迷っている。
「で、でも君、学校はいいのかい?」
「俺、多分店長さんが思っているより年上ですよ。働いてます」
もちろん、ダブルワークOKだから言ってるんですよ? と付け加えるのを忘れない。更にえいっ、ともう一押し。
「少しの間でいいんです、お願いします。すげぇ興味持っちゃったんです」
弥永さんに――という部分は呑み込んだ。
先程まで探偵の如き観察眼と落ち着いた話し方をしていたはずの弥永はというと、うまい断り文句を探そうと必死に目を泳がせている。その口がぱくぱくと動き――しかし諦めたように溜息を吐いた時、聖は勝利を確信した。
「――君のこと、疑うわけじゃないけど、高級品を扱う商売だから」
「身分証をコピーしてもらって大丈夫です!」
「う、いや、そこまでは……あぁ、そうだ、私は正式な労働契約とかよくわからないし……」
「友達に手伝いを頼む感覚でいいっす!」
「――荷物持ちとかになるよ」
「任せてください!」
立ち上がってみせると、「わぁ、いいよ立たなくて!」と弥永は慌てた。
「わかってるよ、君、背が高いもんね。迫力もある」
「迫力?」
「正直、最初に君が来た時はヤンキーが絡んできたのかと思ったよ」
ヤンキーって。そんな率直な表現をする弥永の動揺っぷりに笑ってしまった。
確かに、肩に届くかといった長さの明るい茶髪や、つり上がった鋭い目から、そう思われないこともない。周りからは「ミステリ作家っつーか、お前が犯人だよな」と無礼千万なことを言われたこともあった。うるせぇ。その時は怒って見せたが、弥永に言われると妙に可笑しい。
「あ、あぁ、すみません! お客様に失礼なことを」
「いや、いいっす! 俺、今日からバイトなんで」
「やっぱり本気なんだね……」
とうとう、弥永は根負けした。
「いきなり接客をさせる気はないけど――その笑顔を忘れないでね」
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