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4.幼馴染ってなんなんだよ!?
――あれは夢だったのかよ!?
愕然とした聖は口を開けたまま、弥永呉服店の入り口に立ち尽くしていた。
〝また連絡します〟の〝また〟は思っていたよりもすぐに来て、あの夜から十日後の今日、再び店の戸を叩くことになったのだ。
正直、心が躍った。もう二度と連絡が来ない可能性だって考えていた。残されたメモは優しかったけれど、あれは大人である弥永なりの気遣いであり、本当はとっくに冷静になっていたということも十分に考えられたからだ。だから、悶々とした気持ちを抱えていたところに「来週の水曜日、来てもらえますか?」と連絡が入った時は思わず夢を疑った。
どんな顔をして会えばいいかわからない。緊張と気まずさで吐きそうだったが、同時に天にも昇る心地だった。
聖は同性に対してこんな感情を抱いたことはない。思えば初めて出会った時から弥永には特別なものを感じていたし、弥永だからこそなのだと思う。でも、弥永自身はどうだろう。あの余裕があって慣れた様子。きっと初めてではない。誰にでもあんなことをするのか、それとも、彼にとってもまた、聖は特別な存在なのか。考えるたびに、喉元を締め付けられるように苦しかった。だけど――彼の方から連絡がきたということは、遠ざけられていないということだ。少なくとも拒絶されたわけではないという事実は、弥永のいる店に足を向ける勇気の源になっていた。もう一度会って、弥永の気持ちを確かめたい。
そんな精一杯の想いで顔を出したというのに――
「コイツ、なに?」
目の前にいた男は、不遜な態度で聖を一瞥した。まったくもって意味がわからない。
第一に、初対面――顔を合わせて二秒の男にコイツ呼ばわりをされたこと。第二に、この場所に似つかわしくない、着崩したスーツとぼさぼさ髪の男の存在。第三に、そんな男がよりによって弥永と親し気に雑談していたらしいということ。
呆気に取られたのは一瞬。すぐに自分を取り戻し「はぁ!? あんたこそ――」と勇んで踏み出した足は、弥永の声に止められた。
「ほら、前に言ったろ。お手伝いの子」
「あぁ――んなこと言ってたっけ。このガキがねぇ」
「ガキって! 弥永さんっ、この人なんなんすか!?」
あの晩、調子に乗って呼んでいたファーストネームは引っ込んだ。そもそも今日が、あの日と地続きだとは思えない。弥永はあの晩のことを無かったことにしたように振る舞っているし、知らない男までいるなんて――。
「高瀬くん、紹介するよ。この人は千秋くんといって、俺の幼馴染みたいなもの」
俺。この人は、仕事の時の〝私〟以外では自分のことをそう呼ぶのか。不意打ちのように零れた素の部分が、この幼馴染とかいう男のお陰かと思うと、益々憎らしく感じられた。
聖の不満を知ってか知らずか、弥永は呑気な様子で紹介を続けた。
「千秋くんはこの辺一帯のまとめ役をしていてね。親父さんの頃からうちを贔屓にしてくれているんだ」
まとめ役? 親父さん? やんわりとした説明だが、それってもしかして――地元系ヤクザということではないだろうか。
思わず千秋と呼ばれた男の顔を見る。力の抜けた表情だが、眼孔だけは鋭い。目線は聖と同じくらいだったが、崩している姿勢を正せば身長はそれ以上だろう。気圧されないよう、ぐぬぬ……と力を込めて睨み付けていたら、男は興味を失ったように視線を逸らした。
「んで、俺を呼んだのはこいつと会わせるため?」
「あぁ、うん。実はそうなんだ」
そのやり取りにハッとした。
ヤクザの男とわざわざ引き合わせるために呼んだ、それってつまり、うろちょろと纏わりつき酔った勢いで襲おうとしてきた男を、シメるために……!?
「弥永さんっ……そんな、酷いっす……!」
聖は思わず喚いた。こんな罠にはめるような真似をするなんてあんまりだ。確かに俺が悪かったけど、でも、それでもやり方ってもんが――。
「うちの倉庫にある着物――もうすぐ夏だから浴衣がいいかな、この子に見繕ってやってくれないかな?」
「はぁ、俺がか?」
「商品を運んでもらう時に、ついでに連れってくれないかなぁと思って」
「構わねぇけど、そういうことは先に言え」
「ごめんごめん」
聖そっちのけで進む会話を聞き、流石に事情が呑み込めた。
「見繕うって、弥永さん」
「流石に無給で手伝ってもらうのは申し訳ないだろ? 高瀬くん、和服とか持ってないかなぁと思って。もし、お節介じゃなければだけど」
「えっ、いります! 欲しいです! いいんすか!?」
思いがけないプレゼントに食い付いた聖を見て、弥永は愉快気に笑った。なんでも客先から買い取った中古の着物は、この刀根千秋 の所有する倉庫で保管しており、運搬も刀根が手伝っているらしい。
「今日はちょうど午前中に千秋くんとお客さんのところを訪問してきてね。買い取ったものを預けに行くところだったんだ」
「あ、えっと、高瀬聖です。よろしくお願いします!」
「あぁ、そういえば紬。さっきの爺さんに渡されていたもん、なんだったんだ?」
不意に刀根が話題を変えた。この男は弥永を名前で呼ぶのかとか、挨拶をスルーをされたことだとか、色々言いたいことはあったが――それも、弥永が語り出すまでだった。
どうやら彼は――またしても謎を引き寄せたらしい。
「私は古道具は専門外だと、伝えたんだけどねぇ」
溜息と共に弥永が取り出したもの――それは古めかしい桐箱だった。古いものなのか、手垢に黒ずんで見える。それ以上に目を引いたのは、蓋の四隅に貼られた和紙のようなものだった。
「封、と書いてあるな」
「あぁ。封印されている箱が出てきた――というのが正蔵さんの話なんだ」
今日の依頼人――関根正蔵と妹の峰子が、生家の蔵の処分を始めたのはこの一月ほどのことだった。実家で暮らす正蔵に子どもはおらず、峰子の子や孫たちも家に戻る様子はない。自分たちが元気なうちに片付けを進めようと発起したのだそうだ。
「随分昔に亡くなった二人のご両親の着物の査定に、とのことだったんだけど。丁度前日、蔵を整理していたらこの箱を見つけたらしいんだ」
古ぼけた箱の四隅に、毛筆で『封』の文字。当然こんな箱に覚えはないし、両親が所持していた記憶もない。不気味に思った正蔵は妹には告げず、中身不明の木箱の鑑定を弥永に依頼したらしい。
「それってつまり、呪いの箱を押し付けられたってことじゃないですか!? やっぱり弥永さん、あんたお人好しが過ぎますよ!」
思わず立ち上がった聖に、刀根の冷笑が飛んだ。「お前面白いな」と、初めての御挨拶付きだ。弥永は「まぁまぁ」と聖を座らせる。
「まだ呪いだと決まったわけじゃないさ。それに私は一度ちゃんと断ったよ。中身がわからない箱を預かって、実は貴重品だったとあとから分かった時に面倒になるからね。でも正蔵さんはそれも承知の上で、千秋くんが紹介してくれた人だからと信頼してくれたんだ」
出来る範囲で協力するつもりだよ――と、弥永は四隅の紙を指先で外し、あろうことかおもむろに箱を開けた。
「わぁっ! ちょっと、弥永さん!」
「うるせぇ、静かにしろ」
「うん、これは」
掛けられていた布を開く。現れたのは、皮で出来た立体的な袋のようなものだった。上蓋が半分ほどまで被さっており、脇には紐が付いている。紐の先にもまた、瓢箪型の飾りがついていた。
「趣味人だな。これは中々に上等な、煙草入れだよ」
「煙草入れ?」
「あぁ。江戸時代から使用されていた収納箱さ。ケースの先に飾りが付いているだろう? これを根付といって、帯に挟んでぶらさげるんだ」
実際に挟むことこそしなかったが、そっと手に取った弥永は立ち上がり、自らの帯の前に当てて見せた。なるほど、瓢箪の飾りがつっかえになっているということか。
「布張りの部分に多少の傷みはあるけれど、皮は黴てもいないし良い色をしている。保存状態が良かったんだな」
「爺さんの親父のものか? にしてもなんでこんな仕舞い方を」
「おや」
今度は木箱に注目していた弥永が、何かに気が付いたらしい。掲げるように手にとって、和紙が貼られていた辺りを凝視している。
「貼り直されたような跡がある。今剥がした紙片の下にも、別の紙がつちえるみたいだ」
「それって、どういうことですか?」
「この煙草入れは――二度封印されているらしい」
聖は胸が高鳴った。またしても、この人の観察眼を間近で見ることが出来るのだ。急くように「それで、なにかわかりましたか!?」と尋ねた聖に、弥永は困ったように眉を下げ、肩を竦めた。
「ちっとも。情報が足りないよ」
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