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5.ただの男
この件に関してはもう少し確認が必要だと弥永は一旦話を終えた。そして「私は店があるから」と、初対面同士である聖と刀根を追い出してしまった。
とはいえ、このまま断って帰るわけにもいかない。刀根が店の前に停めていたボロボロのワゴン車に商品を運び込み、指示されるまま助手席に乗り込んだ。車内は煙草の匂いで満ちている。商品につかないのだろうかと考えたが、余計なことを言うのも藪蛇だ。
大きく揺れて、車が動き出す。見知らぬ男と車内に二人きり。ついさっきまでまったく予想していなかった状況だ。思えばこうなったのも弥永が仕組んだから――と気付いた時、先日の一件など忘れたように振る舞っていた弥永の真意が見えた気がした。
「あ、あのっ」
「お前さ」
沈黙を破ったのは同時だった。慌てて刀根に譲ろうとしたが、「んだよ」と促したきり喋ろうとしない。こうなった以上引くに引けない。聖は腹を括った。
「あのっ、刀根さんって本当に弥永さんの幼馴染なんですか!?」
「はぁ? まぁ、幼馴染っつーか、俺が兄貴みたいなもんで」
信号に引っかかる。刀根は唐突に言葉を区切り、聖の顔をじっと見た。
「はーん……そういうこと」
「え、なんですか、そ、そういうことって」
表情に乏しい刀根の口角が微かに上がる。目の奥が好奇心に揺れたことに、気が付いてしまった。
「あんた――紬に惚れたの?」
「惚――っ、な、え……!?」
ここでどもってしまった聖の分が悪い。刀根は畳みかけるように「おかしいと思ったんだよな」と言った。
「あいつも妙によく喋るしよ。あー、あいつも変だったってことは、もしかして寝た?」
「はぁ!? 何言ってんだよ、あんた!」
「怒んなって。あと安心しろ。俺と紬はあんたが思ってるような関係じゃねぇよ」
うっ。何から何まで図星だ。ただここで黙り込むのも違う気がするので「……惚れた、とかまではわかんねぇよ」と本音を零す。
「だって、まだ会ったばかりだし」
それに最初の動機はもっと不純だ。今でも聖は、自分がどういう気持ちで弥永を気に掛けているのかがわからない。店を手伝うと申し出た事情についても、まだ伝えていなかった。
「へぇ、純情だねぇ。見たところ呉服になんて興味なさそうだし、あいつに一目惚れして押し掛けたのかと思ってたけど」
時々あんだよな――と刀根は続ける。正直この男がここまで踏み込んだことを話してくるとは思っていなかったから驚いた。
「目立つタイプでもねぇし、本人も身の丈にあった大人しい生活をしていると思ってる。でも時々妙な奴に好かれたり――さっきの呪いの箱みてぇに、よくわからんことが起きたり。あいつは――」
――なにかを引き寄せちまうみてぇなんだよ。
だから一緒にいると退屈しないのだと刀根は言った。
「そうなんですね……弥永さんって、やっぱすげぇんだな」
今の話を聞く限り、弥永紬はいわば主人公体質だ。やっぱり自分の見る目は間違っていなかった。彼といればこれからも面白いことに出会えるかもしれない――そんな予感に胸が熱くなる。
しかし刀根の反応はあくまでも淡々としていた。
「まぁ、そういうわけだから。ほどほどにしとけよ」
「えっ? それは――」
「あいつだって、等身大のただの男だってことだよ」
その意味を聞き返す前に到着したらしい。「ほら、荷物を降ろせ」と促され、強制的に話は終わる。消化不良だが仕方がなかった。
ただ、どうやら刀根は思っていたよりも食えないヤツではないらしい。思いがけず打ち解けてくれた様子が嬉しくて、聖は刀根を好きになろうと決めた。
並んだプレハブ倉庫の一つを開錠し、段ボールを運び込む。中はラックが並んでおり、商品の種類別に場所を分け段ボールで保管しているらしい。着物を畳むための場所なのか、ところどころに簡易的な畳が敷いてある。その上にまだ分別の済んでいない箱がいくつか置いてあり、そういえば弥永は片付けがあまり得意ではないと言っていたことを思い出した。
「ここの片付けは近々やることなるだろうから、その時は手伝ってやれ」
「今やらなくていいんすか?」
「やらねぇよ。俺もそこまで詳しいわけじゃない。それに今回の頼まれ事は一つっきりだからな」
と、刀根はどこからか持ってきた男性物の浴衣を聖に寄越した。
「とりあえず着てみろ。羽織るだけでいい」
そう言って刀根は、探し出してきた浴衣をぽんぽんと聖の前に積み重ねていった。言われた通り服の上から羽織り、鏡の前で見てみるもいまいちピンとこない。助けを求めるように「刀根さぁん」と呼んでみたら、じっと聖を見たあと「そりゃ駄目だ。ヤカラにしか見えねぇ」と首を振る。うん、確かにこれはガラが悪そうだ。
そんなふうに、しばらく試着は続いた。刀根は案外真剣に選んでくれているらしい。余計な口を挟まず、手にした着物と聖の顔を交互に見比べる真面目な様子が妙におかしくて、心地よかった。
「ん、こんなもんか」
これまでに十枚は顔に当てたし五枚は実際に羽織ってみた。その中でようやく出たお墨付きだ。
聖はドキドキする気持ちで、着姿を確認する。
鏡の中には――洒脱で凛とした着姿の、見たこともない自分がいた。
「うわぁ、すげぇ! 俺じゃないみたい!」
柔らかい生成り色がベースの生地。鶯色で描かれている柄は、役者絵や崩し文字などの歌舞伎演目だった。遠目で見れば不規則な模様が並んでいるようにも見えるそれは、洒落ていて涼しげだ。焦茶色の博多帯が、全体を引き締めてくれている。
「へー! この柄、勧進帳っすね。こんなのもあるんだ」
「なんだよ、お前詳しいんだな。馬鹿なガキなのかと思ってた」
「あーえっと、それはたまたま」
本当の職業を明かしていないので、こういう点を突っ込まれると動揺してしまう。意外と知識は豊富なんだぞ、と言い返せないまま曖昧な返事をしたが、刀根は特に気にしていないようだった。
「着方、覚えとけよ。今は動画とかで練習できんだろ」
「はい、ありがとうございます! これすっげーカッコイイです!」
礼を言うと、刀根は「スマホ貸してみ?」と手を差し出した。あまりに自然な動作だったので渡してしまうと、パシャリとシャッター音が鳴る。
「あっ、ちょ、ちょっと、勝手に撮んなって!」
「紬に送れよ。変な意味じゃなくて、真っ当な報告だと思うぜ?」
今度こそ刀根は、わかりやすく笑った。
しかし気安く写真を送る仲ではない弥永に、突然送り付けて引かれたりしないだろうか。迷っていると、刀根は「二週間後」と唐突に言った。
「商店街の七夕祭りがあんだよ。俺んとこが仕切るんだけどさ」
「え、は、はい、祭り……?」
「早めに店じまいして参加するのがあの辺の慣習だ」
「あの、それって――」
「さ、片付けんぞ」
え――えっ!?
慌てる聖をよそに、刀根はてきぱきと片付けを始めた。
(――待てよ、なんだよこの急展開は!?)
動揺しながらも、聖には選択肢が残されていないことに気が付いた。理由を付けて呼びつけたのも、刀根と引き合わせたのも、浴衣を贈ってくれたのも、すべて弥永のしたことだ。
それってつまり――そういうことじゃないのか?
気まずい、怖い、嫌われていたら。慣れている弥永に、からかわれていただけだったとしたら。そんなことを考え続けていた間に、弥永も似たようなことを考えていたのかもしれない。その彼なりの答えが、この遠回りな誘いだとしたら。
(――……高瀬くん)
あの晩、甘えるように呼んだ声が、まだ耳に残っている。
あぁ――駄目だ。聖は自分の顔が熱くなるのを感じた。
俺はやっぱり――あの人に、あの人自身に惹かれている。どうしようもないくらい。
――刀根さんに選んでもらいました! どうですか? それと、これを着る機会についてなんですけど……
震える手でメッセージを打ち、祈るような気持ちで『送信』を押した。
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