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8.つむいで、ほどいて、 ※

 千秋のおんぼろワゴンに揺られ、店に戻ってきた頃には二十二時を過ぎていた。仕事のあとに、三人で飲みに行ってしまったのが原因だ。もっとも、先日のような失態を紬が見せることは無かったが。 「今日は本当にありがとう。助かったよ」 「いえいえ! これくらい、いくらでも手伝います!」  倉庫の整理がひと段落ついてから、紬は聖を伴って、正蔵のもとを訪れた。正蔵は、紬が連れてきた強面のヤンキーに驚いたようだったが、それ以上に箱のことが気がかりだったらしい。客間に二人を通してから、よかったら挨拶してやってくれ、と仏間に続く襖を開けた。そこには煙草入れの持ち主である父親が供養されていた。 「紬くん、何かわかった?」  仏壇に手を合わせ、出された茶に手をつける前に、紬はなんと答えようかためらった。この話を考えてくれたのは聖だし、そもそも間違っている可能性もある。つい、助けを求めるように隣の聖をそっと窺った。彼はいつもの騒がしさを潜めて、静かに背筋を伸ばしている。その姿が妙に頼もしい。視線が合うと、大丈夫というように柔らかく笑ってくれた。  あぁ、そういえば。仏壇に飾られていた写真。あの中に映っていた彼は、最初に渡された写真と違い、目を細めて笑っていた。子ども想いの父――きっと彼なら、的外れな作り話だとしても許してくれるだろう。 「実は――」  箱を取り出し、机の上に置く。紬は、聖の助言通りの物語を語り始めた。二人の子を持った父親の、不器用で、ユーモアと優しさのある、『封印』の話を。  語り終えたあと、「もちろん、断定できることではありませんが……」と付け加えた。しかし聞き終えた正蔵は、丸くしていた目をぎゅっと細めて、声を上げて笑った。 「はははっ、そりゃあ、きっとそのとおりですわ」 「え?」 「親父は静かな人でしたし。そんなおもしろおかしいことしないだろって、最初は思って聞いてたんですけどねぇ。でも、思い出しました」 「思い出す?」 「まだ私が小さいころかなぁ。夜中起きたら台所から妙な音が聞こえてね。どうしても気になって覗いたら、親父が、鼻歌歌いながら握り飯食ってて。私は幼いながらも、こりゃ絶対見ちゃいけないもん見たって思ってたら、見つかって。でも親父の方が、焦ったような顔をして、内緒なって笑ったんです。そういうところがある人でしたわ」  遠くを見つめる正蔵の視線の先に、茶目っ気のある笑みを浮かべた父親が見えた気がした。 「人の面っていうのは、色々ですわ。見る人や場面によって違う。自分でも掴めないしわからない。でも、きっとぜんぶがその人なんでしょうな」  その言葉に、どちらともなく紬と聖は視線を合わせる。  好きになれなかった自分のことを、憧れの眼差しで見つめてくれていた聖。この子が知る紬自身もまた、本当にあるものなのかもしれない。そしてきっと、紬が見ている聖とは違う顔も、彼は持っているのだろう。ふいに、初めて飲みに行った時に彼がぽつりと零した孤独の片鱗を思い出した。もしかしたら紬もまた、そんな彼の孤独に寄り添いたいと思っていたのかもしれない。  父親の知らない一面を気づかせてくれてありがとう、と正蔵は話を締めくくった。 「……あ、あの。実は今日、彼を、高瀬くんを連れてきたのには理由があるんです。この話は、高瀬くんが気づいてくれたことでした」  聖は驚いたように紬の顔を見た。言わなくていいのにと表情が語っている。でも、やっぱり黙ってはいられない。 「うちの、新しく入った子なんです」 「そうでしたか。弥永呉服店も、こんな素敵な人が入って安泰ですな。高瀬くん、ありがとう」 「あ、いえ……!」 「紬くんも。色んな人に知恵を求めてくれたんだね。ありがとう」  正蔵は、聖と紬、二人を見据えて言った。 「あなたたちにお願いできて、よかったよ」  家を辞するとき、正蔵は、「煙草入れは親父の仏壇に供えますわ、もちろん、煙草と一緒に」と笑っていた。彼は亡くなった当時の父親の年齢を超えていたが、今こうして思い出せたことが嬉しいという。妹も喜ぶだろうと。 (――君は、やっぱりすごいね)  聖は今、店に置きっぱなしにしていた鞄を肩にかけ、帰り支度をしていた。その姿を眺めていると、また視線が合う。見ていたことを知られるのが恥ずかしくて視線を逸らそうとしたけれど、それよりも先に聖はにかっと歯を見せて笑った。 「言われちゃいましたね、俺ら、いいコンビって」 「そんなこと言ってたかな。私たちにお願いできてよかったと言っていただけだと思うけど」 「それはそういう意味でしょう! 相性バッチリって」  聖らしい楽観的な意見に思わず笑ってしまう。聖はにこにこしながら、「じゃあまた連絡します」と扉に手を掛けた。 「……いいコンビって、君はコンビでいいのかな」 「え?」 「――もう、帰るの?」  ただ頷いて、見送るだけのつもりだったのに。口から出てきたのは思いがけない言葉だった。聖は驚いたように立ち尽くしている。紬は、自分がとんでもないことを口走った気がして、途端に顔が熱くなった。 「あ――えぇと、違うんだ。その、お礼をしたくて」  そうは言っても、外で酒は飲んできてしまっている。今更もう一度外に繰り出してもいいが――紬の中で無意識に想定していたのは、別のことだった。 「……それって、そういうつもりで言ってます?」 「あぁ、どうだろうね――」  また、曖昧に笑って誤魔化そうとした。だけど聖は、それを許さない。手首を掴まれ、熱い目に捕らわれた時、降参してしまった。 「俺、本気にしますよ? いいんですか?」 「……高瀬くん」 「二階、行きましょう?」  二階に上がるなり、抱き締められてキスをされた。あの日――まどろみの中で交わした熱を思い出すような口付けだった。自分はここで彼と気持ちの良いことをして、これからもするのだ――そんな予感じみたものが、紬の体を震わせた。 「――っ、あ、待っ……ん、ぅう――!」 「ごめん、俺、ずっとこうしたくて……!」  だから待てません、と噛み付くように貪られた。粘膜の中に押し入れられ、絡め取られていく。情熱的で、求められていることがわかるキスだった。腰を抱かれ、逃れられないまま上半身の力が抜けて行く。じゅ、と舌を啜る湿った音。乱れた呼吸音。淫らな音で、部屋は満たされていった。 「は――っ、あ、ぅ――高、瀬くん……! 待てって……!」  明るい部屋で、とろけてゆく顔を見られるのが耐えられない。なんとか顔を引き離し、隠れるように胸元に顔を埋め、紬は言った。 「――ここじゃ嫌だよ。寝室に行こう」  誰かを寝室に入れるのは初めてだった。ベッドと机、壁を覆う本棚があるだけの部屋。 「紬さん、俺の本持ってくれてますよね」 「えっ、なんで……!? あ、まさか君入ったね!?」 「入ってませんよ、覗いただけです!」  偶然所持していた彼の著作が目に入るのは何とも居心地が悪く、重ねた本の奥に押し込んだはずだった。本棚にちらりと視線をやった聖は「あれっ、しまっちゃったんですか?」なんてあっけらかんと言う。 「……もういいだろ、ちゃんと読み返すからさ。それより」  今はこっちに集中して――と聖をベッドに引き倒す。求められたとはいえ、自分より随分若い子を引き摺り込むのは悪いことをしている気分になった。しかしベッドに横たわった当の本人は「やば、積極的な紬さん、すげぇいい」なんて憎らしい口を叩く。 「こないだの時も思ったんすけど……もしかして、慣れてます?」 「っ、野暮なことを聞くな。ただ、まぁ――」  同性とこういうことをするのは、初めてではない。交際経験もあった。でもそれは、片手で数えられる程度だ。今思えば、自分に自信がないから、相手のことを愛することも出来なかったのだと思う。  それを伝えたら、聖はあからさまに動揺したような顔をした。きっと彼は、同性との経験自体が初めてなのだろう。きっと紬にもそうであってほしかったと思っている――というのは自惚れだろうか。 「――初めてだよ」 「えっ」 「この部屋の中まで招くのは、君が初めてだ。私もその、慣れているわけではないから」  今だって、慣れというよりも、自分がリードしてやりたいというのが本当のところだ。服を押し上げる熱をなぞってやると、聖は震えたように吐息を漏らした。 「へっ、ぁ、あの……」 「もうこの話は終わり。違うところで、お互いのことを知ろうよ」 「は、はい……っ」 「脱いで。もし、こういうことされるのが嫌じゃなければ」 「……嫌じゃないですっ」  慌てたようにシャツを脱ぎ捨て、ベルトに手を掛ける聖の顔は真っ赤で、こちらまでくらっと来てしまう。普段は鋭く見える猫目も、今は熱にとろけていて、年相応の幼さと必死さが見えた。なんというか、これはまずい。あまりにも、可愛い。 (でも――こっちは可愛くないんだな……!)  硬くなった性器は腹に届くほど反り返っていた。立派過ぎて怖ろしくもあるが、男の自分に興奮してくれていることがわかり嬉しい。  ぷくりと浮かんだ先走りを指で掬い、亀頭をなぞる。それだけで吐息が震える聖の、もっと乱れる様が見たい。紬は小さな口を開け、熱い粘膜の中にそれを迎え入れた。 「ん―……っ!」  緊張を解すように、たくましい太腿や腰を摩ってやると、聖は一層呼吸を乱した。もっと彼を悦ばせたい。紬が喉を開くように奥で咥え込むと、たまらないといったふうに聖の腰がびくびく震えた。 「は、ぁ……それ、やばいっす……!」  口の中を埋めるものの質量が増す。顔を上下するように扱きながら舌を使って可愛がってやったら、聖は小さく声を上げてイッた。喉を焼く熱い粘液を呑み下し、顔を離したら――なんだか途端に恥ずかしくなった。 「あ――あの、大丈夫? ごめん、こんな、突然……」  リードするにしても、やりすぎただろうか。引かれてやしないか心配になり、眉を八の字に下げ余韻で呆然としている聖の顔を恐る恐る覗き込む。と、彼はガバッと身を起こし、紬の体を抱き締めた。 「わ、あっ、あの……!」 「すげぇ、良かったっす」 「そ、そう……? それはよかった」 「紬さん、俺、ちゃんと大事にしますから」  熱い体は汗で濡れていた。その声にも、熱が帯びる。情欲で濡れただけではない、真剣な想いだった。 「俺と――恋人同士になってください」 「……うん」  答えは決まっていた。というよりも、数時間前に好きだと言われた時から、そういう関係になったのだと思い込んでいた。先走っていたようで自分が恥ずかしい。それと同時に、真摯に思いを伝えてくれた聖のことが愛おしくて、たまらない。 「ご存知の通り面倒な男だけれど――それでも良ければ」  聖は返事の代わりに、愛するようなキスをした。 「今度は俺にさせてください」と紬を押し倒した聖は、体に触れるうちに再び性器を硬くさせていた。熱量のあるものが、腹に擦り付けられる。これから挿入されることへの緊張と、深く繋がりを持つことへの戸惑いに思わず息が詰まる。そんな紬の緊張を和らげるように、体中を聖の指が、唇が、舌が這う。腕が体に絡んだままの、包み込むような愛撫だった。  その指先が秘部に触れるか触れまいか迷う。だから紬は、ぽそりと耳元で囁いた。 「……あの、ベッドの下に、ローションあるから。それ使って」  聖はそれだけで赤面した。紬の、日常の中の性を垣間見たことが恥ずかしいらしい。それは紬も同じ気持ちだった。 「痛かったら言ってください」  ローションを垂らした指でそっと触れられると、その冷たさに思わず目を閉じた。くちゅ、と音がして彼の指が入ってくる。違和感はあるが、痛みはない。体が強張りそうになるたびに、深く息を吐いて力を抜くように努めた。 「動かして大丈夫ですか?」 「……うん」  聖の愛撫はやはり、優しくて丁寧だった。普段の勢いのある様子とは違っていて、そのギャップにやられてしまう。でも、よく考えれば、こんな偏屈でつまらない男に寄り添い、言葉を尽くしてくれた聖は初めから、丁寧な人だったかもしれない。 「――あ、っ……ん」  時間をかけて溶かされてゆき、違和感が心地よさに変わる。やがて三本の指が出入りできるようになる頃、紬の体は疼きのようなものを拾い始めた。 「良くなってきました?」  その声に、なんとか頷いた。湧き上がるような熱と共に、この男に抱かれることを何よりも望んでしまう。「早く」と煽るのは大人げないとも思ったが、情けないところも見せた彼の前では今更だった。 「――入れますね」  濡れた性器が、穴に押し当てられる。思わず噛みしめた唇を解くように舐められて「あ」と声を漏らす。同時に、熱いものが入ってきた。 「う、ぁ……ッ」  腹を満たす質量に、悲鳴が漏れる。内壁を擦りながら抉じ開けられる感覚に眩暈がした。その圧倒的な熱に、混乱が湧き上がる。縋るように聖の腕をぎゅ、と掴んだ。ぐちゅ、ぬぷ、と結合部は音を立て、奥への侵入を許していく。余裕などなく、みっともない悲鳴で喉が引き攣るのを堪えることすらできない。 「あ、ッ――ん、っ……!」 「息、吐けます? あと少しです」  広げた脚に手を掛けられ、さらに奥に押し込まれる。体の深いところで、聖のことを受け入れていく。 「全部入りましたよ」  そう言われた時、紬はもう息も絶え絶えだった。片腕で顔を覆い、もう片方の手でシーツを握りしめる。薄目を開けると、聖は濡れた目で紬を見下ろしていた。 「……この光景、やばすぎますね」 「何言って……、ぁあ……!」  ふいに腰を抱えられて、奥に刺さったままのそれをぐりぐりと動かされる。強く突かれているわけではないが、内壁を撫で、探るようなその感触に骨を溶かすような疼きが全身を走った。 「ぁ、や、やだ、それ……ッ!」 「勃ってますね。きもちい?」  緩慢な動きは、焦らされるようでもどかしい。焦らしているというよりは、彼なりの気遣いなのだということがわかる。だけど、我慢ならないのは紬も同じだった。もっと。もっと激しく抱かれたい。自分を暴いていくこの男に、もっと滅茶苦茶にされたい。 「もっと、ほしい――きてっ……!」  煽る声は、聖の理性を容易く取り払った。腰を抱えるように持たれ、挿送が始まる。ぐちゅぐちゅと結合部が鳴り、卑猥な音と匂いでいっぱいになった。 「あっ、ぅあ、ああ……!」 「ん――ぁ、きもちい……っ!」  快感を言葉にする聖の素直さに一層興奮する。締め付けるように後ろがきゅうと縮んだ。あ、と聖が呻く。腕を引くと、覆い被さるように抱き締められた。さらに繋がりが深くなる。 「あ、やっ、ぁあ――!」  喉を噛まれ、耳に歯を立てられる。食べられる、と思った。じゅるり、と舌が耳朶を這う。貪られ、溺れてゆく。 「俺、もうイっちゃう――」  快感に溺れながら、聖は泣くように言った。 「俺も……!」  熱い精が体の中に放たれる瞬間、抱き締めた腕に力を込める。そのまま自分も、深い陶酔感の中で射精した。  この男と出会えてよかった。  包まれた体温の中で、紬は心からそう思った。 「そういえばさ――いつの間にか名前で呼んでるよね」  ベッドの上で後ろから抱かれたまま、自分より幾分大きな掌を握っていた。暖かいまどろみは心地よく、このままでいたいと思っているのは二人とも同じだった。 「俺のことも名前で呼んでくれていいっすよ」  聖はへへっ、と悪戯がばれた子どものように笑った。 「……私は、自分の名前が好きじゃなかったんだ」  〝紬〟は一般的には〝つむぎ〟と読み、着物の種類の名前だ。母がそう名付けたのだと聞いている。 「背負わされているみたいな名前だし、読みはつむぐだろ? 糸を紡ぐとか言葉を紡ぐとか――何かを生み出すようなニュアンスは、私の性質とは反対だと思っていてね」 「あはは、また悩んでる」 「むっ――君、面白がり始めたね?」  背後に首を向けると、やっぱり聖は歯を見せて笑っていた。 「きよし、って顔じゃないくせに」 「それ、すげぇ言われる~」  その顔を見ていると、確かに、小さなことで悩んでいるのが馬鹿馬鹿しく感じられた。  縺れていた心が、ゆっくりと解けていく。それが心地良かった。もしかしたら自分だけではなく、この子にとってもこの関係は、悩みや孤独を解いてゆくようなものなのかもしれないと、そう思えるから。 「そういえば高瀬くん、明日なんだけど」 「あっ! 今のは完全に名前を呼ぶ流れだったのに!」 「え? あぁ、うん――それはまた追い追い」  二人顔を見合わせて噴き出した。どうやら孤独を癒すだけではなく、楽しいと思える時間も作っていけるらしい。  こうして、二人で紡いでいく日々が始まった。

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