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それぞれの聖夜 #15
それから毎年、クリスマスになると一星は父子の姿を見つけるようになった。
自分との差をまざまざと示されるようで見るたび胸が苦しくなるのに、彼らから目を離せない。
変化は数年後だった。その年、父子が姿を表すことがなかった。きっと一星が来ない間に訪れたのだろう。そう思ったが、彼らを見ないまま越した一年は何か物足りなかった。
次のクリスマス、彼らは来ない。引っ越した可能性が脳裏を過ぎり、知り合いでもないのに何故だか置いて行かれたように感じてしまった。
その次のクリスマスになると、今度は一星の環境に変化が訪れる。
一星は養護施設に身を移すことになった。
周囲の住民が虐待を通報した訳でも、児童相談所の人間が現状を暴いた訳でもなく、ただ両親が刑務所に入ったためだった。
二人は行きつけのパチンコで他の客と口論になり、我を忘れて相手を殴り殺したそうだ。婦警からそれとなく事の顛末を聞いても、ああそうとしか思わなかった。
拍子抜けするほどあっさり両親から解放されたものの、この時すでに過度のストレスで薬物中毒に陥っていた姉は入院する運びとなった。
姉を無理にでも連れ出して一緒にクリスマスツリーを見上げていれば、もしかしたら薬に走らず済んだのだろうかとも考えたが、今さら考えても詮のないことだ。毎日生き延びることで必死だったとはいえ、姉が薬物中毒であることすら気づかなかった自分が言えたことではない。
養護施設に身を置き、だいぶ息がしやすくなっていた。友人を作れるほど他人を信用するようになった訳ではないが、少なくとも殴られることはない。飯の心配をしなくて良くなっただけでも気持ちの楽さが違った。
施設のクリスマス会には出ず、門限を破ってデパートに出掛けることについて養護施設の人間は良い顔はしなかったが、それでもクリスマスだけは見逃されていた。今思えば誰か大人がこっそり後をついてたのかもしれない。
そうして日々を過ごし、中学校に上がった年のクリスマスで一星は再びユキの姿を見つけた。
一人ぽつんとツリーを見上げる姿に、心臓が爆発するかと思った。見たい内に背が伸びたからだろうか。少し雰囲気が違うが、確かにユキだった。父親の姿はない。
どくどくと逸る鼓動を抑え、ふと話しかけてみようかと思った。もうこんなチャンスは巡ってこないかもしれない。ゆっくり近づき、声をかけようとして――彼の頬を伝う涙が見えた。
養護施設に寄付されたスニーカーが止まる。
声をかけて、自分は何を言うつもりだったのか。悲しんでいる彼に、どんな慰めが口に出来るというのか。靴の一つも、本当の意味で持っていない自分が。
そのままユキの背中を通り過ぎながら、一星は彼への想いを自覚した。憧れが恋に変わった瞬間だった。
だが、それは触れれば壊れるのが分かりきった恋だった。
一瞬盗み見たコートの袖から覗くユキの手は、凍りついたように白い。けれど今の一星にはその手に触れる資格などなかった。
それからユキを見かけることはあったが、一人でツリーを見上げるのはそれきりのようだった。ユキは毎年のように年上の男とツリーを見上げる。相手は年ごとにコロコロ変わった。
彼への恋を自覚しただけに接し方や雰囲気で相手との仲がどういうものか察してしまう。ならば自分でもいいんじゃないかと声をかけそうになり、そして自分の状況を思い返しては、何度も苦い思いをしていた。早く自立したい思いに駆られるが、どう足掻こうとも年の差が縮むことはないし、午後六時迄の門限で貯蓄のスピードが早まる訳でもない。
ユキが好みそうな年上の余裕など、ただの一つも持ち合わせていなかった。物理的にも精神的にも。
一星が高校生になり、養護施設を出てようやく自立が見え始めた頃。
一星はデパートの宝石店に勤め始めた。顔が良かったからか、それとも静かな物腰が良かったのか、一星は採用された。
一階の宝石売り場に隣接する大きな窓ガラスからは中庭がよく見える。この不毛な恋を抜きにしても、この場が自分の憧れであることに変わりはない。
そしてまたクリスマスがやってきた。夕方上がりのシフトから抜け、従業員用の出入口から玄関口に回り込んで中庭へ向かう。
遠くから流れる聖歌隊のクリスマスキャロルを聴きながら、下からツリーを見上げた。
最近は生活が安定してきた。もう明日の飯を憂う事はないし、専門施設にいる姉の中毒症状も快方に向かっている。接客業を通じて人との距離について考え直すことも度々あった。今の自分は昔とは違う。
次に見かけることがあれば、何があろうと彼に話しかけることを決めていた。そしてもし彼が自分を拒絶するなら、もうこの恋はここで終わりにしようと。
その時、宝石売り場の方角から一人の男が走ってきた。焦った表情で急いでいる彼は間違えようもないほど見知った顔で――腕を掴んだ。
「というのが十年以上費やした俺のストーカー歴だ」
「俺の感動を返してくれない?」
本怖なの?
オチのつけ方に色々と苦言を呈したいが、盛大な溜息に留める。
「俺より美人美男なんて、いくらでもいるぞ。一星くらい顔よけりゃ選りどり見どりだぞ」
「知ってる。自慢じゃないが結構モテる」
「今まで誰かと付き合ったりとか」
「してない。クリスマスになれば確実に破綻するのが目に見えてるからな」
「あ、ああ~……」
「だから自分に価値がないなんて思わないで欲しい」
圧し掛かった体重が軽くなった。けれど至近距離で覗き込んでくる鋭い瞳に、体重以上の圧を受ける。
「こうして一緒に過ごして、ユキの中身も知って、更に嵌り込んでしまった。一階にある宝石売り場のジュエリー全部積まれたって俺にはユキ以上の価値はない」
「喩えが職業的」
「俺にとってユキは価値なんてもんじゃなく、こうして一緒にいてくれる事自体が奇跡みたいなものなんだ。だから粗末にしないで欲しい。それがユキ自身でも」
「……分かったよ」
クールぶってるが若干涙目になっているあたり、本当にこいつは俺のことが好きなんだなあと実感した。
まさかそんな事情があったとは露ほども予想していなかったが。
「俺を好きになってくれてありがとう、一星」
自然と込み上げてきた笑顔でそう言うと、遂に感極まったらしい一星はぎゅっと雪雄にしがみつくようにして抱き着いた。しばらくして小さな嗚咽が聞こえてくる。
その余裕のなさがどんどん可愛く見えてきて、年が近いってのも良いもんだなとしみじみ思いながら胸元の黒髪を撫でた。
今の一星は、黒い狼というより黒っぽい大型犬に見えた。
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