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君との差

 午後は驚くほど穏やかだった。  春人の指示で近くには誰かしらの護衛がついて少し気になりはしたが、屋内にいれば厳しい目もなかった。  更に言えば、タキを中心に近くに置いてくれるので気持ちはいささか楽だ。  組の人間たちは忙しそうに出入りして、伊織を見つけると思い思いに挨拶をする。片手を上げてフランクに話しかけられたり、頭を軽く下げるように黙礼していったりと態度は様々だが、何かと気にかけてくれていた。  それはきっと、彼らの長を助けたことが大きい。  それと春人の対応もあるのだろう。  仕事の合間の息抜きになればと、会話をしてくれる組員たちに話題を探したりもしたが、話しかけてくれる者は自ら話題を持ち込んで、あれやこれやと広げていくので困ることはなかった。昼の席でも感じてはいたが、話をするのが好きな人が多いようにも感じる。  一人の時間ができれば、付き添ってくれる組員に屋敷の中の案内をお願いした。  二階建ての大きな日本風の外観ではあるが、中は和洋折衷している。畳もあればフローリングの部屋も存在していて、台所は日本が色濃く残っているが、風呂場はシックな色合いのそこそこの広さを持つ最新モデルだ。  なんでも、仕事始めや終わりに入るのだから良い物に変えたいと話題に上ったことが理由らしい。  その案内では伊織が入れないような部屋もありはしたが、概ね立ち入りは許された。  自由に使って構わないと春人からもお許しが出ているので、庭の散歩をして大きな木を見上げてみたり、夏の名残を感じさせる太陽の光を浴びたり。若手が使っている二階の部屋で本を読んで、DVDのラインナップを眺めてはタキと盛り上がった。  夕方近くになったところで、街へ出ていた春人が組員たちと一緒に戻ってきた。  伊織を見つけると、口元に笑みを浮かべて近づいてくる。 「おかえりなさい」 「出迎えありがとう。これから時間を貰えるかな」  性急な問いかけに伊織は小首を傾げたが、予定などないのでとりあえず頷いた。  それを確認すると、今戻ってきたばかりの若手組員たちになにやら指示を飛ばし、伊織には出かける準備をしてもらうよう言う。  準備とは言っても手持ちのものなどないに等しいので、二階に置いたままだった携帯を手に下へと戻る。長く付き添ってくれたタキに礼を述べて、春人の車に乗り込み組を後にした。  慌ただしく出てきてしまって柊一郎にも何も伝えられなかった思い出し、次回謝ろうと頭の隅にメモを残す。 「これからどこへ行くんですか?」  後部座席から少し身を乗り出し、運転席の春人へと尋ねる。 「まずは俺の家へ行って、見てもらいたいものがあるんだ。それが終わり次第、もしよければ一緒に夕飯でもどうかなと思ってね」 「えっ! 嬉しいです!」 「そこまではりきって喜んでくれると、こちらも誘ったかいがあるね」  笑いを含ませて答える春人に、伊織は恥ずかしくなって前のめりになっていた体をシートに深く沈めた。  つい最近まで苦しい思いをしていたのだから、なんてことない物事が普段より嬉しく感じるのだ。生きるか死ぬかの世界で生きているような彼らにとっては、おかしい話なのかもしれないが……。  両手でハンドルを握り、ゆったりと運転する春人の姿を後ろから見る。しわのないスーツを見て、ふと不安を感じた。  朝食を作ってもらったことを考えると、きっと料理は日常的にしている人なのだろう。彼が作るというのなら手伝いはできるだろう。  だがもし、外食となったらどうだろう。  彼の見た目、部屋の様子や職業的に考えて、そこらの大衆食堂に行くようなことは絶対にないだろう。ましてや、居酒屋などもってのほかではないだろうか。どちらかと言えば、人知れず建つようなレストランやバーの方が余程似合っている。  その点、伊織はどうかというと、よくお世話になったラインナップは昼は学食やコンビニ。夜は自分で作るのが面倒なら近くのファミレスへ行ったり、ファストフードや出前、友人と時間が合えば安価な飲み屋に繰り出していた。  今さら、ナイフとフォークはどう使うのかだの、お酒の飲み方だの、食べ方のマナーだのなんて言われても何も満足にできることはない。  どうしたものか……と真剣な顔で悩んでいた伊織に春人が「着いたよ」と声をかけ、自分は素早く運転席を出て、伊織の座る後部座席のドアを開けてくれる。  心ここにあらずというように返事をして隣に並ぶと、春人は不思議そうな顔をした。  一階部分の駐車場から屋内に続く階段を上りドアを開け、春人にエスコートされるままに部屋に上がって、部屋の中心であるリビングから、朝寝ていた春人の部屋と対角に近い部屋へと通された。 「すごい!」  思わず声が出た。  部屋の奥にクイーンサイズはあるのではというシックなベッドが置かれ、それに合わせたようなダークウッド調のスタンドライト、その近くの壁には一人で食事ができそうなくらいの小さなテーブルとイームズチェアがある。部屋の中央付近には、サークル型のふわふわとしたグレーのラグの上にゆったりとしたラウンドチェアがのっていた。手前側はウォークインクローゼットへと続く扉が。  一歩部屋に入り、感嘆のため息をもらす。 「君の部屋として使ってもらおうと思ってね。若手たちに頑張ってもらったんだ」 「えっ、一日もなかったのに……」 「今日はベッドだけ運んで来たんだ。他は以前に買ったものを……ライトだけは俺のおさがりで悪いけど」 「悪い事なんて! こんなキレイな部屋……なんてお礼を言ったらいいのか……」 「俺がやりたくてやったんだ。気にすることはないよ」  時間のある時に伊織の部屋へ行って、入り用の物をこちらへ持ち込むことを約束し、春人は腕を組んでドア枠に体を預ける。 「この部屋は気に入ってもらえたかな」  一も二もなく、伊織は頷いた。 「他の答えはありません」 「安心したよ」  笑いを含む声は伊織の前でしか聞けない。いつになく優しい声と表情になるので伊織も安心する。  ダークブルーの大きなクッションが置かれているラタン製のラウンドチェアにそっと手を伸ばし、座ってもいいかと春人に尋ねる。「君の部屋のものだよ」と可笑しそうに答えられた。  そうでもあるが、そうではない。  伊織はそっと腰かけてみた。  体を包むクッションは厚く柔らかく、すっぽりと包まれる感覚は驚くほど居心地がよかった。  ここでも眠れてしまうのではと思うほどだ。  寝落ちしても大丈夫だなとぼんやり考えていた時、腕時計で時間を確認していた春人が声をかける。 「夕飯は外食でも構わないかな。いい時間だから、出た方が早い」 「そと」  考えていたことが現実になってしまった。あんな想像はするものじゃなかったと後悔した。  単語を呟いたきりフリーズしてしまった伊織を不審に思った春人は、眉を顰めて近づき、しゃがみこんで顔を同じ高さまで寄せてどうかしたのかと問う。  ぐるぐると解決に至らない頭で考える。恥を自分がかくより、何より同伴してくれる春人に恥をかかせるより、今自分から宣言しておいた方がいいに違いない。  うんと頷き、ラウンドチェアの端をしっかり掴んで春人を見た。 「俺、ちゃんとしたレストランとか行ったことないんです。だから、きっと春人さん俺と一緒に外食なんかしたら恥ずかしいと思うんです! 大人っぽい店とかも行ったことないし、チェーンの居酒屋ぐらいしか行ったことなくて、ナイフとフォークだってどう持つかわからないし、パスタだって箸で食べたいし……」  何をどう言ったものかと焦るあまり、上手く喋れない。  必要のない個人情報までもをべらべらとまくしたてそうになった伊織の肩を春人の大きな手が叩く。  ハッとしてずれていた視点を合わせると、柔らかな目元とぶつかる。笑っている時の目だ。 「君の頭の中の俺はどんな奴か、よくわかった」  伊織の、目にかかりそうな前髪を指で払い、サイドへと流す。 「今度は、現実の俺を見てもらおうか」  少しばかり冷たい指先が首筋に触れる。  ドキリと心臓が跳ねるのがわかった。  優しくも支配的な口調に嫌な雰囲気はなく、それどころか煽情的な空気が醸し出されたように感じられた。  目を逸らすことができず、しばらく見つめ合っていたかのような錯覚を覚えるほど。するりと首から離れていく手に従うように、伊織の体もつられるように傾いた。 「着替えてくるから、少し待っててもらえるかな。リビングでくつろいでいて」  軽い動作で立ち上がり、すぐに部屋を出ていく春人。その後ろ姿を見送りながら、荒れる自分の心臓へ手を当てた。同性に対して抱いたことのない感情を持ち始めてしまっているのではないかと、薄々感じてはいた。その驚きもあるのだろうが、わかってはいるけれど上手く呑み込めないでいる。  それ以前に、非日常的な時間を共に過ごし、優しくされていることが、その気持ちを助長しているのではないかとも考えられる。一時の気の迷いというやつだ。  だがしかし、いつかのタイミングで決定的になってしまうことがあれば……。  ぽっぽと火照るようにあたたくなる首筋に自分の手を当てる。  先程の感触とは全然違う。指の感じも、熱も、触れ方も。  何をしているんだと呆れて手を離す。  春人の触れてくれた跡は、完全に消えてなくなってしまった。

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