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大事にするもの

入り組んだ狭い路地を行き、いくつか角を曲がったところで少し道幅が広くなる。その道に沿うように、両手に店が立ち並ぶ。どの店も店内は明るく、まばらではあるが人の姿も見ることが出来た。 春人の家から徒歩圏内。エスコートされるがまま、伊織は緊張の面持ちでついて歩いていた。 木造の建物が多いように見えたが、板をわざわざ貼り付けてそう見せてる張りぼてなんだと春人がこっそり教えてくれる。歳を重ねてきましたというように控える店が、なんだかかわいらしく思えてきた。 その中の一件の前で春人の足が止まった。 この店のようだ。 日本風の造りをした、そこそこに大きい店だ。ちらりと春人を窺うが、彼は何も迷うことなく引き戸を開けた。 ぶわっと熱気が雪崩込む。 「おや、いらっしゃい!」 景気の良い声は店内のカウンターからだった。 黒いTシャツを来た男性店主が、焼き鳥を焼きながら焼き台の前で人のいい笑みを浮かべ片手を上げる。店の中も大声で騒ぐような人はいないが賑やかさはあり、スーツ姿で集まるテーブルや、カウンターに一人二人で座る人、奥の座敷には男女グループの姿もあった。 あまりにも馴染みのある光景に伊織は驚いた。 よく利用するチェーン店とは違う佇まいではあるが、それでもここまでフレンドリーに出迎えてくれる場所へ連れてきてもらえるとは思っていなかった。 外観は渋みのある店が点々としていたので少し体が強ばったが、呆気にとられてそんなことはすぐに忘れてしまう。 春人の服もスーツとは一転、シャツにジーパンという普段着だったこともあり、高級店からは逃れたと思っていたが……。 店内奥側のカウンター席に二人並んで座り、数の多いお通しが出る。さすがに学生が通うようなものとは違う。メニューを見てもそれはわかった。 鳥料理の品数が豊富で、お酒の種類も迷う程度にある。他にも、壁に等間隔にメニューが書かれた木の板が掛かっていて目移りしてしまう。 「それで、どうかな?」 あちこちに視線を送っていた伊織に、春人がシャツの腕を軽く捲りながら訊ねる。 「……どう?」 「俺に対しての意識は変わった?」 口の端を上げて笑う春人にハッとして眉を下げた。 「職業的にも、高そうな料亭とかレストランのほうが好きなのかと思ったんです……」 映画や漫画の見すぎなのかもしれないが、お金に余裕がある人たちの過ごし方というものを一辺倒に考えているようだ。一般市民が易々とは行けないような値段の場所へ行ったり、食べたりしているのだろうと思っていたが、どうも彼はそうではないらしい。 まさか伊織の気持ちを慮ってのことかと勘ぐりもしたが、先程の挨拶のくだりを見るにそうとも思えない。よく利用している店ということだ。 春人の身なりや部屋の雰囲気から、静かな個室でゆったりとワインを飲みながら少量の料理が乗る皿を給仕が入れ代わり立ち代わり持ってくるのを想像した。そちらの方が違和感がない。 鶏を焼く煙の中カウンターに座って、さざめく声が聞こえるのを背景に座っているのが似合わないのも珍しいが。 様子を窺うような伊織の視線に当てられながら、春人はくすぐったそうに眉を顰めて笑う。 「まぁ確かに、そういう所が好きな奴もいるね」 「春人さんは違うんですか?」 「そうだね……俺はこういう店の方が好きかな」 眩しいものを見るように伊織を見つめる。 感情の起伏が乏しいように感じていたが、その瞳の雄弁さがとても際立っていた。 照れを悟られないよう、メニュー表を二人の間へ置いて水の入ったグラスを片手で弄んだり、お手拭きをたたみ直したりしながら、何が美味しいのかオススメを訊く。 写真と春人の説明を頼りに、いくつか料理を注文するのと一緒にウーロンハイと日本酒のぬる燗を頼む。 お酒に弱くはないが、伊織は好んで強いものを飲まない。ビールも美味しいとは思えない質で、シャンディガフなら喜んで注文する。要するに甘くて飲みやすいものが好きなのだ。 それならと、お試し用に猪口を二つもらい、春人の日本酒を分けられるようにしてもらった。 お通しの美味しさに驚き、どれが好きだの美味しいだの話していると、目の前にグラスと日本酒用の徳利と猪口が降りてきた。 カウンターへ置かれた徳利からは、ウーロンハイの香りをかき消すくらいに甘いアルコールの香りが飛ぶ。久しぶりの強いお酒の匂いに、思わず鼻を押さえてしまう。 春人の笑う声がした。 「あてられないようにね」 「ちょっとビックリしただけなので、大丈夫です。あたためると、こんなにいい香りがするんだ……」 「種類にもよるけれどね。酒に弱いわけでもないのに幅が広がらないのは寂しいだろうし、よければ飲んでみるといいよ」 言いながら、片方の猪口についで伊織の手元へ置く。 とろりと動く透明な液体は、灯りに照らされキラキラと輝きを変えていく。湯気と共に甘く柔らかい香りがほんのりと顔を撫でていった。 そっと口を付けると、傷口には特にピリッとしたアルコールを感じはしたものの、咳き込むような強さはなくお米の甘みがふわりと香る。 「飲みやすくて、おいしい!」 「よかった。君のと交換しようか」 「いえ、少しだけもらいます。全部飲めるか分からないし……」 「それもそうか。美味しい料理を食べる前に眠くなったら可哀想だ」 「……なんだか、お昼にも似たような話をした気がします」 「……それは俺のせいじゃない」 苦い顔をして、質問攻めをしていた部下たちのせいにする春人がなんだか可愛くて、からかわれるばかりだった伊織だが、ちょっとだけやり返せたような気持ちになった。 ヤクザという職業の人に対して、普通ならできることではない。やはりお酒や場所にあてられたのだろうか? 二人してなんとも言えない表情でいたが、ふと伊織は気になっていたことを思い出した。 「そういえば、春人さんは料理とかってするほうなんですか?」 気持ちウーロン茶が多めのグラスを傾けながら、伊織は首を傾げた。 彼の家のキッチンは綺麗ではあったが、使用感がないわけではなかった。料理道具こそ片付けてはあったが、壁にかかる調味料棚に並んだその数であったり、朝食の出来栄えだったり。彼は料理ができると判断できる材料には申し分ない。 しかも、自分なんかよりもっと、と伊織は思う。 「料理っていうものに憧れがあってね。母の作る料理が大好きで、作り方をよく教わったんだ」 お通しを肴に日本酒を空けつつ、ぽつぽつ話し始める。 「それこそ父も初めのうちは一緒に食事を取っていたけど、仕事をしていく内に家には寄り付かなくなっていったから。……仕事が好きな人だった」 話しにくそうにしているが、今は亡き両親の懐かしい話をしているというより、他所の一家の軌跡を話しているような語り口だ。この世界では、これが普通のことなのかもしれないが、自分ならばどうだろうかと伊織はチラと思った。 小さな猪口にお酒をつぐ春人から徳利を貰い、お酌をする。ありがとう、と春人が猪口を小さく掲げた。 「お父さんのお仕事って、春人さんと同じなんですよね?」 職業名を出すことが躊躇われ、濁して伝えれば頷きが返ってくる。 「だから俺もエスカレーター式に同じ職に就いた。父の強い意志で選択の余地はなかったよ。幸か不幸か、仕事ができないわけじゃないからね……地位だけは立派になったけど」 苦笑する春人。 地位だけは立派だと皮肉を言うけれども、時崎組の人たちを見ればわかる。皆、彼に嫌々ついて行っているわけではない。誰もが柊一郎を慕うように、春人自身も慕われている。 しかし、それを自分が言うのも役不足だと伊織は感じている。 突然家に転がり込んだ人間が言えることではない。 だから、黙って話を聞くことしか出来ない。 「今となっては諦めもついている。一度この仕事を始めれば身の回りに影響は嫌でも出てくる。それは今までのことで知ってはいるんだ。だから、俺はに憧れている……普通に仕事をして、普通の家庭を築くことをね」 「普通……」 それは、伊織が最も得意とするところで、最もつまらないと思っていたものだった。 それを春人は欲しいと願っている。 コトリとカウンターに置いた猪口の中で蛇の目が歪む。 なんだか泣いているようにも見えるなと考えていると、先程と全く同じ声音ではあるが幾分か楽しそうに春人が言った。 「俺の話はつまらないことが大半でね、申し訳ない……」 「そんなことないです」 謝る彼に、そんなことを言わせたいのではないと伊織は声を上げる。 「俺は春人さんがどんな人か知りたい。小さい頃はどんなだったか、なにを経て成長したのか……そんなことじゃなくても、何が好き何が嫌いとか、最近のちょっとした話でも、なんでも!」 指を折りながら食い気味に言い募れば、初めて見る圧倒された春人の顔。猫のように目を丸くさせて、心底驚いたとデカデカと書いてある。 言いすぎただろうかと自分の行動を恥じていると、伊織の方へお通しの小鉢が寄せられた。中身は、美味しいと何度も絶賛したシンプルなポテトサラダ。ベーコンと玉ねぎとじゃがいもだけのシンプルさなのに味がしっかりとしていて、胡椒のピリッとした辛さが効いている。 一体どういうことだろうかと隣を見上げると、口元を覆い隠しながらくすくす笑う春人と目が合った。 目尻にシワがよっていて仕事場よりも柔らかい、彼そのままの笑顔のように見えた。胸の奥がきゅっと締まる感覚。 小鉢を受け取って、食べても良いのかと尋ねると 「俺も君の好きなものが知りたい。もちろん嫌いなものも。これはその一歩に繋がるかな?」 「大いに繋がると思います」 有難く頂戴することにして、お箸で少しずつ食べる。 そのせいか、空腹に拍車がかかってきてしまい、焼き鳥のいい匂いにつられるようにして顔を上げた。タイミングを見計らったかのように店主の節くれだった手が、大きな皿をカウンターに乗せた。

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