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特別
皿の上には焼き鳥の盛り合わせがのっていた。
三・四種類がそれぞれタレと塩とで、申し訳程度に分けられている。伊織は両手でカウンターから皿を取り、二人の間に置く。
「串、外しましょうか?」
「そのまま食べた方が美味しいらしいよ。食べたいものがあれば、あとで追加したらいい」
「串についたまま食べた方が美味しいって、本当の話なんですかね」
「確かね。科学的にも証明されたって聞いたことがある。まぁ、好きなようにしたらいいと思うけど……」
「……じゃあ試してみましょうよ。そのまま食べるのと、分けて食べるのと」
「試す?」
「そう、どっちが美味しいかやってみましょうよ!」
言いながら、鶏もものタレを箸で一つずつ串から外していった。ほくほくと湯気が立ち、匂いだけでも頬が落ちそうなほど良い香りがしている。
もう一方の塩の串の山から同じ鶏ももを取って、春人へ差し向けた。
戸惑ったような表情で、向けられた串と伊織の顔を交互に見て、少し恥ずかしそうに眉を寄せながらも伊織の手に自らのを重ね、そっと自分の方へ引き寄せた。彼の手中に自身の手が収まってしまうのを見ると、同じ性だというのに体格差が露わになってしまったようで照れてしまう。
パリっと音がした。離れていく春人の唇が、熱に触れたためか血色が良くなっているように見える。
口元を隠しながら、「美味しい」と呟く。つられるように伊織も一口食べると、小気味いい音と共にじゅわっと油が弾けた。
これは、美味しい……。
続けてタレの方へ箸を伸ばし、こちらも一つ。変わりなく美味しい。
「……どっちも美味しいです」
「それはよかった」
笑う春人に、そうではないだろうと正そうとしたが、美味しいのならそれでいいかとも思い直し、塩の串の方をもぐもぐとやり始める。
久しぶりに焼き鳥を食べた伊織だが、こんなに美味しいものだったろうかと皿を見つめた。場所のせいもあるかもしれないが、穴場の店なのかもしれない。やはり、仕事柄というやつだろうか。
だが、仕事の時とは違い、春人はとても穏やかに見える。
元々、伊織に対しては穏やかに接してくれてはいるが、組員達に指示を飛ばす姿は、それとはかけ離れている。
それだけ、この場所では気を抜いていられるということではないか。
考え事をして味は二の次になってしまったことを無念に思いつつ、食べ終わってしまった焼串を串入れに放った。
「なんだか不思議な気持ちがする」
春人が、近くの猪口に視線をやっているのに、どこか遠くを見ているような目付きでそんなことを呟く。
近くに感じ始めていたのに、一気に引き剥がされてしまったような心地になり、伊織はちくりと疼く心を隠すように小首を傾げた。
「不思議?」
「ん? ああ、いや」
手元にあった箸を取り繕うように手にして、伊織が分けた焼き鳥を口へ運ぶ。
しばらく考え込むように咀嚼したのち、頬杖をついて続きを繋いだ。
「君と、こんな風に夕飯を食べているなんて……。まさかの展開に驚いているんだ。ちょっとだけ、おかしな気分かな」
「たぶんそれ、こっちのセリフってやつですよ」
「君も?」
驚いた、というように目を丸くさせる春人に、おかしくて思わず笑う。
「当たり前じゃないですか。普通だったら、春人さんみたいに変わった職業の人と隣合ってご飯なんて、きっとできないです」
「そうだろうね……。嫌ではない?」
「春人さんと一緒にいることは、嫌じゃないです」
ぴたりと止まった春人の手。
……いったい自分はなにを言ったかと、伊織も同じように時が止まった。
ぎこちなく顔を上げていく。ようやく目が合ったと思ったところで、カウンターにコトリと置かれた皿の音がして、ぴしりと背筋が一気に伸びた。
大きなきつね色の揚げ出し豆腐に、小さめの四角皿に高く盛られた軟骨の唐揚げ。慌てて二つの皿をテーブルへ下ろし、次いで貰った器を手に、取り分け用のスプーンで豆腐を掬ってよそう。
なんてことない言葉と取れば、ここまで動転することもないのだが、やはり意識して春人を見てしまっているということなのだと改めて気がつく。しかし、頑固なもう一人の自分は、吊り橋効果なのだと心を宥めている。いつまでも落ち着かない。
だし汁を器に入れると、手の平に熱いくらい。あちち、ともらしながら春人へと渡す。
「うれしいな……」
再び呟く春人に、伊織の肩が揺れる。
「俺の事を、嫌いじゃないって言ってもらったみたいだ」
「そう、言ったつもりでしたが……」
「ははっ、じゃあ……その気持ちのままいてほしいな」
自分ばかりずるい、という言葉を吐いてしまいそうになる前に、揚げ出し豆腐を不器用ながら箸で口へ押し込む。大皿から分けている時にも思ったが、ほろりと柔らかいのに形は崩れずしっかりとしている。だしの柔らかい味もほどよく、とても美味しい。春人の言葉と相まって、とろりととろけてしまいそうだ。
彼の本心からの言葉なのかはわからないが、もし本当に同じように思ってくれているのなら、この上なく嬉しい。
春人と距離が詰められているように感じている。
彼の家族の話だったり、ふとした瞬間の春人の表情や、まるで思ったことがそのまま口に出てしまったような言葉。そのどれもが、ふわふわとしていた春人像を形作っているような気がしてならない。
この時間が、嬉しくて楽しい。彼の知らない一面を見られているようで。
今だけでも自分の置かれた立場を忘れて、この時間を楽しいものにしたい。
猪口に残っていた日本酒をグッと空ける。
少し傷口にしみた。
「今日は、くだらない話をたくさんしてもいいですか」
唐突な提案に、春人は不思議そうにしながらも頷く。それは楽しそうだね、と言いながら。
「つまらない話が多いと思うし、為になる話なんて一つもないです。俺の小さい頃の話とか、両親の話とか、高校時代がどんなだったかとか……そんな話。春人さんに俺の事を知ってもらいたくて」
「……うん」
考えながら言葉を繋いでいく伊織に、春人は耳を傾けて静かに肯定する。
眩しいものを見る目だった。
「だから、今日じゃなくてもいいから、春人さんの言う“つまらない話”も聞かせてほしいです」
言えば、少しばかり難しそうな顔をする春人。
押しつけがましかっただろうかと不安を露わにする伊織に、片手を上げて謝罪を制する。
「君が興味を持ってくれるのは俺も嬉しいんだ。でも、やっぱり俺の仕事の話がどこにも付いて回ってしまうから……それが心配なんだ」
心配とはどういったことかと追及したい気持ちを今は留める。
伊織が訊けば、彼が答えてくれることはわかっていた。だから、つまらない話とは思いながらも語って聞かせてくれたのだろう。伊織の反応を見る為もあったかもしれない。
無理やり聞き出そうとするつもりは毛頭なく、「春人さんが嫌だと思うならいいんです」と付け加えた。
「俺は、自分が話したいことを話すし、春人さんの気になるところがあれば答えます。だから、一個だけお願いしてもいいですか」
「……とりあえず聞こうか」
あくまでも聞くだけだという姿勢を崩さない春人に、職業病かなと伊織は笑いそうになる。
背筋を伸ばして、ずっと気になっていたことを口にした。
「俺の名前、呼んでください」
出会ってから、個人的に一度として名前を呼んでもらえていなかった。
呼ぶ必要がなかったと言えば確かにそうだ。紹介をされる場面では他人行儀以上のフルネームで呼ばれたりもした。
が、それだけだった。
これから一つ屋根の下で暮らす者同士、より名前を呼ぶ回数は減ってしまうかもしれない。そうなる前に、自分の名前を呼んでほしかった。
わざと呼ばないようにしていたのか、気が付いていなかったのか、目を閉じてじっとしているので真意は見えない。
しばらく周りのにぎやかな声に包まれていたが、頬杖をついていた手をそっと下ろして切れ長の瞳が開いた。伊織を真正面に見据えた目に引き寄せられる。
「伊織」
ぱちんと胸が弾けた。
低く、切ない声で呼ばれた。
ぎゅっと両手を握り締める。
「……はい」
「伊織」
また、一度。
指でなぞるように名前を呼ばれる。
これは、こんなにも心地いいものだったろうか。
名前を呼んだ春人は、視線を伊織から外して伏し目がちに、困ったように口元で笑った。
「……きれいな名前だ」
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