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第6話

 出会って三日目の十二月二十九日、泉は結城と共に再び夕食を共にしていた。今度はラーメン屋のカウンターで横並びに座るのではなく、泉が事前に押さえたイタリア料理店で向かい合って食事をした。  視線が合う度、結城が感じの良い笑みを絶やさないよう努力しているのが泉には分かった。 「素敵な店ですね」 「そう?気に入ってもらえたなら良かった。ここは料理もなかなか美味しいんだけど、飲み物のメニューも豊富だからさ」  泉と結城が年内にもう一度会うことを約束したのは、一緒にラーメン屋に行った日の翌日のことだった。その日の朝、泉が眼を覚ますと携帯電話にメッセージが二件入っていた。一件目は深月からの呪詛と哀訴で、もう一件は結城からだった。 『おはようございます。昨日はお食事にお誘い頂きありがとうございました。泉さんとお話できてとても楽しかったです。次回は是非、お酒をご一緒できればと思っています。寒い日が続いていますので、どうか体調には気をつけてお過ごし下さい。結城』  一等最初だからなのか、文末にはきちんと名前が記載されていた。泉が気になったのは、更にその下に並んでいた、十一桁の電話番号だった。  これは泉にとっては意外だった。特段の感情なしにこのメッセージを読めば、社交辞令の範疇と捉えるだろう。だが最後に書かれた電話番号に、泉は意味深な、少し切羽詰まったものを感じた。二人が連絡先を交換したメッセージアプリは通話機能も備えている。わざわざ番号を送ってきたことには、何かしらの理由があるはずだ。もしかするとこの男は、電話をかけてきて欲しいと訴えているのかも知れない。節度を保った文面の下にひた隠しにされた相手の真意を、泉は読み取ろうとしばらくその電話番号を見つめていた。  泉はその日の午後三時過ぎまで返信を打たなかった。待たせて待たせて、相手だけでなく自分も散々に焦らして仕事の合間にメッセージを送った。顧客リストで結城の勤めている会社が二十九日から休暇に入ることを確認し、 『もし良ければ、明日呑みに行きませんか?』  という一文を入れてみた。  まさか即快諾されるとは思っていなかった。年末年始の休暇初日なので構わないという返事だった。これほどすんなり物事が進むような手応えを、前回は感じていなかった。 「飲み物のおかわり、遠慮しないでね。明日、朝予定あったりする?」 「いえ、特には」 「じゃあどんどん頼んで。お酒はいける方?」 「あまり強くはないんですが、でも色々な種類を呑むのが好きなんです」  結城はその日、グレーのニットの下に白いシャツを着込み、下は黒いパンツというシンプルな恰好でやって来た。鞄や靴、腕時計などを見ても、それと分かるブランド品は身に着けていない。そのことに泉は好感を持った。一方の泉も、既に服装で自己主張をする年齢ではない。 「ねえ、もし良かったらもっと気軽に喋ってよ。家族とか友達に喋るみたいに。今日は完全プライベートなんだからさ。それとも僕の方がちょっと馴れ馴れしすぎるのかな?」 「いえ、全然そんなこと。あの、私の方が年下ですから。それに、もう最近は職場以外で喋ることってほとんどなくって……誰に対しても自然とこんな言葉遣いに」 「ああ、もしかして社会人になって友達いなくなっちゃった感じ?」  結城はちょっと寂しそうに微笑みながら黙って俯いていた。 「まあ、結城くんが喋りやすいのが一番だから、別にそのままでもいいんだけどね。僕が云いたいのは、気を遣いすぎないでくれってこと」 「はい」 「あ、ちなみに今更だけど、結城くんって呼んでいい?」  その後も結城は喋り方を大きく変えることはなく、自分のことも「私」、泉のことも「さん」付けで呼び続けた。メインの料理が運ばれてきて、二杯目のレモンサワーを注文した時、頃合いを見計らった様子で結城は訊ねてきた。 「あの、どうして私を誘って下さったんですか?」 「え?」 「今日のことです。あと、前回も。私、そんなに人から声をかけられるようなタイプじゃないんです。でも泉さんは初めて会った日から気さくに接してくれて……それはすごく嬉しいんですけど、何でかなって」 「何で、かぁ。今日はまあ、呑みに行きたいなって思ったからだけど。ラーメンの時は……そうだな、強いて云うなら何となく、かな」 「あんな感じで誰かを食事に誘ったりって、よくされるんですか?」 「よく、じゃないよ。ごくたまにだよ」 「私が、あのフランスの写真集を持っていたからですか?」 「ああ、それもあるかな」  それから約束していたフランス映画について、しばらく話をした。意外にも結城はフランスに行きたいと云っておきながら、それほどかの国について詳しいわけではなかった。観光地や歴史、美術品について知りたいというわけでもなく、フランス語に至ってはさっぱりという感じだった。それでも泉の勧める映画に関してだけは興味を示してくれた。 「映画はよく観るの?」 「昔から勉強が嫌になると、塾をさぼって映画館に行ったりしてたんです」  そこへ飲み物が運ばれて来た。二人が通されたテーブル席はそれほど広くない。手を伸ばせば向かいにいる相手に充分触れることが可能な距離だった。 「泉さん、結婚されてるんですね」  結城は泉の左手をちらりと見てそう訊ねた。 「うん、一応ね」 「一応?」 「そう。実は今、妻と別居中でね」  人は、自分に関する重たい話題の時ほど何故だか微笑もうとする。それは単純に、その場にいる相手のためだけでなく、自分を惨めに見せないための精一杯の保身なのかも知れない。そして泉は、自分もそんな一人なのだと思う。 「まだ正式に離婚したわけじゃないけど、今は一人暮らしだよ。指輪なんて妻はとっくに外してるけど、僕は外さない。職場の人間にあれこれ詮索されたり、気を遣われたりしたくないんだよ」 「そうなんですね。すみません……立ち入ったことを訊いて」 「いいんだよ。結城くんにだったら何でも話せそう」  結城ははにかんだ笑みを見せ、また少し俯いた。

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